日本生まれなのに海外で親しまれた「コンプラ瓶」
とてもユニークな名前と形がすごくシンプルでかわいらしい容器ですが、れっきとした日本の焼き物です。
鎖国の江戸時代に、海外との交易が唯一許された長崎・出島から輸出用に醤油や酒をつめた専用の瓶が「コンプラ瓶(染付白磁の徳利のような瓶)」です。
コンプラの語源は、ポルトガル語の「conprador(コンプラドール)」で、「仲買人」を意味します。当時、オランダ人相手に商売をする特権を与えられていた日本の商人を「コンプラ商人」と呼びました。コンプラ商人仲間が取り扱っていた瓶だから、“コンプラ瓶”になったとか。
また、17世紀前半頃、長崎の商人たちは「金富良社(こんぷらしゃ)」という組合をつくって、オランダ東インド会社を介し日本製品の輸出を行っていました。その輸出製品の中に醤油も含まれており、当時醤油の容器として用いられていたものが“コンプラ瓶”と呼ばれていたそうです。なお、コンプラ瓶が使用され始めたのは、1790年(寛政2年)からだそうです。
この醤油は、当時のヨーロッパにも広がり、美食家で知られたフランスのルイ14世が宮廷料理の隠し味に好んで使わせていた、との話も伝えられています。
現在もこの醤油は発売されていて、長崎のチョーコー醤油株式会社「金冨良醤油」は有名です。
これらは、染付で文字がかかれた徳利形のくすんだ灰色の瓶で、主に波佐見で生産されていました。大きさは高さ20cm程で、口はコルクの栓で密閉されていたようです。ぼってりした胴体は、揺れる船の上で安定を保つためだとか。
波佐見焼(はさみやき)とは、約400年前の16世紀末から長崎県波佐見町で生産される陶磁器のこと、現在も日用食器として親しまれていて、白磁と透明感のある呉須(ごす/磁器の染め付けに用いる藍色の顔料)が特徴です。
特徴的なのは形もそうですが、やはり大きく描かれている文字です。
藍色で書かれた「JAPANCH(ヤパンス)」は、オランダ語で“日本の”という意味、「ZOYA(ゾヤ)」は“醤油”、「ZAKY(ザキ)」“酒”を表していて、中に何が入っているか、一目で分かるように描かれました。瓶の下部に「CPD」とかかれているものもありますが、これは“コンプラドール”の略だそうです。
瓶のデザインは、日本のお酒を入れる徳利(とっくり)が見本となっているのだとか。
コンプラ瓶は作家たちの文章にも出てきます。井伏鱒二は「コンプラ醤油瓶」という話を書いています。徳富蘆花が訪問したロシアの文豪トルストイ邸で、机の上にコンプラ瓶が置いてあり、一輪挿しとして使用していた、とのエピソードも残っています。
「JAPANSCHZOYZ(日本の醤油)」と書かれた波佐見焼のコンプラ瓶は、今でもヨーロッパのアンティークの小道具屋で見ることができるそうです。
18世紀の終わり頃から明治をピークに、九州各地で焼かれた瓶が遠く西洋の彼方まで、焼き物の交流、そういうロマンを感じます。
ところどころ歪みがあり、なんともいえない味わいを出していて、それが得も言われぬ風合いになっています。
きっと、交易用ボトルとしての機能を追求した結果、たどり着いたシンプルなデザインなのでしょう。
当時のものは高価で手に入りにくいのですが、現在は、波佐見でコンプラ瓶を再現した波佐見焼の醤油入れや小さい一輪挿しなどが、お土産品として千円以下から大きいものでも数千円で購入できます。
古めかしいのに、なんだか素敵に見える、エキゾチシズムがのこされている“コンプラ瓶”、テーブルがちょっとだけオシャレになりそうですね。
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