時を刻んで生きてるような「振り子時計」
ボンボンという音色を奏でる、昭和レトロな時計といえば「振り子時計」を思い浮かべるかと思います。
その鳴る音が特徴でもあるので「ボンボン時計」と言われる場合もあり、付属のネジでゼンマイを巻くことで稼働するため、「ゼンマイ時計」と言う人もいます。また、柱に掛けるので「柱時計」とも。
そんな沢山の呼び名がある「振り子時計」について
時計と振り子時計の歴史
時刻を計測する歴史は古く、紀元前4000年頃にエジプトで日時計が道具として使われていたようです。紀元前3400年頃にはエジプトで星により夜間の時刻を把握し、その後、水やローソクや油など様々な素材を用い“時”を計る時計が作られました。
1300年頃には重りを動力とする機械時計が誕生し、1462年頃にゼンマイを動力とする小型時計へと発達していきます。
1582年頃にガリレオが振り子の等時性原理(同じ長さの振り子なら重さや振れ幅に関係なく一定の時間間隔で振れる)の発見し、1656年頃にクリスチャン・ホイヘンスがそれを時計の振り子に用いて最初の振り子時計を発明しました。最初のものは1日に1分ほど狂うものでしたが、後には10秒程度にまで縮められました。
日本では660年に天智天皇が初めて漏刻(ろうこく/水時計)を作り、671年に鐘や鼓(つづみ)で時を知らせることを始めたと「日本書紀」に記されています。これが日本で最初に時を知らせた時計と考えられています。
1551年にフランシスコ・ザビエルにより初めて西洋式の機械時計が伝来します。江戸時代に鎖国が始まってから、外国から輸入された機械時計を参考に時計が多く作られるようになります。
西洋で用いていた「定時法」ではなく、「不定時法(太陰暦・夜明けと日暮れを境に昼と夜に分け、それぞれ6等分する)」を採用し、夏と冬では昼と夜の長さが異なるため、それに対応した複雑な構造を作り日本独特の和時計を生み出します。櫓(やぐら)時計・尺(しゃく)時計・枕時計などの和時計、又、からくり儀右衛門こと田中久重が1851年に万年時計を作ったとか。
1872年(明治5年)に明治政府は太陰暦を廃して、1873年(明治6年)より太陽暦(グレゴリオ暦)を採用して「定時法」に移行したため和時計の時代は終わりました。この年、八角型や四つ丸型のゼンマイ式振り子時計(柱時計/ボンボン時計と呼ばれていた)が初めて輸入され、1875年(明治年)に東京麻布の金元社が、日本で最初に「振り子時計」を作り出しました。その後日本各地で多くの時計メーカーが誕生しました。
ちなみに、1927年にアメリカで発明された水晶を使ったタンスほどの大きさのあるクオーツ時計を、日本で小型化・実用化に取り組み、1964年(昭和39年)の東京オリンピックで携帯可能なサイズの高精度なクオーツ時計を完成させ、競技計測システムに国産時計が初めて採用されました。その正確で統一されたシステムが一躍注目を集めることとなり、ブランド知名度も一挙に上がり、以降の飛躍的な輸出拡大に繋がりました。
このクオーツ時計が発明されたことによって、時計を動かしたり地震が起きると止まってしまう振り子時計は、次第に振り子を使わない時計に代わっていきます。昭和43年にクォーツ壁時計が誕生するまで、ぜんまいを巻いて動かすことには変わりはありませんでしたが、以後、衰退の一途をたどりました。
現在は、ほぼ生産されておらず、クォーツ時計に“飾り”の振り子を付け、古い調度品のスタイルを模した外見の製品が多く流通しています。
出典:日本の時計産業概史
出典:時計の歴史
出典:振り子時計
「振り子時計」の魅力
「振り子時計」が日本で本格的に作られ始めたのは、明治20年ごろ。最初は、外国のものをそのまま真似たコピーが作られました。まだ薄い金属の板をプレスする技術が無かったため、職人が木材を轆轤(ろくろ)や漆や金箔の技を用いて、見劣りの無いそっくりなものに仕上げたそうです。明治後期になると日本的な意匠が施された和洋折衷の独自のデザインのものが作られるようになります。
やはり、田舎に掛けてあった時代を感じる振り子時計は木製で、木の温もりがある柔らかい音がしていたのを思い出します。
ヴァイオリンやギターなどの楽器と同じく、音が木箱の中で共鳴し、余韻が生まれる音色になるそうで、それが懐かしさや温かさを感じるような、振り子時計にはそういった不思議な魅力があるようです。
振り子がゆっくりと振れるたび、その時間が歴史として刻み込まれていくかのような…、単に時間を見るためだけのものではなく、それ以上の何かがあるのでしょうね。
せわしなく過ぎていゆく毎日に、ゆっくりと揺れる振り子とレトロな感じを味わうような音色の振り子時計を掛ければ、タイムスリップした感じに浸れ、なんだか心がなごみ癒される空間になりそうです。
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