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コミカルな酔っぱらいアート「酒機嫌十二相」

コミカルな酔っぱらいアート「酒機嫌十二相」

ガス灯が灯る文明開化の街並みから日清・日露戦争まで、明治時代を描いた最後の浮世絵師ともいわれている小林清親(こばやしきよちか/1847年-1915年)、西洋の遠近法や陰影法を取り入れた光と影のうつろいを情感豊かに描いた「光線画」と呼ばれる風景画で一躍有名になりましたが、のちに「清親ポンチ(漫画)」と呼ばれるユーモアあふれる戯画・風刺画を描くようになります。
庶民たちの暮らしの一場面を面白おかしく描いた現代の漫画に通じるような作品の中で、「酒機嫌(さかきげん=酒に酔っていい気分になっていること)十二相」という酔っぱらいの姿をコミカルに12種類の酒癖が描かれた浮世絵がユニークなので、ちょっと紹介します。

酒機嫌十二相、錦絵
連れを困らせる酒ぐせ(1885年/明治18年)出典:東京都立図書館

酔っ払いをなんとか家に帰そうと、連れがあれこれと説得しますが、酔っ払いは逆らってばかり。連れが「マンテル(マント、当時の洋服はハイカラの象徴)やズボンで酔っては外聞が悪い」とさとすと、「マンテルやズボンで酔うは当前だ。酔う服(洋服)と云ふでは御座らんか」とダジャレで切返しています。

酒機嫌十二相、錦絵
理屈を並へる酒癖(1885年/明治18年)出典:東京都立図書館

近くに座っていた酔っ払いに文句を言おうと思ったら知らぬ間に帰ってしまい、店の者に聞いてもちっとも知らなかったと言われ「理屈があわない」とひたすら屁理屈を並べ続けます。唄でも歌ったらと勧められても、「もっと酔わないと唄えない、でも酔ったら唄えない」とさらに屁理屈を並べている様子。

酒機嫌十二相、錦絵
三人上戸酒癖(1888年/明治21年)出典:Waseda University Library

怒り上戸は腹を立て、泣き上戸は悲しんでいるのを見て、笑い上戸は大笑い。泣き上戸が、「私の癪(癇癪/ちょっとした事にも怒りやすい性質)は起こり過ぎたのだから治りやせん」と言ったのを受け「癪が過ぎたのじゃあるまいな、酌が過ぎたのだ」とダジャレを飛ばし、笑い上戸はますます大笑いの様子。

酒機嫌十二相、錦絵
人に当る酒癖(1885年/明治18年)出典:Waseda University Library

女将さんが「私は骨折り損のくたびれもうけばかりだ」と苦労話を下人に当っています。「酒でも飲まないとやっていられない」と、下人にドジョウ鍋を買ってくるよう言いつけると、ドジョウは骨折に効くことから「女将さん、骨折ですか」と“骨折り損”を“骨折”とかけて惚けた返事が返ってきました。

酒機嫌十二相、錦絵
獨(独)言を云う酒癖(1885年/明治18年)出典:Waseda University Library

「家を出るときに十円札がたしかにあったのだが、今ここに二円しかない」と酔っ払いが指折り数えて不思議がっています。そこに、飲み屋の姉さんが「まあ一つおあがりなさい」と話しかけられ、「そうか一つ上がるのか」と勘違いした酔っ払い。ますます計算がおかしくなっていったようです。

酒機嫌十二相、錦絵
気の長くなる酒癖(1888年/明治21年)出典:にしのみやデジタル

酔っ払いが、今から外出しようとしている人の家に上がりこんで帰りません。「いつも家へ帰るとお灸をすえられる」と開き直っています。そこへ迎えに来た小僧が、下駄に灸をすえ、家の人が箒(ほうき)を逆さにして長居客を追い返すおまじないを始めるなど、皆で追い出しにかかっている様子。

酒機嫌十二相、錦絵
機嫌の宜なる酒癖(1888年/明治21年)出典:Waseda University Library

子どもたちから「舌が回らないからおかしいや」とからかわれ、酔っ払いが「舌が回らねえでも、地面が回らあ。アハハハハ。」と大笑いしている様子。
宜(むべ)なる=もっともなことだなあ。いかにもそのとおりだなあ。

酒機嫌十二相、錦絵
悪口を言て人に腹を立てさせる酒癖(1885年/明治18年)出典:Waseda University Library
酒機嫌十二相、錦絵
獨(独)で気取る酒癖(1888年/明治21年)出典:Waseda University Library
酒機嫌十二相、錦絵
色情気付く酒癖(1885年/明治18年)出典:Flickr

飲み屋の姉さんが、客を口説きながら絡んでいます。

酒機嫌十二相、錦絵
陰で腹をたつ酒癖(1886年/明治19年)出典:Flickr

先輩芸者が酒に酔い、後輩芸者への日頃の鬱憤をぶちまけて大騒ぎ。

気の小さく成る酒癖(1888年/明治21年)出典:Flickr

酒機嫌十二相、錦絵

何事も時代と共に変わっていくのは当たり前ですが、酒癖は時代が変わっても変わらないものですね。
小林清親も一升・二升は平気という大酒飲みだったらしく、だから“酒癖”の観察も緻密に滑稽に描けたのでしょう。
「天下国家を楽しませるのが上の酒、中の酒は自ら愉快で人を困らせない、己(おのれ)も苦しみ人に迷惑を及ぼすのが下の酒」と言うそうですが、きっと小林清親は「上の酒」だったような気がします。下記の逸話があります。
大酒飲みだった清親だったが、日清戦争の頃にはお酒をやめたという。注文を受けた日清戦争の戦争画を次々と描く一方で、戦争画で得たお金を酒には費やさず、戦争に出向くことになった彫り師・摺り師といった画工職人たちに全て渡していたそうだ。(『中央公論』「清親の追憶」小林哥津)より
人が良く頼まれると放っておけない性格の、剣術の腕前もあり六尺(約180cm)以上の背丈があったといわれる大男で大酒飲みだった小林清親は、台東区元浅草の龍福院に眠っています。

自分はというと、おそらく「中の酒」でしょうか。お酒が飲める年齢になった時、親戚や他の方からじいちゃんの事を聞かされたのですが、どんなに飲んでも崩れず、ニコニコしていて大黒様のようだった、と。もちろん大工職人でしたから、一升を普通に飲めてしまう大酒飲み、伊達じゃできないカッコよさを感じましたね。
なので、酒席ではそれを心にとめて静かに(楽しく、人によりますが)飲んでいたりします。人に笑われてしまう恥ずかしいことはたくさんありましたが、酒にのまれず“醜態は晒すべからず”ですね。
お盆だったので、ちょっと思い出した次第です。

出典:小林清親/Wikipedia
出典:小林清親/コトバンク
出典:にしのみやデジタル

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