「美しい芸術をすべての人に贈りたい」アルフォンス・ミュシャ
約1890年~1910年頃にかけてヨーロッパを席巻したデザイン・芸術様式であるアール・ヌーヴォー。その特徴的な表現の一つに、アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha、1860年7月24日-1939年7月14日)が手がけた、渦巻くような曲線による植物模様や女性像があります。
1867年と1878年のパリ万博で紹介され広まったジャポニスム(日本ブーム)の影響を受け、日本美術とくに浮世絵がアール・ヌーヴォーはじめヨーロッパの文化に重要な影響を与えていることはよく知られています。
そんな時代、ミュシャは“線の魔術”ともいえる繊細で華やかな作品を多く制作し人々を魅了しました。そのミュシャ様式と呼ばれるスタイルは、後世のアーティストに影響を与えてきたといわれています。
ミュシャについて…チェコ出身の画家、イラストレーター、グラフィックデザイナー、アール・ヌーヴォーの代表的な画家として知られています。広告、ポストカード、ブックデザイン、ステンドグラスなど幅広いジャンルで活躍。ミュシャの作品は星、宝石、花(植物)などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴です。
“美の殿堂”と呼ばれたミュシャのアトリエは、モラヴィア(チェコ共和国東部の地方)の工芸品や聖像、ロココ風の家具、日本や中国の美術工芸品などで飾られ、こうした多種多様な美がミュシャのインスピレーションとなっていました。
- 1. 1896年「椿姫」、1895年「ジスモンダ」ポスター
- 2. 1899年「モエ・エ・シャンドン」ポスター
- 3. 1897年「紙タバコJOB」
- 4. 1897年「モナコ・モンテ=カルロ」ポスター
- 5. 1897年「黄道十二宮」カレンダー
- 6. 1897年「夢想」ポスター
- 7. 1896年「四季、春・夏・秋・冬」装飾パネル
- 8. 1898年「四芸術、ダンス」、「四芸術、絵画」装飾パネル
- 9. 1900年「四つの宝石、トパーズ・ルビー・アメジスト・エメラルド」装飾パネル
- 10. 1901年「蔦(つた/アイビー)」、「月桂樹(ローリエ)」ポスター
- 11. 1900年の雑誌「明星」と1901年「みだれ髪」
- 12. 最後に
1896年「椿姫」、1895年「ジスモンダ」ポスター
パリのベル・エポック(良き時代/美しき時代)時代、女優サラ・ベルナール主演の舞台「ジスモンダ」の初めて手がけた宣伝ポスターで、一夜にしてパリ中に知られるようになったと云われ、このポスターがミュシャの成功へのきっかけになったそうです。
サラ・ベルナールは舞台「椿姫」を新しい解釈で1896年に再演しました。このポスター(左)はその時のもので、また、サラの依頼で舞台衣装もミュシャがデザインしたとか。ミュシャの衣装は当時のファッション界にも新風をもたらしたといわれています。
1899年「モエ・エ・シャンドン」ポスター
「飲んだあとも女性が美しくいられるのは、シャンパーニュだけ」というポンパドール婦人やジョセフィーヌ皇后に愛飲されてきた、モエ・エ・シャンドン社の果実味溢れる味わいの高級なシャンパン、左ポスターは甘口の“ホワイト・スター”、右が辛口の“ドライ・インペリアル”、雰囲気も口当たりに合わせた宣伝ポスター。なお、同社の最高級シャンパーニュ「ドン・ペリニヨン」はあまりにも有名です。
1897年「紙タバコJOB」
当時タバコ用の巻紙で知られていたJOB(ジョブ社)の宣伝ポスター。ロートレックの「ムーラン・ルージュのラ・グーリュ」などとならぶポスターの最高傑作と言われています。“JOB”のタイトル文字が髪の裏側に隠れているにもかかわらず、アクセサリーの赤が髪をさらに印象づけ、JOBの文字を記憶させる効果を高めています。タバコを一服して至福の表情を浮かべる蠱惑的(こわくてき)な女性の姿、長い髪のアラベスク模様とタバコの煙の曲線が装飾と躍動感を加えていて、デザインで読ませる印象的なポスターです。
1897年「モナコ・モンテ=カルロ」ポスター
地中海のバカンスに誘うPLM(パリ・リヨン・地中海鉄道)の観光ポスター。右下の文字に“パリからモンテ=カルロまでデラックス列車16時間(現在は約6時間)の旅”とあります。ちなみに、地区名の「モンテ=カルロ」は、イタリア語で“シャルルの山”という意味だとか。
長く伸びる枝と花環はアール・ヌーヴォーの曲線的な植物の装飾と同時に、地中海のリゾートへ導く鉄道のレールと車輪を連想させます。
1897年「黄道十二宮」カレンダー
十二宮(星座)のモチーフを組み入れた円環を背景に、豪華なアクセサリーを身に着けた女性の頭部が画面中央に描かれている「黄道十二宮」カレンダー。不滅のシンボルの月桂樹、昼と夜を表す日月、昼と夜の象徴ヒマワリとケシなど“時”を象徴するモチーフ、波打つ髪の装飾的な美しさなど、デザイン的に完成度の高い作品として知られています。
元々、シャンプノワ・リトグラフ工房のカレンダーでしたが、親しいラ・プリュム社がノベルティに使ったことが「黄道十二宮」とミュシャの名を広め、ラプリュム社、シャンプノワ社に成功をもたらしました。その後、評判が高かったことから様々な形で何度も再利用され、少なくとも9種類のパターンが存在しているという。
1897年「夢想」ポスター
夢想は、シャンプノワ・リトグラフ工房のポスターでしたが、あまりにも人気が高いため装飾パネルにつくりかえて販売したそうです。また、ポスターにしたいという企業もあいついで現れたので7種類ものパターンが存在します。上品で落ちついた色彩の美しい女性、優美なアール・ヌーヴォー風の曲線と花の装飾、日本美術や演劇の要素、祖国チェコの装飾、ビザンティン風のアクセサリーなど、魅力にあふれるミュシャ様式の代表作品です。
1896年「四季、春・夏・秋・冬」装飾パネル
装飾パネルの第1作目、季節を象徴する連作で、“無垢な春”は花にかこまれて小鳥たちと歌い交わし、“情熱的な夏”のもの憂げで官能的なポーズと視線、葡萄(ブドウ)と菊を飾った金色に輝く“実りの多い秋”、寒さに凍える小鳥を息で暖めている“霜のおりた冬”、と春夏秋冬それぞれを擬人化した女性のポーズと衣装・しぐさで季節感を表現しています。冬の雪をかぶった木は日本美術の表現を取り入れているようで、縦長の絵を4枚あるいは2枚並べるのも日本の屏風(びょうぶ)のスタイルに倣っていると言われています。
1898年「四芸術、ダンス」、「四芸術、絵画」装飾パネル
四芸術は、ダンスは動き、絵画は色彩、詩は黙想、音楽は音というそれぞれ女性のポーズと花によって特性を表現した装飾パネル。このシリーズでは、デザイン・色調は共通ですが、円環モチーフと一体化した女性の姿が、足にまとわる衣の裾とともに“Q”という字を構成することから、これは後に「Q型方式」と呼ばれ、後世のグラフィック・アーティストに大きな影響を与えたそうです。
1900年「四つの宝石、トパーズ・ルビー・アメジスト・エメラルド」装飾パネル
四つの宝石は、トパーズ、ルビー、アメジスト、エメラルドという4種類の宝石そのものは描いてなくて、花、色彩、女性のポーズによって宝石の特性を表わしている装飾パネル。装飾らしいものは女性をトレード・マークとなった円環のモチーフを背景、ミュシャらしいポーズと様式的な輪郭線を除けば写実的な画面です。
1901年「蔦(つた/アイビー)」、「月桂樹(ローリエ)」ポスター
円の中に背後のビザンティン・モザイクが特徴の女性の顔を描いた2点連作の装飾パネルは、窓の向こうの女性を見るように描かれています。蔦も月桂樹も常緑樹で厳しい自然環境にも耐える強靭さをもつ植物であることから不滅を表わしますが、蔦が永遠の命や不滅の愛を表わすのに対して月桂樹は永遠の清浄・純潔を表わしているそうです。上下にある装飾の帯は日本の掛軸からヒントを得たもだとか。
1900年の雑誌「明星」と1901年「みだれ髪」
歌人、与謝野鉄幹(よさのてっかん/与謝野晶子の夫)が1900年(明治33年)に創刊した文芸雑誌「明星」。当時最新の印刷技術を使ったビジュアル面へも力を入れ、文学と美術を対等にとらえ、絵画についてもページを割いていました。表紙絵や挿絵はアール・ヌーヴォー調で、ミュシャが描く女性の雰囲気を持つものが多数ありました。
これを契機に明治30年代半ば、文芸誌や女性誌の表紙を時には全面的な引き写しを含め、ミュシャ、あるいはアール・ヌーヴォーを彷彿させる女性画と装飾からなるイラストレーションが飾ることになりました。
左画像は、1901年(明治34年)与謝野晶子の初めての歌集「みだれ髪」、表紙装丁デザインは藤島武二。右3枚の画像は1900年(明治33年)頃の雑誌「明星」の挿絵や表紙、誌面のデザインは藤島武二。
出典:アルフォンス・ミュシャ
出典:ミュシャを楽しむために
出典:1983年アルフォンス・ミュシャ展作品集
最後に
ポスターは広告メディアです。鑑賞するための美術館でなく、街角で通りすがりの人の目をひきつける力がなければなりません。
ミュシャのポスターは美しい女性で注意をひきつけ、さらにポーズやしぐさ、髪、衣装などで見る人の目を上、あるいは下へ導いてポスターの文字情報を記憶させます。ミュシャのポスターの多くは絵と文字部分がわかれた、どちらかというと古典的なスタイルですが、デザインによってたくみに目を誘導するミュシャのテクニックがポスターを印象的で魅力的にしているのでしょう。
そして、画力を示す流れるような線、上品な色遣い、主題の精神面を表現しようとするミュシャの作風は、当時のパリの大衆が見慣れていた宣伝ポスターとは一線を画していたという。
また、自分の部屋に飾って楽しむ装飾パネルは、“すべての人に美しい芸術を”そう考えていたミュシャは安くて大量に刷ることができるリトグラフ(現代であれば印刷)で作品を制作します。宣伝の文字はなく、大きさも室内に飾ることができる、誰でも買える安価な装飾パネルにより、さらに人気が高まっていったそうです。
より多くの人々が幸福になれば、社会全体も精神的に豊かになるという考えをもつミュシャが生涯こだわり続けたのは、特権階級のための芸術至上主義的表現ではなく、常に民衆とともに在ることだったという。
そんなミュシャによるエレガントな女性の姿に花などの装飾モチーフを組み合わせものや華麗な曲線や円を多用しながら構築された独特な構図の形式は、生涯を閉じた今も多くの人を魅了し続けています。
-
前の記事
世間を楽しませているエンターティナー「ルパン三世」 2020.05.29
-
次の記事
今も昔もドキドキ・ワクワク感の「ホームランバー」 2020.06.05