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溶けてなくなってしまう「飴細工」

溶けてなくなってしまう「飴細工」

「飴細工」というと、小さい頃、初詣にいった神社の屋台が連なる参道で、かわいいニワトリを買って貰ったことがあります。作っているところを見るのも楽しいし、並べられているリアルな動物に感動したことを覚えています。

「The Ameya(飴屋)」ロバート・フレデリック・ブルーム 画
「The Ameya(飴屋)」ロバート・フレデリック・ブルーム 画(1893年)温泉避暑地として外国人に知られてい伊香保温泉で撮られた写真を参考にしたのではないかといわれています。出典:メトロポリタン美術館

飴細工とは、溶かした白飴をストロー状のプラスチックの棒(昔は葦(よし)茎)の先につけ、空気を入れて膨らましながら、和鋏(はさみ)で細工して色々な形に作って青や紅で彩色したものです。

今ではあまり見ることができなくなりましたが、飴細工の始まりは、平安時代の796年に京都に東寺が建立された時、中国から渡ってきた飴職人が、お供え物として作ったのが始まりと言われています。

室町時代にはヨーロッパから南蛮菓子としての有平糖(砂糖を煮て作られた飴の一種)が伝わり、文化・文政年間(1804-1830年)以降、細工が見事な有平細工(あるへい細工)として発達し、干菓子の仲間入りをして桃の節供の飾り菓子や茶席での添え菓子、祝儀菓子など高級品として扱われていたようです。
飴の歴史はこちら→人を笑顔にする効果がある飴「ドロップ」

「歌舞伎役者の大谷廣次(初代)が演じる飴売り」鳥居清信 画
「歌舞伎役者の大谷廣次(初代)が演じる飴売り」鳥居清信 画(1717年)出典:ボストン美術館

江戸後期の庶民の読み物「黄表紙」に、飴では三官飴(さんがんあめ)・芥子糖(けしとう)・肉桂糖(にっけいとう)・桜飴・だるま糖・大ころばしなど、飴売りには土平(どへい)飴売り・あまいだ飴売り・お駒飴売り・唐人飴売りなどがあったようです。この絵は、三官飴の唐人姿の飴売りだと思われます。

「近世商賈尽狂歌合」石塚豊芥子 画(1852年)「飴曲吹(あめのきょくぶき)」
「近世商賈尽狂歌合」石塚豊芥子 画(1852年)「飴曲吹(あめのきょくぶき)」出典:国立国会図書館

飴を膨らませて色々な形を作って見せる大道芸。文化年間(1804-1818年)に、両国広小路で大きな瓢箪形を作って看板としていました。絵には、“さあ さあ さあ、御覧(ごろう)じろ、お望み次第、飴の曲ぶき、小さい瓢箪(ひょうたん)っ、四文(しもん) 四文 四文”という売り声が書かれています(四文は約100円)。

当時の川柳や人形浄瑠璃などの作品の中にも飴細工職人が描かれる場面が多く、人形浄瑠璃の代表的な演目の一つ「菅原伝授手習鑑(1746年)」の飴売りでは、“さぁさぁ子供衆、買うたり買うたり、飴の鳥じゃ飴の鳥…”、という口上で演じられています。

行商人のほうは、室町期に「地黄煎(ぢおうせん/漢方薬の飴)売」の名で見え、江戸時代になると貴重だった飴が国内でもつくられるようになり、1770年代には、屋台を担いだ飴売り、頭上に藁(わら)製の輪を担ぎ、風車をこれに挿して太鼓をたたきながらやってくる飴屋が出現し、それぞれに独特の派手な服装で、歌ったり踊ったりして賑やかに飴を売り歩いていたようです。
なので、江戸中期には飴細工屋が登場したといわれています。

「絵本狂歌 山満多山(やままたやま)第3集」葛飾北斎 画
「絵本狂歌 山満多山(やままたやま)第3集」葛飾北斎 画(1804年)雑司ヶ谷鬼子母神近くで売る飴細工屋。出典:国立国会図書館

空気を吹き込んで膨らませながら細工をする飴なので、これを“吹き飴”ともいい、当時の飴細工はもっぱら鳥のかたちを作っていたので“飴の鳥”とも呼んでいたそうです。
なお、昭和の初め頃まではまだ“飴の鳥”という呼び名も地方により残っていたようです。
「守貞漫稿(1853年)」には、“昔は烏の形が専らだった。今も飴の鳥といって飴細工の総称としている”と記されているように次第に「飴細工」という呼び方も使われるようになり、細工の技術と技が発展していきました。

玩具絵の「物売り尽くし」
玩具絵の「物売り尽くし」風鈴売・飴売(上段中ほど)・甘酒売・提灯・うどん屋・等。作者不明(1895年)出典:Flickr

そして、高価な砂糖を使った菓子には手が届かなかった庶民や子どもたちにとって、縁日や大道芸などで披露される、飴売りが作り出す「飴細工」は大人気となり、江戸の風物詩としてなくてはならないものとなりました。

飴細工

昭和の頃までは、お祭りや参道で飴細工を販売する人々の姿が各地で多く見られましたが、時代の移り変わりと共に、屋外での食品の製造販売が難しくなった事と衛生的ではないとの理由などにより、飴細工師もかなり減少し、現在では東京都内や京都などの繁華街のビル内で販売されていますが、飴細工を見かける機会は少なくなってきました。

お祭りや縁日の屋台で、たくさんのお客さんが囲ってみている中、注文した人が中心にいて完成した飴細工はその一人の手の中に渡されていきます。そこには何とも言えない特別な感じがあるような気がします。そして、次々と作られていく工程を見ながらのワクワクした気持ち、目の前で自分だけの飴細工を作ってもらって、そのまま手にすることができ、美味しくないはずはありません。
最後には溶けてなくなってしまう飴細工、でも飴細工の楽しかった思い出は心に残り続けることでしょう。

出典:飴細工
出典:あめ売(飴売)
出典:飴細工の歴史

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