ホッとする空間を味わう「喫茶店」
約40年続くロングセラー、厚さ8cmほどのトーストにアツアツのグラタンが入った“グラパン”が有名な東京根津(入谷と鶯谷の中間)の純喫茶「DEN」。写真はそのシリーズの“トロトロの牛すじ肉シチュー入りのデミグラパン”です。
外観や内装とも昭和レトロを感じる純喫茶で、美味しいコーヒーとホッとする空間を味わってきました。
喫茶店の移り変わり
日本にコーヒーが初めて入ってきたのは、鎖国が解かれた1858年(安政5年)でした。
当時は限られた特権階級の人の嗜好品で、庶民にコーヒーを飲む習慣が普及したのは30年程あとの1888年(明治21年)のことです。
この年、東京上野に日本で最初の本格的な喫茶店として「可否茶館」が開店します。
複合喫茶のような形態でビリヤードなどの娯楽品や書籍、シャワールームまで完備されていましたが、日本の文化にはこの施設が受け入れられず1892年(明治25年)には閉店してしまいました。
カフェの登場
それからしばらく経った1910年(明治43年)以降、パリのカフェのように画家達と芸術談義ができる初の会員制サロン「カフェー・プランタン」、誰もが気軽に親しむことが出来る喫茶店の元祖「カフェー・パウリスタ」、洋酒や洋食を供し女性給仕(ウェイトレス)のサービスがあった初のメイド喫茶「カフェー・ライオン」など、次々に銀座を中心にカフェーの名の付いた店が開業します。
また、この頃、暖めた牛乳を提供する「ミルクホール」も登場し学生などに人気となりました。
カフェから喫茶店へ
1925年(大正14年)頃には、バーやキャバレーのような客の話し相手になる女給のサービスやアルコールを提供する「カフェー」又は「特殊喫茶」「特殊飲食店」と、コーヒーや軽食を提供する「喫茶店」又は「純喫茶」と二分化していきます。
1929年(昭和4年)に取締令が発布され、以後カフェーは激減、それとは逆に庶民にコーヒーが浸透しはじめた1935年(昭和10年)には「喫茶店」又は「純喫茶」は激増します。
1937年(昭和12年)には、コーヒー豆の輸入量もピークを迎えますが、その翌年の1938年(昭和13年)には、戦時体制が敷かれ輸入規制が始まります。
以後大戦中は輸入が禁止され、供給源を断たれた喫茶店は次々と閉店していきました。
喫茶店の全盛からチェーン店へ
戦後、1950年(昭和25年)に輸入が再開され、再び庶民がコーヒーを求め喫茶店に通うようになります。
この頃から、世情を反映し、オーナーのこだわりが色濃く反映された個性的な喫茶店が増え始め、中でも様々なジャンルの音楽で分けられた「音楽系喫茶」が人気を博し、名曲喫茶、歌声喫茶、ジャズ喫茶、シャンソン喫茶、ロック喫茶など、1950年代から1960年代にかけて全盛期を迎えます。
さらに1970年頃、独自の喫茶文化が発展していった名古屋市では漫画喫茶が誕生しました。
やがて、自宅で淹れられるコーヒー器具や音楽機器などが安価で手に入る時代になった事と、忙しい日々を送る人々は“喫茶店でのんびり”といった行為より、安価で手短にコーヒーブレイクが取れるセルフスタイル型のチェーン店が主流になっていきます。
出典:喫茶店・カフェ事典
現在、昭和レトロな喫茶店が人気
喫茶店市場は、1980年(昭和55年)セルフサービス式カフェのチェーン店ドトールコーヒーショップが出店してから1982年をピークに減少を続け2011年には4割以上も減少しますが、2013年には上昇に転じています。
2011年に出店した「星乃珈琲店」や名古屋の「コメダ珈琲店」にみられる“昭和の喫茶店”に近い雰囲気が魅力のフルサービス型喫茶店がけん引したと言われています。
出典:なぜ今“昭和型”コーヒーチェーンが増えているのか
そして、昭和レトロブームに乗り、あの時代の“昔ながらの喫茶店”が人気を博しています。
その店特有のノスタルジックな雰囲気が漂っていて、街の風景がめまぐるしく変わるなかで、そこだけが変わらない懐かしさを感じさせてくれる場所としてブームになっているのでしょう。また、定番メニューの“クリームソーダ”や“ナポリタン”をはじめ、レトロな内装、マスターこだわりのコーヒーカップなど、写真をSNSでアップして連鎖もおきますね。
マスターや友人同士のお喋りなど、アナログなつながりを大切にできる稀有な場所としての魅力も大きいのでしょう。
のんびりでき、静かな時が流れる“昔ながらの喫茶店”そこでしか味わえないコーヒー、ちょくちょく行きたくなりますね。
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