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単なるフリーペーパーではなかった資生堂「花椿」  

単なるフリーペーパーではなかった資生堂「花椿」  

1924年(大正13年)創刊の「資生堂月報」と、1933年(昭和8年)創刊の「資生堂グラフ」を前身として、1937年(昭和12年)に誌名を「花椿」に変更して創刊した、愛用者向け文化情報誌。
化粧品業界としては初めての情報誌で、美容・化粧情報を中心に文芸、カルチャー、ファッション、食文化や海外トレンドなどを感度良く取り上げる「時代の最先端を伝える媒体」としてチェインストアを通じて全国に配付されました。そのころとしては珍しかった海外のトレンド情報も多く紹介されており、資生堂の高級イメージを形づくるのに大きく貢献したそうです。

ちなみに、「資生堂」の企業自体は1872年(明治5年)日本初の洋風調剤薬局として福原有信が東京・銀座に「資生堂薬局」創業、商号の由来は中国の古典「易経」の「至哉坤元 萬物資生(大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものは、ここから生まれる)」の一節に由来するそうです。

一番発行部数が多かった時は1960年代後半で、その頃は680万部出ていました。それから1970年代になると「an・an」や「non-no」が創刊され女性誌ブームが来て、メディアの数も増える中でだんだん発行部数も減っていって、2012年には3万部以下になってしまったそうです。
そんな中、2011年にWEB版の配信をスタートし、月刊誌とWEBの2方向から発信してきましたが、月刊誌は2015年12月号をもって休刊、2016年秋からは季刊誌として刊行しています。

なお、過去のアーカイブは下記から見ることができます。大正~昭和の美容を中心とした当時の雰囲気や風俗を知ることができ時代背景が感じられておもしろいです。
「資生堂月報」1924~1931年
「資生堂グラフ」1933~1937年
「花椿」表紙、1936~1940年

紙媒体の雑誌は完全WEBへ移行したり廃刊も多かったイメージがありましたが、フリーペーパーは割と発刊も多く元気なイメージを持っていました。しかし、電通が毎年発表している「日本の広告費」2018年版によると、フリーペーパー・フリーマガジンの広告費は前年比94.6%と減少傾向、一方インターネット広告費は前年比116.5%と5年連続で二桁成長をしています。しかも、資生堂のユーザーは50代や60代くらいで、10代から20代くらいの人にはあんまり売れていないそう。
だから尚更クロスメディア化しデジタルを強化しなくてはいけない訳で、WEBは若い世代や新たな読者層との出会いを広げていくため、2016年の6月に全面リニューアルしたそうです。

資生堂「花椿」
1979年2月号、1985年4月号、1978年1月号
資生堂「花椿」
1983年6月号、1984年2月号、1984年5月号
資生堂「花椿」
1983年9月号、1983年4月号、1983年1月号

上記は以前、ある出版社の方から頂いたものです。単なるフリーペーパーではない、ファッション誌的なビジュアルと美しいグラフィック、独特の世界観とトレンドの情報として、またデザインの参考にもなった雑誌です。

紙の雑誌は、パラパラみてこれ面白いって読んで次これを読むっていうやり方ができるし、デジタルメディアで表現出来ないモノとしての手触り感とか、フィジカルに1ページずつ見ていくわけで全体感や大体こんな内容なのかってすぐ掴める、そして何度でも見たい時にパラパラめくれる良さがあると思います。
かたやWEBはピンポイントで入ってきてピンポイントで離脱し雑誌のように全部を見ることはほぼありません。なので、知ってもらうためにはWEBが優れているけれど、保存性は紙の方が向いているのではないでしょうか。
日本雑誌広告協会の2018年度調査では「紙媒体の電子版率」が53.8%となっており半数を超えていて、雑誌はデジタルシフトが進んでいることがわかります。
これからもデジタルシフトが進んでいくと思いますが、紙媒体は辛うじて残っていくのではないかと感じますが、どうなのだろうか。

出典:2018年 日本の広告費
出典:資生堂「花椿」
出典:資生堂の歴史

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