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最初は神事、次は社交場、賭け事が始まり軍馬からギャンブルになるまで

最初は神事、次は社交場、賭け事が始まり軍馬からギャンブルになるまで

以前、競馬にハマっていた時があり、ツレと一緒に今日は府中競馬場(東京競馬場)だ、次は中山競馬場だ、また渋谷や浅草のウインズだ、などと毎週のように馬券を買いに出かけていました。帰りは飲みに行くというお決まりで(汗。
今はパソコンや携帯からも購入できますが、やはりあのだだっ広い競馬場で観戦するのが気持ちよいな、と思ったりします。
だだっ広いといえば、上野の名所として有名な不忍池、この地でかつて競馬が行われていたそうです。
ということで、知っているようで知らない競馬について調べてみました。

「競馬御遊宿之図」歌川国宅 画
「競馬御遊宿之図」歌川国宅 画(1863年)出典:ボストン美術館

日本では古くから競馬(くらべうま)という5月5日・端午の節句の日に朝廷が催した、馬が走る速度を競う競技の神事がありました。もっとも古い記録は『続日本紀』の大宝1年(701年/飛鳥時代)5月5日の条で、この頃にはまだ「走馬(はしりうま)」と呼ばれ、競馬ということばが定着するのは892年(平安時代)に成立した『類聚(るいじゅう)国史』ころと考えられています。
なお、この行事は平安時代後期に廃れましたが、以後は春日・賀茂など諸神社の祭儀として引継がれ、京都の賀茂別雷(わけいかずち)神社(上賀茂神社)では五穀豊穰の祈願をこめて現在も5月5日に行われています。

洋式競馬は、1860年(万延元年)にイギリス人を中心とする居留民が現在の横浜市中区元町で催したのが最初です。
1862年(文久2年)には日本初の洋式競馬場である横浜新田競馬場が造られ、1866年(慶応2年)に江戸幕府が常設の競馬場としては初の根岸競馬場(現・根岸競馬記念公苑がある所)を建設して以降は同競馬場において盛んに洋式競馬が行われました。
この頃の競馬は、政財界、あるいは軍や皇室、国賓などの上流階級の紳士淑女の集う屋外の社交場として開催され、やがて洋式競馬を模倣して各地で競馬が行われるようになっていきました。
なお、この時期の競馬において競走馬として用いられたウマは主に日本の在来種およびその雑種でした。

「東京名所 九段競馬(一部)」小林清親 画
「東京名所 九段競馬(一部)」小林清親 画(1881年)出典:原書房

東京では1870年(明治3年)、九段の東京招魂社(現・靖国神社)境内で招魂社競馬が兵部省(1872年から陸軍省)主催で初めて行われました。これが日本人の運営による国内初の洋式競馬で、以降1898年(明治31年)まで例大祭に際して競馬(祭典競馬)が開催されました。

1875年(明治8年)には皇居西の丸に設けられた吹上御苑競馬において、1877年(明治10年)は馬匹(ばひつ/馬のこと)改良を目的として設置されたのが三田育種場競馬で開催されています。

「上野不忍池 春季競馬之真図」歌川国晴 画
「上野不忍池 春季競馬之真図」歌川国晴 画(1885年)出典:artelino-Japanese Prints

1879年(明治12年)、第18代アメリカ大統領グラント夫妻とドイツ・イタリア皇族が来日したとき歓待するために陸軍戸山学校内(現在の東京都新宿区)に馬場を設けて競馬を開催、この年、軍人と軍馬によって行われていた競馬に、民間希望者の出場が許され、民営の共同競馬会が設立されました。
戸山学校の馬場が交通不便なことから1884年(明治17年)に上野の不忍池畔に移転し、1890年には第3回内国勧業博覧会の余興として競馬が開催され、この不忍池競馬は1892年(明治25年)まで続きました。

しかしこうした日本人による競馬は馬券の発売ができなかったため、経済的な理由でおおむね明治30年代には全て廃れたようです。

根岸競馬場での春季競馬
1934年(昭和9年)根岸競馬場での春季競馬の様子。出典:横浜と馬、競馬の歴史

初めての馬券発売を伴う競馬が行われたのは1906年(明治39年)の東京池上競馬からでした。これは、日清・日露の戦争で日本の軍馬が西欧諸国と比べて大きく劣ることを痛感し、軍馬の増産・育成の必要からでした。
この開催が予想をはるかに上回る売上を記録し大成功したことにより、日本各地で公認競馬を開催しようとする動きが起こります。
池上競馬の他に、根岸競馬、目黒競馬、さらに川崎、板橋、松戸(千葉県)、鳴尾(兵庫県西宮市)、札幌、宮崎など各地方の競馬も馬券を発売しましたが、いずれも無制限配当であったため、あっという間にギャンブル性が強まり不正も行われたりと社会的にも弊害が生じ、1908年には馬券発売が禁止されてしまいます。以降は補助金競馬時代となり、競馬は細々と続けられました。

1923年(大正12年)念願の馬券発売を認める(旧)競馬法が成立し、以後何度かの改正を経て、戦後の1954年(昭和29年)に公共性の強い特殊法人日本中央競馬会(略称・JRA、農林水産省が監督)が設立され、現在では日本中央競馬会による中央競馬と地方公共団体の地方競馬という2体系で施行されています。
なお、地方競馬(地方自治体が運営)は、祭礼などの余興として行われていた草競馬の流れをくみ、1910年(明治43年)全国の畜牛馬組合の手で施行されたのが地方競馬の始まりだとか。

ちなみに、馬券(勝馬投票券のこと)は1908年に禁止されるまでは1枚2円と5円の2種、1923年に馬券が復活してからは1枚5~20円で1人1競走につき1枚限り(配当は最高10倍以内に制限、レースが大穴になり10倍配当をしたあとの余剰金は特別配当金として外れ馬券の持ち主に還元されたとか)、戦後は1枚10円(10枚分100円)となり購買枚数に制限なく、配当は無制限となりました。現在は100円から購入できるマーク式馬券(マークシート方式で購入馬を申し込む)となっています。
そして、馬券の発売で場外発売所(愛称・ウインズ)が初めて設けられたのは、1948年(昭和23年)東京銀座でした。

日本中央競馬会(JRA)が行う競馬の競馬場は、札幌(北海道)・函館(北海道)・福島(福島)・新潟(新潟)・中山(千葉)・東京(東京)・中京(愛知)・京都(京都)・阪神(兵庫)・小倉(福岡)の10か所、年間最高288日、約3000レース実施しています。このうち3歳馬限定のいわゆるクラシック競走(桜花賞・皐月賞・優駿牝馬〈オークス〉・東京優駿〈日本ダービー〉・菊花賞)に天皇賞(春・秋)と有馬記念を加えたものは8大競走と通称され最も人気を集めています。
データから見ると、国別馬券売上げで1999年には世界シェアで39.6%を記録し、今でも世界最大の馬券売上げを誇り(2位の英国と3位の豪州の国全体の売上げを足してやっとJRAに肩を並べる数字)、2019年には約3205億円(最高額は1996年の4749億円)を国庫に納入しています。

競馬

競馬とは、騎馬の競走。スポーツであるとともに、馬券による賭が行われるギャンブルでもあります。
やはり少ない元金で大穴が当たれば嬉しいですしね、たぶん自分はトータルでは若干儲けた方ではないかな、と思います。パドック(レース前に出走馬を引いて観客に見せる場所)で馬を見てもよくわからないし、ほとんど感だったのですけど、なので、たまたま選んだ馬は穴馬だったりして。
ちなみに、穴馬とは、競馬のレースで、勝利を予想する多くの人たちの目の“節穴(ふしあな)”の中に潜んでいる馬のこと。つまり、勝利する可能性の低い幾多の駄馬のなかで、最も勝利する可能性を秘めた馬のこと。あるいは勝利する可能性が比較的高いのに、世の中の人々にその実力が知られていない馬のこと。英語のdark horse(ダークホース)は、後者の“知られていない実力馬”といった意味合いの言葉です。
そういう馬が優勝すると配当は高くなるので、少ない元金で大きい稼ぎを手に入れたいギャンブラーは穴馬に賭たがります。しかし、そんなギャンブラーたちが、“穴馬はこれだ”と事前に盛んに喧伝するので、結局、「穴馬」を買っても大した稼ぎにならないのが実情です。したがって、真の意味での「穴馬」は、最初に定義した通り“バカなギャンブラーたち目の節穴の奥に潜んでいる馬”ということになるかも。
最も勝利する可能性が高いと多くの人に考えられている、あるいは多くの人に期待されている本命は、ちょっとケチなヤツが賭ける馬(どケチは競馬なんかやらない)、二番目に勝つ可能性の高い馬である「対抗」は多少すけべ心があるヤツが賭ける馬、もしかしたら勝つかもしれない穴馬はただのバカか(自分か?)裏情報に詳しいギャンブラーが賭ける馬、でしょうか(笑。

出典:競馬(けいば)
出典:競馬
出典:日本中央競馬会
出典:競馬の歴史 (日本)
出典:日本語を味わう辞典

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