華麗なるアール・デコの化粧パッケージ
第一次世界大戦が終わり、1929年の世界大恐慌までを彩る「狂騒の1920年代(黄金の20年代)」。
アメリカの経済的躍進に牽引され、自動車やラジオのような多くの現代技術が広がり、ジャズやアール・デコが隆盛を迎えていました。
アール・デコ(仏: Art Déco)とは、アール・ヌーヴォーの時代に続き、ベルギーに端を発しパリ・ニューヨークを中心に1910年代半ばから1930年代にかけて流行した、幾何学図形をモチーフにした記号的表現や、原色による対比表現などの特徴を持つデザインと建築の様式です。
そう、F・スコット・フィッツジェラルド原作の映画「華麗なるギャツビー」にでてくる豪華絢爛でデカダンなソワレを繰り広げていた時代です。
そんな狂騒の時代、新しい文化や技術が伝統的な常識を打ち壊し新たな道をひた進もうとしていた頃、世をリードする偉人やアーティストたちが「悦楽の華」ともいうべき時代を謳歌していた黄金期であり、世界の建築、美術、ファッションなどに影響を与えました。
女性のファッションにも大きな転換が訪れました。お固いヴィクトリア朝ファッションからコルセットを外し伝統的な女性観を覆す、腕や足を露出させた細身の膝丈のドレスを着用した「フラッパー(当時、流行したファッション、生活スタイルを好んだ“新しい”若い女性)」と呼ばれるライフスタイルを持つ女性たちが現れます。
そして、それまで芝居役者や娼婦と関連付けられていた“化粧品”もこの時代に一般女性を対象に販路を拡大していきます。当然、パッケージデザインも大きな進化を遂げました。
1920年以前の化粧品パッケージデザインは文字表現が多かったようですが、直接的な人物や顔がそのものがデザインされ求める女性のイメージを表現する傾向になりました。写真複製の技術が未熟な時代なので、イラストレーションによる表現が主流です。
化粧品の始まりは洋の東西に関係なく“白粉”から出発しています。美しくなることは白い肌になることであったのか、白粉に対する思い入れは特別なものが感じられパッケージにも現れているのでしょう。まるで、手に取る女性たちに美しくなる事を約束してくれるような魔法の粉が入っています、といった趣がある彩り豊かなパッケージです。
日本では、いちはやくアール・デコのデザインをパッケージや広告に取り入れ、女性へ向けてアプローチしたのは資生堂でした。1897年(明治30年)には「オイデルミン」という“資生堂の赤い水”と呼ばれた化粧水が発売されています。
以降、日本と欧米の化粧品の歴史にはあまり差異はなく、パッケージデザインの傾向も同時進行していきました。
この時代、「大正デモクラシー(1910年代から1920年代にかけて自由主義的な運動、風潮、思潮の総称)」の波の中で「モボ・モガ(モダンボーイ・モダンガール)」と呼ばれるオシャレな男女が登場してきます。
華やかでエレガントなデザインでパッケージングされた化粧品、1920年代の古い社会の価値観を一新させた時代背景から生まれたものだったのですね。
そして、パッケージデザインを現代と比較する限り、今のが優れているかどうか考え込んでしまいます。
しかし、こうした華やいだ時代は1929年の世界恐慌の始まりにより、黄金の20年代と共に、約25年間に及んだアール・デコも1930年代終わりに終局を迎えました。
アール・デコに関しては、続く25年間、世の中からの関心は完全に消滅してしまいました。それから1960年代半ばに至り、評論家やコレクターが再発見し始め、このネオ・アール・デコのリバイバルが最高に達したのは1970年半ばのことでした。
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