チープなイメージがあった庶民の食べ物「ラーメン」
ラーメンとは、構造物の柱や梁など部材間の結合が外力を受けたのちも変化しないように接合されている鉄筋コンクリート造の骨組み…ですが、こちらではなく、細ひも状に伸ばした麺とスープ、チャーシューやメンマなどさまざまな具材を組み合わせ、日本で独自に発展を遂げ国民食になっちゃった麺料理の、多分みなが大好きなラーメンについて書こうかと思います。
日本語のラーメンは、中国語の拉麺(ラーミェン、みたいな発音)から来ていると考えられていますが、拉麺は手延べ式の麺のことを言い、現在の中国料理店には「拉麺(簡体字で、拉面)」というメニューはあまりみられません。台湾あたりではむしろ「拉麺」は、「日本拉麺」「日式拉麺」などと書かれるまでもなく、日本のラーメンのことだという認識で一致しているようです。
日本のラーメンに近い中国の麺料理は「湯麺(タンミエン、みたいな発音)」で、日本でも本格的な中国料理店では「湯麺」という名前でメニューに載っていることが多いです。日本でタンメンというと、ラーメンとはちょっと違う(もちろんタンミエンとも違う)塩味の野菜入りそばが出てくるので、事情は複雑かも(余計なことを考えなければ複雑でもなんでもないですが)。
漢字では拉麺、老麺または柳麺とも表記され、ほかに中華そば、支那そば、南京そばなどとも呼ばれます。
日本の麺料理は、当初普及したのはうどんや蕎麦でした。ラーメンのようなものが採り入れられたのは明治初期の長崎で、「支那うどん」として提供されて各地の料理店に広まり、これが長崎名物「ちゃんぽん」となりました。
ラーメンの原型が登場するのは、1910年(明治43年)東京浅草で開業した来々軒において作られた鶏ガラ醤油スープの「支那そば」で、お馴染みのシナチクもチャーシューもなくほぼ具無しだったそうですが人気を博しました。
来々軒の支那そばは、当初手延べ麺(つまり麺棒を用いずに両手に持って細く引き伸ばしてつくる拉麺)でしたが、あまりに流行ったものだから、昭和の初期には大量に製麺できる機械打ちの切り麺にしたようです。そして安価で提供していたため連日店前に行列ができ、その人気は1976年(昭和51年)に閉店するまで続きました。
支那そばの人気が高まると、続々と庶民的な中華料理店が開店し、ラーメンは餃子や焼売などとともに、定番メニューとして広まっていきました。
なお、日本でラーメンの導入が、うどんや蕎麦に比べて遅れたのは、梘水(かんすい/アルカリ性の水)を加えて麺をつくることもそうですが、この麺に合わせる獣肉系(特に豚)のスープを取る習慣がなかったことが原因ではないかと考えられています。
ちなみに、日本で始めてラーメンを食べたのは1697年(元禄10年)あの時代劇で有名な水戸黄門ではなく毒見役(たぶん)で、水戸黄門は惜しくも2番目(ではないかな)に食べたと言われています。ただし、梘水を使わずに蓮根をつなぎに使用したとの記録が残っているため、ラーメンでは無いとする意見もあります。
ところが、2017年に見つかった資料によると、室町時代の1488年に僧侶の日記『蔭涼軒(いんりょうけん)日録』から、小麦粉と梘水を使用していた「経帯麺」という料理が振る舞われた記述が発見されたことから、これがルーツとも考えられています。
支那そばの人気から明治末には、冬の夜の夜鳴き蕎麦や夜鳴きうどんのようにラーメン屋台が登場し、肉食系のその味が酔っぱらいを主とした庶民に普及しはじめます。
「ドレミーレド、ドレミレドレー」というチャルメラ(ラッパに似た木管楽器で安土桃山時代にポルトガルから伝来)を吹きながらの客寄せは、明治30年代の横浜で使用され始め大正時代には東京でも定着しました、が今や幻の音となっています。
そのラーメンが日本で爆発的な人気を得るようになったのは、関東大震災(1923年/大正12年)、太平洋戦争という二大災害を契機としているようです。
戦後には引揚者によるラーメン屋台が全国に出現、国内にラーメンが広がるきっかけとなり、手軽に食べられるうえに安価で温かく、うどんや蕎麦と違って脂っこいラーメンは栄養失調気味の庶民にうってつけの食物でした。
「ラーメン」という名称は、時代とともに南京そば→支那そば→中華そば、と呼称は変遷してきて、大正から昭和初期に登場したらしいですが、その起源は明らかではないようです。ただ、呼び方を広めたのは1958年(昭和33年)に日清食品が発売した世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」とも言われています。
なお、現存する最古のラーメン店は、1914年(大正3年)に開店した東京市日本橋区茅場町(現・中央区日本橋茅場町)の「大勝軒(現・新川大勝軒飯店)」とか。
ラーメンが「日本食」と認識されるまでになったのは、専門店として増えたからかもしれません。日本の外食文化の特徴は、総合店(フランス料理店とか中国料理店のような)と比較して専門店の多さにあります。寿司、天ぷら、蕎麦、うどんなどは、江戸時代に屋台販売から発展して専門店を構えるようになった代表的な日本食ですが、ラーメンも時代を下るなか似たような経緯をたどっています。
専門店の場合、一点の料理に拘ることができ、加えて他店と味を競って追求できるので安くても美味しい料理が生まれやすいようです。特にラーメンの場合、一定のルールの中でその店独自のバリエーションを発揮できるので、まるでスポーツの試合や文芸作品のコンテストのように、消費者(江戸の大衆文化を築き上げた貧乏で聡明な一般消費者)が審査員となって優劣を判断できる点が、値段が高くなり庶民がおいそれと通えなくなった寿司、天ぷら、ルールが狭い範囲で固定化してしまった蕎麦・うどんなどと違い、これほどの急激な盛況につながったのだと考えられます。
しかしながら、専門化すれば、自然と材料費も時間もかかり、スープを取る食材は元よりチャーシューもいいものになっていくので、必然的に高くなっていくのは当然のことで、今や1000円以上も当たり前になっています。
ラーメンというと、小さい頃は出前でとって食べたりとか、あとは仕事で神保町に行った時に確か350円(当時近辺でここが一番安かった)のラーメンがあったりとチープなイメージがあったのですが…。
ちなみに、「国や東京都による統計資料」による中華そば・ラーメンの平均価格は、1962年(昭和37年)は48.5円(この年からデータがある)、1965年は62.9円、1970年(昭和45年)は96円、1975年は211円、1980年(昭和55年)は311円、1985年は383円、1989年(平成元年)は437円、1993年は484円、1998年(平成10年)は515円、2003年は561円、2008年(平成20年)は588円、2021年の現在は603円になっています。バブル崩壊した1992年を450円とすると1962年から30年間で約9.2倍(サラリーマン年収は約11倍に上昇)、1992年から現在の29年間では約1.3倍の上昇(サラリーマン年収は2001年をピークに減少傾向)、つまりバブル崩壊後にいかに物価が上がっていないかがわかります。なお、都市ランキングでは広島市の748円が1位でした。(出典:総務省統計局:小売物価統計調査による価格推移)
なのでやはりラーメン一杯1000円以上は高い(一概に言えませんが)、なんて思ってしまいますが、日本は約30年も経済が停滞しその間に価格は様々上り…、仕方ないとはいえ遣る瀬無い気持ち、です。
自分なんて、昭和な雰囲気がある町中華の、昔ながらのあっさりしてシンプルな醤油ラーメンで十分満足なんですけどね。
出典:ラーメン/コトバンク
出典:ラーメン
出典:日本食ラーメンの歴史
出典:日本語を味わう辞典
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