昭和レトロな玩具・家電・雑誌・家具・建物などなどをご紹介

何気ないコミュニケーションがあった「商店街」

何気ないコミュニケーションがあった「商店街」

商店街というと、小さい頃によく買い物に行かされ、何かおまけをもらったり、金額をまけてもらったりと、何気ない温もりのあるコミュニケーションがあり楽しかった思い出があります。
近頃、そんな商店街もすくなくなりましたが、つい先月に商店街がまだまだ元気で活気のある阿佐ヶ谷に行く機会があり、昔懐かしく思い、商店街について調べてみました。

「東都名所 駿河町之図」歌川広重 画
「東都名所 駿河町之図」歌川広重 画(1836年)出典:メトロポリタン美術館

錦絵では、三井越後屋は道路の両側にありますが、現在この道路は三越本店と三井住友銀行の間を常盤橋の方へ向う道路で、手前の左右へ通じる道路が中央通りで、左の方が日本橋方向です。駿河町の名は、富士山がよく見えたところから付けられたといいます。

商店街とは30以上の商店が連続して集まる地区をいうそうです。
商店街の歴史には、平安京の町割や江戸時代の城下町・宿場町・門前町など、いくつかの起源があるようですが、安土桃山時代(戦国時代後期)の楽市・楽座か、近世初期までは市(いち/不定期の仮店舗)が優位にたっており、常設店舗が主体となる近世中期(江戸時代前期)以降ではないかといわれています。

最初の店は、家の街路に面した壁に窓をあけ、ここに棚を据えて品物を置く簡素なものでした。「みせ」は「店」と書きますが、元来品物を「見せる」ことに由来する「見世」で、寺院の門前町などで商品の中身を見せて(展示して)販売する商店街は仲見世(仲見世通り)とも称されました(東京・浅草寺の仲見世通りなど)。

浅草の仲見世商店街
浅草の仲見世商店街

本格的な成立期は明治から大正時代で、「商店街」という商業集積としての“場”が一つの買い物空間として認識されるようになるとともに、「商店会」などの名称で商店街単位の組織が成立していきました。

東京・御徒町の佐竹商店街
東京・御徒町の佐竹商店街

なお、日本で2番目に古いと称している東京・台東区御徒町の佐竹商店街、江戸時代から100年以上の歴史を持ち、明治時代に今の地へ移転、1894年(明治27年)に組合を結成しました。しかし、東京の一等地にありながら高齢化と空洞化が進み最盛期の面影はありません。
一番古い商店街は1890年(明治23年)に組合を作った金沢市の中心街の片町商店街になります。

そして、戦後の復興とともに1950~70年代には商店街が全盛期を迎えますが、繁栄は長くは続きませんでした。
1960年代以降に、移動手段が鉄道やバスから自家用車へ変化、またダイエーをはじめとするスーパーが急成長を遂げた時期でもあり、人々は駐車場があり目新しい商品を多く扱う大型店へと流れていきましたが、実際には大型店に出入りする買い物客による回遊効果も大きく、共存関係があったようです。
ちなみに、日本初のショッピングセンターは、1964年(昭和39年)大阪府豊中市にオープンした「ダイエー庄内店(現・グルメシティ庄内店)」になります。

八百屋
八百屋
惣菜屋
惣菜屋
魚屋
魚屋
店先の釣り銭カゴ
店先の釣り銭カゴ

その後、2000年(平成12年)大規模小売店舗法が改正され、ショッピングセンターや総合スーパーが中心市街地から広大な土地を求めて郊外へ進出するようになると、地元商店街や地元中小スーパーの来客数が減少し、閉店が相次ぎました。
その結果、市街地のドーナツ化現象や、中心市街地の空洞化、さらに急速な高齢化と人口減少や人口流出による市場の縮小も影響し、特に地方の近隣型商店街が衰退していきました。加えて、大型店やチェーンストアが必死に企業努力を重ね顧客に近づく間に、商店は自助努力を怠り、市場の変化を見過ごしてしまったという事もあるようです。

実際に「商店街実態調査報告書」による景況感の調査でも“繁栄している”という自己評価をもつ商店街の割合は、1970年(昭和45年)の39.5%から1985年に11.1%、1990年(平成2年)に8.5%となった後、1990年代半ば以降は2%前後で推移し、2012年(平成24年)にはわずか1.0%にまで落ち込んでいます。

アメ横商店街
アメ横商店街

地方では1980年代後半頃からシャッター商店街が増え、おそらく大都市圏との二極化が進行していくのかもしれません。
しかし、商店街はなくてもよいのか、というと、生鮮食料品を全国チェーンの郊外大型ショッピングセンターで買った場合、国内他地方や外国産が多いため出費の8~9割が域外に流出し、地元商店街での買い物金額5~6割が地元で還流されるとの分析結果があるように、商店街は地域住民との共有財産だという意識が求められるかもしれません。
また、ネット通販、スマートフォンなど、いわゆるテクノロジーの発展は“人間の心”をどんどん空虚なものにし、他者との距離が生じます。その傾向が強くなればなるほど、商店街が本来持っている“人間どうしの温もりのある触れ合い”が貴重になり、商店街がたとえ縮小したとしても、“ネットには生み出せないもの”を発信していけば独特なポジションを確立できると感じます。
でもそれは、経営者の高齢化による後継問題、コミニティ構築、空家活用など課題が多岐にわたります、が商店街を無くしてほしくはないですよね。

出典:商店街
出典:商店
出典:ショッピングセンター

テキストのコピーはできません。