昭和レトロな玩具・家電・雑誌・家具・建物などなどをご紹介

暮らしに欠かせない当たり前のサービス「宅配便」

暮らしに欠かせない当たり前のサービス「宅配便」

宅配便というと少し違うけれど、以前に諸々の事情により急に引っ越しが決まり、時期は確か引っ越し繁忙期の3月下旬、全ての業者に見事に断られ、なぜか赤帽さんに頼んだことがあります。その時ですが、部屋の広さや荷物の分量から赤帽さんが5台も来てくれて、もちろん人数も5人なので非常に手際よく早く、しかも通常の引っ越し業者と値段も変わらないか安かったか、とても助かった思い出があります。
赤帽さんは単身者向けのようですが、荷物がたくさんある家族でも困った時にはよいかもと感じました。

ということで、宅配便について調べてみようと思いますが、話ついでに名称が2つ(実は知らなかった)ある「赤帽」さんについて。

1967年、上野駅の赤帽さん
1967年(昭和42年)「蒸気機関車/キネマ旬報増刊」上野駅の赤帽さん。出典:Flickr

一つ目の「赤帽」は、鉄道の駅構内や連絡船内などで旅客の依頼する手回り品を運搬する業者や人のことで、欧米のporter(ポーター)に倣い1896年(明治29年)に山陽鉄道(1906年に国有化)の各駅に「荷運夫(にはこびふ)」を置いたことが始まりとされます(これより早く関西鉄道が導入していたとの説もあります)。その後、官鉄(のち国鉄→JR)がこれに倣い1897年に「手荷物運搬人」の構内営業許可を出し、新橋駅を皮切りに主要駅に広がっていったようです。その時、目印として赤い帽子を被っていたことから赤帽と呼ばれるようになったと言われています。しかしながら、1970年代以降キャスター付きバッグが普及したことで衰退し、2006年(平成18年)に最後に残った岡山駅での廃止をもって鉄道の赤帽は営業終了したそうです。

スバル・サンバー赤帽車プラモデル
1983年(昭和58年)と1999年(平成11年)のスバル・サンバー赤帽車プラモデル。出典:amazon

もう一つの「赤帽」は、1975年(昭和50年)に軽運送業として誕生、1978年に軽自動車を用いた運送事業者により構成された協同組合として設立した「全国赤帽軽自動車運送協同組合連合会」の通称「赤帽」で、初代会長が鉄道の赤帽(ポーター)の働く姿に感銘を受けてその名称を付けたとされます。
主な業務は、宅配便の末端配送下請け(宅配便は事実上行っていないとか)、緊急貨物の配送、ルート配送・定期便に代表される貸切便、単身者や学生さんなどひとり暮らしの方の引越作業など。そして基本的に運転手は個人事業主なので、宅配便では送ることのできない大きな荷物の輸送運搬や分割配達、細かな時間指定など各自が自由にサービスの設定ができるとか。

1960年、ディーゼルトラック急行便
1960年(昭和35年)ディーゼルトラック急行便(いすゞ自動車)。出典:Flickr

宅配便はどうかというと、このサービスが登場する前まで個人が荷物を送るには、郵便小包(現・ゆうパック)か国鉄小荷物しか方法がなかったようです。明治時代から、それらはあったようですが、1927年(昭和2年)鉄道省と運送業者が始めた集荷・配達を行う特別小口扱(宅扱)が日本最初の宅配便とされています(1942年に廃止)。

民間では1973年(昭和48年)石油危機以後の日本経済が低成長状態に入った後に、東北地方の中堅トラック輸送企業である三八五(みやご)貨物自動車運送(現・三八五流通)によって1974年に初めて開始され、1976年には大和運輸(現・ヤマトホールディングスのヤマト運輸)が「宅急便」のサービス名で、1977年には「ペリカン便」(日本通運、2010年に日本郵便のゆうパックに統合[空路経由のものは継続])、1981年(昭和56年)には「フットワーク」(全日本流通、2002年退出し2006年にアート引越センター傘下へ)などがこれに続き、一時は36業者(2001年度)に達しました。

その後、縮小し2020年度は21業者になってしまいましたが、宅配便取扱個数は毎年拡大し統計がある1992年の約4.1倍に増大しています(国土交通省:令和2年度宅配便等取扱個数の調査及び集計、調べ)。
余談で、2020年はBtoCの物販系EC市場やCtoC(メルカリやオークション等の個人間売買)は前年比大幅に増加しており、2021年度も拡大したと思われます。(ただし、近いうちに減少に転じると考えられます)

1965年、大和運輸のトラック定期便
1965年(昭和40年)大和運輸のトラック定期便。出典:Flickr

業界1位のヤマト運輸は1919年(大正8年)設立、1976年(昭和51年)関東地方を対象にした「宅急便」サービスを開始しますが、初日の取り扱いはわずか11個だったようです。

クロネコヤマトの10tトラックとウォークスルーW号車ミニカー
クロネコヤマトの10tトラックとウォークスルーW号車ミニカー。出典:画像

“クロネコヤマトの宅急便”のCMで有名ですが、「宅急便」というのはヤマト運輸が独自に提供している宅配便サービスの商標で、宅配事業全般は「宅配便」と言うとか。

宅配便の特徴は、輸送単位が慣習的に重量30kg以下(法律として宅配便が定義されている訳ではないらしいので概ね)の小口荷物を町の取次店などで受け付け、明解な料金体系の運賃で迅速に受取人戸口まで輸送するところで、ヤマト運輸でいうと1983年スキー宅急便・1984年ゴルフ宅急便・1987年クール宅急便・1997年クロネコメール便・1998年に時間帯お届けサービスや2002年メール通知サービスなどなど多様なサービスが生み出されました。

2020年時点で宅配便市場は、ヤマト運輸「宅急便」約44%、佐川急便「飛脚宅配便」約28%、日本郵便「ゆうパック」約23%でこの3業者で約95%、メール便のシェアでは日本郵便「ゆうメール」とヤマト運輸「クロネコDM便」の上位2便で約97%を占めていて寡占体制となっています。
なお、業界2位の佐川急便は1965年(昭和40年)に設立され、1998年(平成10年)に宅配便「佐川急便(現・飛脚宅配便)」を開始しています。また、2007年(平成19年)の郵便事業の民営化により「ゆうパック」が宅配便に数えられるようになりました。

配達伝票と配送トラック

今や暮らしに欠かせないサービスの宅配便は、ヤマト運輸が宅急便という商品名で参入してから大衆化した輸送サービスといわれ、世界的に見ても優れているようです。
その“当たり前のサービス”の裏には当時の運輸省・郵政省という国家権力による妨害や金で政治家を取り込んだ競合他社(サ)との壮絶な戦いがあったのですけどね。高杉良氏の経済小説『挑戦つきることなし』(改題・小説ヤマト運輸)に描かれていますので、日本における宅配便のパイオニアとして、この小説はおすすめです。

ということで宅配便とは、荷物を指定日までに配達することを約束して本当にその日までに配達し、消費者を驚かすことを使命としている運送業者の運送システムのこと。このような宅配便の日時の正確さは、人気のないところを走っているとき山賊に襲われる心配のない日本ならではの事情によるもの、かもしれない…。

そして近未来、自動配送ロボットによる商品配送サービスが当たり前になっているでしょうね。

出典:赤帽
出典:全国赤帽軽自動車運送協同組合連合会
出典:宅配便
出典:ネットショップフォーラム
出典:ヤマト運輸
出典:宅急便のこれまでとこれから
出典:日本語を味わう辞典

テキストのコピーはできません。