「ブランコ」で元気に遊ぶ子どもたちの姿は見られなくなる!?
子どもの頃に遊んだ公園の遊具はというと、ブランコを思い出すことも多いですよね。思い切り足を踏み込んで、空に向かってブランコを漕ぎ出すときの浮遊感やスリルは、なんとも爽快で心地よいものです。
小さい頃は、ヤンチャで膝小僧はしょっちゅう赤チンだらけでしたが(汗。そんな公園の遊具やブランコについての話です。
そのブランコの歴史は以外に古く、日本へは平安初期までには大陸から伝わったとされ、宮中で盛んに行われたようです。
平安前期の勅撰漢詩文集『経国集(827)年)』には、嵯峨天皇の時代に女官が「鞦韆・秋千(しゅうせん)」と呼ばれるブランコに乗って遊んだことが記されています。
平安時代中期に作られた辞書『和名類聚抄(931-938年)』には「由佐波利(ゆさはり/座る板のない、木からつるした1本の綱につかまって動くもの)」の記述がみられ、当時の貴族階級の間での流行ぶりが示されています。
なので古くは「ゆさはり」「ゆさぶり」、のちに「ふらここ」とも呼ばれ、「ぶらんこ」と呼ばれるようになるのは江戸時代になってからで、子どもの遊び道具として普及しました。
名前の由来は諸説あり、ぶら下がる様子を表す“ぶらん”が変化したポルトガル語の「balanço(バランソ/揺れとか振動を表す。英語のバランス、swing・スイングの意もある)」が語源だといわれています。
起源は、メソポタミア(紀元前3000年紀中ごろのマリ)かインド(紀元前2000年紀後半のベーダ時代)となっていて、まだ定かではないそうです。それらのほとんどは豊穣儀礼にその根があり、宗教的意味をもっていたようです。
そして、ブランコは洋の東西を問わず古くから女性の遊戯とされてきました。
現在のような遊具が日本に入ってきたのは、幕末から明治初期にかけてのこと。
幕末、開国を迫るアメリカに対し、国防の必要性を強く感じた徳川幕府は、西洋式軍事技術の採用を決め、陸軍が仏式調練、海軍は英式調練を行うことになります。この調練のひとつに「体術(体操)」があり、棒高跳・棒幅跳といった訓練項目に混じって、ブランコが使われたとされています。明治時代のブランコは、子どもの遊びに特化したものではなかったのかもしれません。
訓練目的に使われた遊具は、教育現場にも用いられるようになります。1868年(明治元年)には慶應義塾大学の新銭座塾舎(現・港区浜松町)にあった中庭を運動場として“ブランコを造りて盛んに運動をさせた”との記述より遊具を設置していたことがわかります。
日本で最初に設立された幼稚園の東京女子師範学校付属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)には、1876年(明治9年)に“すべり台”が設けられました。
学校教育における体操は1873年(明治6年)より始まりました。このおもちゃ絵は、男子生徒たちが棒高跳び、木馬、平行棒、ブランコ、吊り輪、回転塔、鉄棒などの器械体操に取り組んでいる図です。
1886年(明治19年)になると、尋常小学校では遊戯と軽体操、高等小学校では兵式体操が必須科目となります。富国強兵が掲げられたこの時代、体操は体力を増進させるとともに集団行動における規律性を高めるのに有効とされました。
なお、運動会が始まったのも明治時代で、全国の小学校へは1887年(明治20年)前後に普及しました。
公園では、日本で初めて1873年(明治6年)寛永寺に上野公園と、1876年(明治9年)増上寺に芝公園などが指定されます。初めて“公園”という言葉が使われたのも、この時です。その後も各地に公園が整備されていき、遊具が登場するのは、1879年(明治12年)上野公園の体操場へ、木馬、梯子などの遊具が設置され、以後は各地に遊具が整備されていきました。
しかし、最近公園に行っても、昔遊んだ遊具を見かけなくなり、公園によっては鉄棒くらいしかないというケースもあります。
かつては当たり前に設けられていた遊具、大型ブランコで“ゆりかごブランコ”あるいは“安全ブランコ”とも呼ばれている「箱型ブランコ」、金属パイプの骨組みでできたジャングルジムを球形にして回転する「回転ジャングルジム」、長い板の中心を支点にして両端にそれぞれ人が乗り上下運動を繰りかえして遊ぶ「シーソー」、太い丸太などの両端を支柱や梁などに固定した鎖で地面すれすれに水平に吊り下げた大型の遊具の「遊動円木」、ぶら下がって遊ぶスリル満点の回転遊具だった「回旋塔」、といった動きのある遊具が姿を消しているようです。
動く遊具が消えた理由のひとつは、遊戯中の事故の増加、たとえば、箱型ブランコ(1960年頃に登場したようです)は1996年から2000年代初頭の事故が数多く発生し死亡者も出ています。昭和60年頃から子ども(小学生・中学生)の体力や運動能力や反射神経の低下傾向が続いている事(文部科学省調べ)による要因や、意図しない利用によって負傷することも多いそうです。
また、多くは1970年頃に設置されたものなので、遊具の老朽化により、2000年代初めから撤去する自治体がしだいに増えたいったようです。
他にも、ブランコ・すべり台・砂場は、1956年(昭和31年)に制定された「都市公園法」により児童公園に設置が義務付けられ“公園の三種の神器”とまで呼ばれるようになり、どの公園でもわりとよく見かけたのですが、1993年(平成5年)にこの規制は廃止され、公園で人気のあるブランコも、少しずつ撤去の動きが出てきています。
つまり、行政は“誰もあまり文句を言わないという意味での公共性を確保する”、といった運用から、リスクのある動く遊具を消していき、加えて、1993年の都市公園法施行令改正により「児童公園」の名前が消えたことも後押しとなり、公園はあまり何もない空間になっていきました。動きのある遊具は、公園から全体的に撤去していくのが行政の方針となっているかのようです。
しかし、成長しなければならない存在である“子ども”は、成長の過程でチャレンジすること、そして、危険感知能力などの発達を促す失敗(多少の怪我)をすることも必要で、リスクを“悪いもの・排除するもの”と単純にとらえることはできません。
国土交通省の指針の理念“子どもが遊びを通して心身の発達や自主性・創造性・社会性などを身につけてゆく、「遊びの価値」を尊重しつつ、遊び場の安全確保を行っていく”とあります。
しかしながら、日本の遊び場の安全に決定的に不足しているのは、維持管理の合理的なシステムと人材不足にあるようです。また、魅力的な新しい遊具の設置の妨げになっているのは、怪我等の発生時の責任の所在であると言えます。
ですがもう、それを通りこして現在の少子高齢化により、健康に気を使う中高年やシニア層による、ジョギングや軽い運動をするための公園として変わりつつあり、遊具で元気に遊ぶ子どもたちの姿は、近い将来見られなくなるかもしれません。
-
前の記事
70年代の「アニメ」は夢があってエキセントリック! 2021.01.15
-
次の記事
商業主義になった「オリンピック」や夏季東京五輪について 2021.01.24