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大工の神様や歴史、種類などなど

大工の神様や歴史、種類などなど

大工職人だったじいちゃんが使っていた家屋造作雛形(昭和25年/袋綴・背糸綴本)、日本伝統建築の知恵が凝縮された住宅図案集(全182園に渡る雛形が記載)です。
大工を、じいちゃんも言ってた江戸の発音“デエク”、そんな大工にまつわる話です。

大工の歴史と神様

大工道具の「差し金(さしがね)」を考案したといわれている聖徳太子、1400年前の飛鳥時代にまでさかのぼるといわれています。
「差し金(さしがね)」という道具は、水平垂直みたり長さ測ったり勾配を出すなど計算尺のようにも使えるもので、「差し金無くては雪隠も建たぬ(差し金がなければトイレすら建てることができない)」という“ことわざ”にあるように大工の大切な道具です。
この時代、組織された建築技術者の階級を示していた、土に関わる職人を「左官」、木に関わる職人を「右官」と呼んでいたそうです。

後に中世以降、聖徳太子は「差し金(曲尺)」を考案した以外に、「曲尺(かねじゃく)」の単位を1尺(30.3cm)に統一、世界最古の木造建築として知られる法隆寺をはじめとする寺院の建立、建築に携わる職人の育成や組織づくりに努め、「大工の神様」として祀られます。

聖徳太子
「大工の神様」聖徳太子の掛け軸
法隆寺夢殿
法隆寺夢殿 739年(天平11年)

奈良時代に入ると、「右官」は「大工(おおいのたくみ)」という名称に変わり、職人を統率する“長”という位置づけで使われるようになります。
ちなみに“次長”は、「少工(すくなたくみ)」と呼ばれていたそうです。

室町時代には、統率者に対して「棟梁(とうりょう)」(建築構造のかなめとなる部材の名称から発生)、全ての建築に関わる職人たちを「大工」と呼ぶようになり、江戸時代になると需要も増え大工の仕事も細分化していき宮大工や船大工など専門職種が登場しました。

江戸時代、大工をはじめとする職人の仕事の種類は140種類もあったといいます。
とりわけ、大工、左官(壁などを塗る職人)、鳶(建設現場の高いところで作業をする職人)は「華の三職」と呼び、花形職人としてもてはやされたそうです。
10数年かけて一人前の大工になると、給料は一般の職業の2倍、そのうえ実労働時間は4時間程度。さらにこの時代、江戸は火事が多く大工は大忙し、引っ張りだこの職業だったのでしょう。当然遊びも派手に、粋でいなせで気風がいい“江戸っ子は宵越しの銭はもたねえ”となります。

大工の種類は多彩

宮大工…神社仏閣の建築・修繕などを手がける大工で地方によっては寺社大工とも呼ばれます。高い技術が要求される分野で、釘を使わずに接木を行う「木組み」など伝統的な技法を多く使います。

家屋大工…一般的な木造家屋を専門とする大工で、大工さんといえば家屋大工を指すことが多いです。家大工・木造大工・住宅大工とも呼ばれ、家屋の上棟から最終仕上げまでの木工事全般を担います。

数寄屋大工…茶室を専門とした大工を指します。木造軸組工法などの専門技術とともに、茶道についての知識や侘寂や粋を感じる感性とそれを建物に反映する高度な技術を要求される大工です。また、茶室の炉(ろ・いろり)を専門に手がける職人は、炉壇師(ろだんし)と呼ばれます。

造作大工 … RC構造(鉄筋コンクリートを用いた建築の構造もしくは工法)の、柱などの主要構造部分以外である壁や床、窓枠などを専門とする大工。

型枠大工…コンクリートの型枠を形成するだけでなく、鉄筋・鉄骨コンクリート造のビルや橋、トンネルや高速道路など、大型建造物の骨組みをつくる重要な役割を担っています。

建具大工(表具師/ひょうぐし)障子やふすまなどを製作する大工、家具大工(指物師/さしものし)家具全般を製作する大工、船大工(船番匠/ふなばんしょう)船、特に和船をつくるのを専門とする大工、など。
出典:大工

今も生きつづける儀式

釿始(ちょうなはじめ)式

職人たちの正月の仕事始めとして、一本の大きな材木を昔ながらの道具を使って、切り、測り、削り、仕上げる一連の所作を行う儀式で、その年1年の仕事の安全や繁栄を祈願します。鎌倉時代に始まったとされ、全国各地の神社などで1月5日ごろに行われる年中行事になっています。
釿(ちょうな)とは、手斧ともいい、材木の表面を削るための工具です。古い民家の大黒柱やの表面が少しゴツゴツとしているのは“釿”で削った跡で「釿目(ちょうなめ)」と呼ばれています。
出典:釿始式

太子講(たいしこう)

聖徳太子の命日、2月22日(旧暦/地域や組合によって異なる)に、大工をはじめ、曲物師、鳶、左官、建具屋、鍛冶屋、畳屋などの職人が集まり、太子像を祀り、飲食や会合などを行い、それぞれ同業者集団として結束をはかるための行事です。
ちなみに、東京世田谷の「太子堂」は、聖徳太子を祀った太子堂があることから来ています。
出典:太子講

最後に

小さい頃、実家の庭でじいちゃんが、長い材木に墨壷で線を引いたり、鉋(カンナ)で木材の表面を平らに削って綺麗に仕上げたり、鑿(ノミ)で木組みによる複雑な継ぎ手を作りそれがあれよあれよと組みあがっていく様子など、まるで魔法のようで面白かった思い出がある。

家屋造作雛形
家屋造作雛形(昭和25年/袋綴・背糸綴本)

日本は四季がはっきりしていて温暖湿潤気候、しかも地震が多いので、冬は乾燥し隙間ができ夏は湿気で膨張する木材による木組み構造の建物は理にかなっていると本で読んだ。
そして地震に関しても、ゆらゆらと揺れても木と木の結合部分にはほどよく遊びがあり、傾いたとしても倒れない。1400年以上の歴史を誇る法隆寺五重塔をはじめ、800年近い歳月の三十三間堂など地震で倒れたという記録はいまだにないそうだ。
ここには日本人の独特な自然観“自然には逆らわない・自然は征服できない”という考え方が、昔はあった。

ところが、最近の建物は地震が起きるたびに倒壊が多くみられる。使い捨て文化スクラップ&ビルドによる日本の風土に合わない建物を造ってきたのだから、ツケが回ってきたのだろう。

日本の家づくりの伝統技術は、明治以前・以後で断絶していることが分かってきたという。
現在使われている「在来工法」には西洋のセオリーが混入し、日本独自の伝統構法とは別ものになってしまったという。
そもそも、在来工法というのは、和洋折衷の工法なのです。日本の家づくりの伝統は、明治以降様変わりしています。“列強諸国に恥じない文化を”ということで明治政府が西欧諸国から建築家を召喚しました。この時に日本の伝統の木組みの良さが失われ、家づくりの在り方が路線変更を余儀なくされたのです。

出典:【木組みの家①】

今、「木組み」が見直されていると聞く。しかし、工費や工期の問題、それを出来る職人さんも少ない。
せめて日本が誇る1,000年以上の歴史を持つ建築技術・文化を、未来へ受け継がれていくことを願うばかりだ。