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130年以上のスーパーロングセラーな「三ツ矢サイダー」

130年以上のスーパーロングセラーな「三ツ矢サイダー」

夏の暑い日など特にごくごく飲みたくなる、あの飲み物といえば「三ツ矢サイダー」。ほんのりとした甘さと爽やかな炭酸が頭と体をリフレッシュしてくれます。
今ではテレビCMなどで見ない日はないほど国民に浸透していますが、いつ頃からあったものなのでしょうか。

三ツ矢サイダーのポスター
大正時代のポスター 出典:Flickr

日本に初めて炭酸飲料が伝えられたのは、1853年(嘉永6年)アメリカのペリー艦隊がやって来た時だと言われています。
しかし、三ツ矢サイダーの歴史はもっと古いそうです。
平安時代中頃、清和源氏の祖である源満仲(みなもとのみつなか)が城を築くため住吉大社(大阪)に祈念したら「矢の落ちた所に作りなさい」とお告げがあり矢を放つと、多田沼の“九頭の龍(くずのりゅう)”に命中したそうです。そこで、満仲は多田沼に城を建て、矢を見つけた孫八郎という男に領地と三ツ矢の姓、そして三本の矢羽根の紋を与えました。
また、あるとき満仲は鷹狩りに出て、偶然、近くの谷に湧く水で鷹が足の傷をなおして飛び立つのを目の当たりにしました。これが多田村平野(現・兵庫県川西市)の天然鉱泉(炭酸ガス入りの温泉)でした。この平野が“三ツ矢”という姓の発祥の地で、後に三ツ矢マークとなります。なお、この温泉を利用した平野温泉郷は、明治初年頃まで長く繁栄を続けたという。

明治時代になると、当時多数来日していた外国の要人向けに良質な水を提供する必要が生じ、各地で水質調査を実施します。その結果、1881年(明治14年)にイギリス人理学者ウィリアム・ガランが平野温泉の水に「理想的な鉱泉なり」とのお墨付きを与えました。
その3年後の84年(明治17年)、明治屋という商店が湧き出ていた天然鉱泉と伝説由来の名称を取り入れ「三ツ矢平野水(ひらのすい)」と名付けて発売されたのがはじまりです。
ちなみに136年の日本の透明炭酸飲料の歴史は、世界では最古に当たります。

1897年(明治30年)には宮内省から東宮殿下(後の大正天皇)の御料品に指定されました。「三ツ矢平野水」はそれだけ品質が高かったのでしょう。

三ツ矢平野水は今で言う発泡水(天然の炭酸の性質をもった水)のようなもので甘さはありませんでした。そこで、1907年(明治40年)に帝国鉱泉株式会社が設立され、三ツ矢平野水にサイダーフレーバーエッセンスが加えられた甘味のある「三ツ矢印の平野シャンペンサイダー」が発売されました。
当時、甘い物は総じて贅沢な食べ物・飲み物でシャンペンサイダーもその一つでしたが、人気を呼び売れ行きはどんどん伸びていったという。

三ツ矢サイダーのポスター
昭和30年代のポスター
瓶入りの三ツ矢サイダー

左から、1909年(明治42年)「三ツ矢シャンペンサイダー」発売。そば1杯が30銭の時代に1本10銭で販売されていました。
1952年(昭和27年)甘味成分に砂糖しか使っていない「全糖」と打ち出した瓶で発売されます。当時は砂糖自体が少なく、贅沢な清涼飲料水でした。

1968年(昭和43年)「三ツ矢シャンペンサイダー」から現在の「三ツ矢サイダー」となり、透明な飲料として子供にも安心して飲ませられる清涼飲料水としてアピール。価格は40~45円。
1972年(昭和47年)70年間使われてきた瓶に代わって新しいデザインの340ml瓶が発売、ラベルはそれまでの紙から瓶に直接印刷されるようになりました。

三ツ矢平野水の頃からずっと340ml入りの瓶が使われていましたが、これは1本の瓶から家族が注ぎ分けて飲むための大きさでした。生活が豊かになった1970年(昭和45年)には「三ツ矢サイダーシルバー200ml瓶」が登場し、この頃から、ひとりが1本を飲みきるスタイルに変わりました。
そして、1971年(昭和46年)、250ml入りの「三ツ矢サイダーシルバー缶」が発売。それまでサイダーをはじめとする清涼飲料水は、そのほとんどが酒屋経由(数ケースを酒屋に注文しビールと一緒に持ってきてもらうという買い方が一般的)で発売されていましたが、スーパーなどの量販店が販売の主力になります。飲んだ後は簡単に捨てられ、また、この頃に増えた自動販売機も缶の普及を後押しました。
1985年(昭和60年)には1.5Lのペットボトルを発売します。その場で飲みきるしかなかった瓶や缶から、キャップがあるから途中飲みができ、家族全員が好きなときに好きな量だけ飲むことができるという、サイダーに限らず清涼飲料水にとっては革命的な出来事でした。

三ツ矢サイダーは、ブランドの知名度だけに頼らず積極的な宣伝をして、また缶のデザインにも力を入れ90年代に至るまで右肩上がりの販売増を続けていきます。しかし、90年代後半以降はお茶やコーヒー、スポーツドリンクなどの嗜好の多様化や健康志向の高まりで伸び率が鈍くなったりと、浮き沈みがありながら現在に至っているそうです。
(今では、炭酸ガスは殺菌作用や鎮静作用など多くの効能が認められていて、糖分は脳にとって欠かせないものという認識で、サイダーは想像以上に健康的な飲み物なのだとか)
なお、1996年(平成8年)に「三ツ矢」ブランドはアサヒ飲料に譲渡されています。
それでも人気は継続し、炭酸ブランドではコカ・コーラに次ぐ2位、現在の透明炭酸飲料における三ツ矢サイダーの市場シェアは約7割にもなるという。そしてアサヒ飲料にとって今でも全売上げの約2割を占める収益の柱となっているそうです。

ちなみに、消費者は食べ慣れた商品や既存のブランドに安心感を見出す傾向があり、売り上げの依存度が低くないそうです。

三ツ矢サイダーの木箱
1920~30年代前半頃の三ツ矢サイダーの木箱

会社の歴史よりも古い、非常に稀有なスーパーロングセラーの三ツ矢サイダー。ライフサイクルの短い清涼飲料業界にあって、130年以上も味のベースを変えずに貫くことは品質に自信がなければできないことだと思います。2017年には国際味覚審査機構(iTQi)による優秀味覚賞も取っています。きっとこれからも、その心地よい爽快感で愛され続けることでしょう。
そして、かつては家族みんなで瓶入りの三ツ矢サイダーを飲んでいたことが、今ではその子供たちが1.5Lのペットボトルからサイダーをコップに注いで飲んでいます。

出典:アサヒ飲料「三ツ矢」の歴史
出典:三ツ矢サイダー
出典:PRESIDENT Online

山下達郎CM集 三ツ矢サイダー篇 出典:youtu.be
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