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外国人専用に始まり訪日客に振り回された「ホテル」

外国人専用に始まり訪日客に振り回された「ホテル」

前回の「バー(bar)」で、江戸末期に登場した「横浜ホテル」からホテルのことが気になり、明治期の写真を交えながら調べてみることにしました。

まず、ホテルとは西洋式の設備と様式をもった宿泊施設、洋風の旅館のこと(日本国語大辞典、より)。
違いはというと、旅館業法によって、主に和室の部屋数が5室以上で1部屋あたりの広さが7㎡以上であれば旅館、主に洋室の部屋数が10室以上で1部屋あたりの広さが9㎡以上ある場合にはホテル、と定められているようです。ただし、旅館営業の許可を受けた施設であっても「○○ホテル」とすることができるのだとか(ホテルと名付けて高級感を醸すためでしょうか)。

ちなみに、自分が最初にホテルに宿泊したのは「伊東に行くならハトヤ、電話はヨイフロ(4126)」のCMソングでその名が知られている静岡県伊東市の「ハトヤホテル」らしい…昭和です。


ということで、写真は見当たりませんでしたが、日本で最初のホテルは、1860年(万延元年)に開港により外国人居留地となった横浜で、オランダ船の元船長フフナーゲルが欧米人のための宿泊施設として建設した「横浜ホテル」と言われています。日本家屋を改装した和洋折衷の平屋建てで、ビリヤード室やバーを備えていたホテルだったと言われています(1866年に焼失)。

横浜クラブ
「横浜クラブ」(1863年)出典:Flickr

「横浜クラブ」は、1863年(文久3年)横浜外国人居留地のイギリス人が自宅を同国人のために社交クラブとして開放し、訪れた人を宿泊させていたそうです。後にホテル形態に改めて「クラブ・ホテル」として1930年(昭和5年)まで続いたとか。出典:横浜ホテル (横浜居留地)

余談ですが、 “現存する世界最古のホテル・旅館”でギネスに認定されている旅館は、705年(飛鳥時代)に創業した山梨県の西山温泉「慶雲館」になります。
老舗の記事はこちら→日本の「老舗」は世界一多い!

「東京築地ホテル館表掛之圖」三代目歌川広重
「東京築地ホテル館表掛之圖」三代目歌川広重 画(1869年)出典:ボストン美術館

日本の本来的な意味でのホテルの歴史は、1868年(慶応4年)に日本人の手による最初の西洋風ホテル兼貿易所(半官半民)の東京「築地ホテル館」から始まったとされます。
中央に塔屋がそびえる木造2階建ての本館と平屋からなる土蔵造り建物(腰壁はなまこ壁)で、客室はシャワールーム・水洗トイレなどの設備が付いた102室、他にビリヤード場やバーも備えた本格的なホテルだったようです(1872年に焼失)。出典:築地ホテル館

自由亭ホテル
「自由亭ホテル」(1870年)出典:国立国会図書館

1868年(慶応4年)日本初の西洋料理店を開いた料理人・草野丈吉が、大阪川口居留地に開業した大阪初の洋風ホテル「自由亭ホテル」。大阪の迎賓館的な存在となり1895年(明治28年)には「大阪ホテル」と改称(1901年に焼失)。出典:大阪ホテル

延遼館
「延遼館(えんりょうかん)」(明治時代)出典:Wikipedia

東京・浜離宮内にあった石室(木造洋風建築)という建物を1869年(明治2年)に外国からの賓客を接待するために改修した日本初の迎賓施設(1889年に解体)。2020東京オリンピックに合わせ復元計画がありましたが延期された様子。出典:延遼館

神戸オリエンタルホテル
「オリエンタルホテル」(1907年頃)出典:Wikipedia

1870年(明治3年)に外国人専用ホテルとして神戸外国人居留地に開業した西洋式ホテル。1995年の阪神淡路大震災を経験し歴史に一度ピリオドを打ちましたが、2010年に「オリエンタルホテル神戸」の名称で新規開業しました。出典:オリエンタルホテル

日光金谷ホテル
「日光金谷ホテル」(1905年頃)出典:Flickr

1873年(明治6年)に外国人向け民宿として「金谷カッテージ・イン」を開業。1893年に修理増築して「金谷ホテル」となり、現存する日本最古のリゾートクラシックホテルとして登録有形文化財および近代化産業遺産に認定されています。出典:日光金谷ホテル

横浜グランドホテル
「横浜グランドホテル」(1890年)出典:Flickr

1873年(明治6年)横浜外国人居留地に本格的なホテルとして開業した「横浜グランドホテル」、1889年には隣接地に新館を建設、客室数360室の大ホテルとなり、東京の「帝国ホテル」とともに日本を代表するホテルとなりました(1923年に倒壊)。出典:横浜グランドホテル

富士屋ホテル
「富士屋ホテル」(1897年)出典:Flickr

1878年(明治11年)神奈川県箱根町・宮ノ下に外国人専用ホテルとして開業した日本の代表的老舗ホテルの一つ。ホテルの多くの建物が和洋折衷な明治の建築様式を残し、歴史的建造物として国の登録有形文化財に登録され、また「富士屋ホテルと箱根観光関連遺産」の一部として近代化産業遺産に認定されています。出典:富士屋ホテル

豊平館
「豊平館」(明治時代)出典:札幌街ふたたび豊平館

1880年(明治13年)北海道札幌市に貴賓用西洋式ホテルとして開拓使により建築されました(1922年にはアインシュタインが宿泊)。1958年(昭和33年)中島公園内に移築・保存され、結婚式場などとして利用された後、1964年には国の重要文化財に指定されています。出典:豊平館

鎌倉海浜ホテル
「鎌倉海浜ホテル」(明治時代)出典:鎌倉海浜ホテル

1887年(明治20年)保養所海浜院・サナトリウム(結核患者向けの療養所)として建設されましたが、高額な費用で敬遠され2年後には鎌倉海浜院ホテルとして開業。1916年(大正5年)には明治屋の磯野長城氏が社長となり「鎌倉海浜ホテル」となります(1946年に焼失)。出典:鎌倉海浜ホテル

鹿鳴館
「鹿鳴館」(明治時代)出典:鹿鳴館

1883年(明治16年)東京府麹町区内幸町の元薩摩藩装束屋敷跡(現・千代田区内幸町、帝国ホテルの隣地)に国際的社交場として、外国貴賓の接待・宿泊施設として建設された洋館でした。ネオ・バロック様式(絵画のような華やかさを特徴とする建築様式)を基調とした煉瓦造り2階建てで、大食堂・談話室・書籍室やバー・ビリヤードも備えていました。なお、1883年から1887年(明治20年)までが西洋風の夜会などがしばしば催された欧化主義的時期が鹿鳴館時代だとか。(鹿鳴館は1941年に取り壊され、国宝に指定されていた薩摩藩表門も1945年に空襲で焼失)出典:鹿鳴館

帝国ホテル
「初代・帝国ホテル」(明治時代)出典:帝国ホテル

外相・井上馨が財界に迎賓館的なホテルを要請して鹿鳴館の隣に建設を勧め、1890年(明治23年)東京都千代田区内幸町に日本を代表する高級ホテルとして開業したのが「帝国ホテル」です。ネオ・ルネサンス式煉瓦造の3階建て、木造銅板ぶき屋根でしたが1922年火災により焼失。1923年(大正12年)にはF.L.ライト設計による大谷石と煉瓦を用いた独自の装飾で東洋の美と近代建築の融合を図った新館が完成、1967年に老朽化のため解体されますが、玄関部分は愛知県犬山市の明治村に移築されました。1970年(昭和45年)には地上17階の近代的外観の新本館が竣工。
なお、1958年(昭和34年)日本に初めてバイキング料理を紹介したのは同ホテルのレストランでした。また、帝国ホテル・ホテルオークラ(1962年開業)・ニューオータニ(1964年開業)とともにホテルの「御三家」と称されているとか。出典:帝国ホテル


このように、日本で最初のホテルは、江戸時代末期から明治初めにかけて、開港により外国人居留地となった横浜などで、欧米人のための宿泊施設として建設されました。
1900年代に入ると、国レベルで外国客招致やホテル設置の機運が高まり、1930年(昭和5年)には国際観光局が設置され、1940年代初めにかけて15の「国際観光ホテル」が全国の主要観光地に誕生しました。

その後、第二次世界大戦により1942年(昭和17年)に国際観光局は廃止されると休・廃業が相次ぎ、戦後には占領軍によりホテル(上記ホテルの大部分)が約7年間も接収されるなど苦難の時代がありましたが、1950年代後半からは高度経済成長に支えられ、外国人旅行者の宿泊需要に依存した経営から日本人客を対象としたホテル経営へと移って、ホテル産業は大きく発展していきます。

1964年(昭和39年)にはオリンピック・東京大会の開催を契機に私鉄を中心に大企業がホテル経営に乗り出したり、東海道新幹線の開通によって旅行者の増加などもありホテル建設ブームが起こりました。大阪で万国博覧会が開かれた1970年前後、さらにオイル・ショック後の1980年代以降も断続的にブームは続き、日本のホテルは大都市ばかりでなく地方都市や観光地にも普及、その質も高級なものから庶民的なものへと業態が拡大し今日に至ります。

ハトヤホテル
「ハトヤホテル」1947年(昭和22年)創業、CMソングは1961年(昭和36年)から。出典:Flickr

観光立国という名のもとに政府が6000万人を目標とする“インバウンド活況”という言葉や、開業するホテルも増加し“ホテル大活況時代”とメディアで報じられたりして、なんだか遠い昔のことのように感じます。
そして、コロナ前にインバウンドに頼りすぎ過大な投資などして経営破綻に至ったホテルが出てきて、過剰に増えた低レベルのホテルが少しは淘汰されたのでしょうけど、これからは観光客の量より質を追求した脱インバウンド・日本人旅行者に注目・特色を出したホテルなど、目指してほしいと思いました。

ちなみに、日本で盛んに使われる「インバウンド(inbound)」とは訪日海外旅行者の意味ですが、元は“外から内の(in)”“方向へ(bound)”ということで英語では、飛行機や船舶の帰国便を指す場合が多く、語源から見ればそんな使い方もアリかも。「訪日海外旅行者」が長たらしくて面倒だというなら「訪日客」でも十分意味は通じますが、おそらく“「訪日客」なんて言っちゃって、いまどきまだ外人の観光客が珍しいのかよ”みたいな心理が働き、日本語で言うとその心理を見すかされそうで恥ずかしく、姑息な外来語に走っているのではないかと思われます。

出典:日本クラシックホテルの会
出典:ホテル/コトバンク
出典:ホテバンク/ホテルの成り立ちと歴史
出典:日本語を味わう辞典

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