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食事をするところは「ダイニング・キッチン」それとも「居間」?

食事をするところは「ダイニング・キッチン」それとも「居間」?

台所とは料理をする部屋、あるいは料理をすると称して冷凍食品をチンしたり、レトルト食品を湯煎したりする部屋、とも言えます(笑。
呼び名では、厨房(ちゅうぼう)、炊事場(すいじば)、厨(くりや)、勝手(かって)、キッチン、また寺院では庫裡(くり)、神社では忌火屋殿(いみびやどの)などがあります。

今では横文字大好き日本人による「キッチン」という言葉が浸透していますが、もともと、国策として1951年(昭和26年)に当時の建設省が定めた「公営住宅標準設計」で台所を広めに取って、食事室と兼用にするというスタイルが提案され、不動産用語としても当たり前のダイニング・キッチン(DK、ダイニング・ルームとキッチンをかけ合わせた和製英語)という概念を広めたのが始まりでした。
なお、英語のKitchenの語源は、ラテン語のco-quina(火を使うところ)、古来語ではcycene(クチーナ)で、これらが転じてキッチンとなったといわれています。

日本語である「台所(だいどころ・だいどこ)」は、平安時代に貴族たちが調理や配膳を行う一室のことを指した台盤所(だいばんどころ/配膳用の皿を載せる脚付きの台が置いてある所)に由来し、台所はその略で鎌倉時代頃から調理する場所「台所」と呼ばれるようになったようです。
ちなみに、身分の高い人の食事を載せる台は御台(みだい)と呼ばれ、ここから御台盤所(みだいばんどころ)ともいわれ、鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の妻である北条政子が「御台所」と称されるようになったことから、以後、慣例的に歴代の将軍正室の呼称となりました。

ただ、平安時代の貴族住宅である寝殿造においても台所の実態どころか位置さえもはっきりしていないようです。鎌倉・室町時代以降になると、今に伝わる絵巻物などに、当時の台所の光景が描かれているものが少なからず出てきます。

一遍上人絵伝
「一遍上人絵伝」円伊(えんい) 画。出典:国立国会図書館

時宗の開祖一遍の生涯を描いた絵巻で、1299年(鎌倉時代)の作。中世の初めの地方武士の館(やかた)が描かれていて、屋敷の中の一棟が台所であったことが、屋根の棟の上につくられた腰屋根の煙出(けむだ)しによってわかります。

慕帰絵詞 8巻
「慕帰絵詞 8巻」藤原隆章・隆昌 画(1351年)出典:国立国会図書館

鎌倉時代から室町時代に描かれた絵巻のなかには、台所の外部あるいは内部が描かれているものがあり、「慕帰絵詞(ぼきえことば)」には、炊事施設(湯を沸かし飯を炊く)として竈(かまど)を備えた土間の部分と、副食物を調理する囲炉裏(いろり)のある板床(いたゆか)の張られた部分とからなっていたことがわかります。囲炉裏のそばに簀子(すのこ)の流しのようなものがみられ、配膳のための棚もあり、台所として備えているようです。

酒飯論絵巻 第3段
「酒飯論絵巻 第3段」狩野元信 筆の江戸時代の模本。原本は室町時代の作。出典:フランス国立図書館

近世に入ると、「酒飯論」のように食事のことを扱ったものをはじめ、台所の状況を描いた場面がしばしばみられるようになり、調理から配膳、飲食の様子が詳細に描かれています。

伝統的な日本家屋の台所
伝統的な日本家屋の台所。江戸時代後期、比較的大規模な民家の例。中央が土間、左側に竈(かまど)が並んでいます。出典:Wikipedia

一般に入口から土間に面した出居(でい/客を応接するために出ている部屋)の奥隣に台所が位置します。関東地方では土間のことを“だいどこ”といい、ここに竈を設け、“だいどこ”に接した板の間を勝手(かって)といって区別していました。台所は板の間で、大黒柱寄りに炉が切ってある場合が多く、この囲炉裏では煮炊きや食事もする生活の中心でした(使い方や呼び名は地方によって異なっています)。

ちなみに、「勝手」という言葉は、食糧を意味する「かて(糧)」があるところ「かてどころ」から「台所」の意味が最初にあったとも、弓を射るとき弓を引く方の手を「勝手」といったところから使いやすさや都合のよさという意味が最初だともいわれ、はっきりしていません。そんなときに「どうぞ勝手に考えてください」と使うためにこの語があるのかもしれない…(笑。

日本の住宅は、「床座(ゆかざ)文化(靴を脱いで床に直接座る生活)」によって発展したこともあり、江戸時代の台所も座ったままで作業するように作られていました。食材や食器などの洗浄は井戸端や川辺で行い、家に持ち帰り竹の簀子などによる木製の流しを使って台所仕事が行われ、したがって火や水を扱う台所作業は立ったりしゃがんだりの繰り返しで大変な重労働だったようです。

明治時代になっても庶民の住宅の台所はあまり変わらず、大正時代になると電気、ガス、水道の普及や大正デモクラシーの風潮で知識人の間では台所の開拓運動が沸き起こり、立った姿勢で調理ができる立動式でコンパクト設計(システムキッチンの原型)の台所が考案されるようになりました。しかしこれらが農村部にまで定着したのは戦後になってからになります。

昭和30年代の台所
昭和30年代の台所
「赤羽台団地」のダイニング・キッチン
国立歴史民俗博物館に再現されている「赤羽台団地」のダイニング・キッチン。出典:Flickr

赤羽台団地は、1962年(昭和37年)東京都北区に東京23区内としては初めての大規模団地として日本住宅公団が造成した公団住宅です。

そして流し台が、それまで木製亜鉛鉄板張りや人造石の研ぎ出し(ジントギと言われていた)が主流でしたが、1956年(昭和31年)日本住宅公団(現・都市再生機構)の晴海団地に初めてステンレス製流し台が取り付けられます。加えてダイニング・キッチンという食べる部屋と寝る部屋(ちゃぶ台片付けて寝る)を分けようという発想の「寝食分離」も初めて導入され、いわゆる洋風の生活スタイルが一般家庭にも普及していきました。
なので、日本の台所のあり方やライフスタイルを大きく変えたのは公団住宅だった、と言えそうです。
なお、空間や用途に合わせてキャビネットやユニットを選択できるシステムキッチンは、1973年(昭和48年)にクリナップから初めて登場しています。

しかし、ダインニング・キッチンが一般家庭に普及しましたが、家族が団らんする部屋(居間)で食事をするという習慣は一朝一夕で捨て去ることはできず、食事室(ダイニング)で食事せず、居間(リビング)にわざわざ料理を運んでテレビを見ながら食事するという家庭が比較的多く、そんな家庭ではダイニング・テーブルは料理や調味料を置く配膳テーブルと化しているので、“配膳用の台盤を置くところ”という「台所」の本来の意味は根強く残っているといえそうです。
なお、「厨房」「炊事場」は中国語をほぼそのまま持ってきただけの語であり、どうやら日本人はその部屋を意地でも「調理するところ」とは呼びたくなかったようで一般家庭にはあまり使われていない、かも。

住宅が洋風化し「茶の間」という雰囲気がすっかりなくなってしまった昨今でも、リビングは床座の方がいいが72%(無印良品調べ)と高く、やはり、床に座ってこそくつろげる居間で食事はしたいな、と思うのですよね。
余談ですが、茶の間とは英語に訳せばtea roomですが、そんな小じゃれた部屋ではなく、いわゆる居間のやや古めかしい言い方であり、特に昭和時代、卓袱台(ちゃぶだい)を出して食事をし、テレビを見て団らんし、客間にも家族の寝室にもなったフレキシブルな空間についていう。食事室でもないし、おそらく家族が集まってお茶を飲みながら無駄話をするというゆる~い言葉があてがわれたと思われます。

出典:日本語を味わう辞典
出典:日本のキッチンの歴史
出典:三菱電機/日本人の食卓
出典:台所

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