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鏡台について

鏡台について

鏡台は3つに分類され、鏡が一枚のものを一面鏡、同じ大きさの鏡が三面ついているものを三面鏡、左右の鏡が真中の鏡の半分の大きさのものを半三面鏡といいます。
昔は婚礼家具のひとつとして欠かせなかった鏡台、今ではあまり使っていない人が多いであろう和鏡台についてのお話です。

和鏡台

水鏡からドレッサーへ

鏡の起源は池などの水面に自分の姿形を映しだす、水の鏡(水鏡/みずかがみ)と考えられています。
最も古い鏡はトルコ中部の遺跡で発見された黒曜石を磨いた6000年前の石板の鏡だと言われています。
銅を磨いた金属鏡で最も古いものは、エジプトで紀元前2800年ころの銅鏡が出土しています。

日本へは、「銅鏡(どうきょう)」が弥生時代前期に中国より持ち込まれましたが、化粧をするためのものではなく、呪術用や祭祀(さいし)用具としての意味合いが強かったとされています。

平安時代頃から貴族たちの間で化粧(髪型・服装などを整えることも含まれました)をする習慣が起こり、鏡を丈の短い五本脚の柱にかけたことが鏡台の始まりだといわれています。平安時代後期には、中国からもたらされた唐鏡をもとに製作した鏡「和鏡(わきょう)」が確立しました。しかし、この頃も鏡は神聖視され、立って鏡を見ることは良くないことだとされていました。

室町時代には、鏡を持つところに柄が付いた鏡「柄鏡(えかがみ)」や、化粧道具を入れる手箱(結髪・理容・化粧道具入れとして使われた箱)と鏡を一緒にした今の形に近い鏡台が出現しました。

江戸時代になって鏡の大量生産が可能になり、庶民の生活にまで普及しましたが、この頃までの鏡は銅と錫(すず)の合金製で、使ううちに曇ってしまうものでした。

その後明治時代には、手入れが簡単で文明開化のシンボルといわれたガラス製鏡(1317年イタリアでガラスを用いた鏡が造られるようになった)の鏡台が造られ急速に普及しました。

そして、整理だんすに鏡をつけた新しい形の鏡台が登場し、昭和34年にドレッサーと名づけられました。
ドレッサーには椅子がつけられ、住居が洋風化するとともに、こちらの方が主流になり、現在は鏡台というとこのドレッサーのほうを思い浮かべる人も多いようです。

和鏡台

伝統工芸としての鏡台

ドレッサー以前の鏡台は伝統工芸のひとつとして生産されていて、製作方法としては、指物(さしもの)という、金釘を使わず表に見えないところにほぞで組み込んで作る技法などがあります。
材料には欅(けやき)などが使われ、半年から一年、長いものでは10年から20年もの間乾燥させた木材で製作されます。何度も漆を塗り重ねられた高級品になると製作に半年もかかるものもあるそう。
このようにして作られた鏡台は丈夫で、大切に扱えば壊れることは滅多にないそうです。
参考:家具日本史小百科江戸指物―下町職人の粋と意気

和鏡台
ケヤキ一面鏡の和鏡台。抽斗(ひきだし)と扉の奥には隠し棚が付います。鏡掛(鏡台や姿見に掛ける布)の招き猫手ぬぐいは、浅草の手染め手ぬぐい老舗“ふじ屋”で買ったもの。

最後に

自分の持っている20年くらいに前に買った一面鏡は、ここまで高価なものではありませんが、伝統工芸っぽいケヤキの木目を活かした見た目と、抽斗(ひきだし)と扉の奥には隠し棚が付いていて、そんな時代を感じる鏡台に愛着を感じます。

ドレッサーは髪を整えたり化粧をしたり、それらの道具をしまうための単なる家具ですが、あえて鏡台にして、鏡掛(鏡台や姿見に掛ける布)を季節の手ぬぐいなどでアレンジして和を感じさせる空間を取り入れてみるのもいいかもしれません。