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「虫の音」を聴くということ

「虫の音」を聴くということ

朝から、アブラゼミやミンミンゼミの大合唱です。ちょっと涼しくなるとツクツクボウシ、山の方へ行けばカナカナカナ…という澄んだ声の寒蝉(ヒグラシ)、セミの声が聞かれなくなるころコオロギが囁き始め、秋だな~感じます。
ちなみに、セミは35℃以上の猛暑日になると鳴かなくなる、とか。

そんな日本人は、昔から虫の声を聴き分け、また秋を思わせる虫の声を聴いて涼を感じる「虫聴き」という習慣があったそうです。

「虫籠」喜多川歌麿 画
「虫籠」喜多川歌麿 画(1790年)出典:artelino-Japanese Prints

最古の和歌集「万葉集(759年)」に“影草の 生ひたる野外(やど)の 夕影に 鳴く蟋蟀(こおろぎ)は 聞けど飽かぬかも”(訳・影草の生えている庭の夕方の光の中に鳴くコオロギの声はいくら聞いても飽きないなあ)など、「こおろぎ」を詠んだ歌が7首詠まれていることから、この「虫聴き」の発祥は少なくとも奈良時代にさかのぼることができるようです。
ただし、この頃はスズムシもマツムシもクツワムシも、秋の虫はみな「蟋蟀(こおろぎ)」と呼んでいたとか。

平安時代になると、それぞれの虫の声を聞き分けてカゴに入れ声を楽しむ風流が貴族階級に流行します。「新古今和歌集」には「こおろぎ」に代わって「きりぎりす」が詩歌に詠まれるようになり、清少納言の「枕草子」にも「スズムシ、マツムシ、キリギリス、はたおり」の4種の鳴く虫が好ましい虫として登場しています。
貴族が京都の嵯峨野や鳥辺野に遊び、これらの虫を捕らえてカゴに入れて宮中に献上する「虫選び」や、捕らえた虫を庭に放して声を楽しむ「野放ち」や、 野に出て鳴き声を聴く「虫聴き」など、盛んに行われたようです。また、同時代の「源氏物語」“鈴虫の巻”にはマツムシを捕ってきて庭に放したり、スズムシの声に興じながら酒宴を催したりする場面が描かれています。

「虫売り」歌川国貞 画
「虫売り」歌川国貞 画(1820~1840年)格子柄が虫屋の目印。出典:東京都立図書館

この虫の音を楽しむ「虫聴き」文化は次第に庶民の間にも広がっていき、江戸時代中期(1600年代)には市松模様の屋台に虫カゴを並べて売る「虫売り」という商売が生まれました。
虫売りの虫は、ホタルを第一とし、次いでコオロギ、マツムシ、スズムシ、クツワムシなど声の良いものが売られ、季節は5月の不動尊の縁日(5月28日)の頃から始まり盆までの商売でした。江戸では、盆には飼っていた虫を放す習慣だったので盆以後は売れなくなったとか。
飼育技術も高度になり、特にスズムシは越冬中の卵を温めて孵化させ、早期に高値で出荷するようなことも行われていたそうです。

「虫売り」歌川豊国・三代 画
「夜商内六夏撰(虫売り)」歌川豊国・三代 画(1847~1852年)出典:東京江戸博物館

虫カゴも素朴な竹細工から、大名家で用いる蒔絵を施した超豪華なものまで独自の発達をとげていきました。

虫籠

これは、静岡で江戸時代から続く繊細な竹細工「駿河竹千筋細工(するがだけせんすじざいく)」という難しい技術で作られた虫籠。角ばった所が一つもなく柔らかな曲線を中心に構成され、「霞(かすみ/横に細長い角丸をヱ(エ)の字のように繋げた模様)」を表した日本古来のデザインが施されています。この部分が籠の中に陰を落とし、暗い方がよく鳴く鈴虫の習性に合わせたものだとか。優しさあふれる造形は美術品とも言うべき代物だと感じます。

そんな伝統的な竹細工の虫籠は減少しましたが現在も製作されています。みやび行燈

江戸時代の「虫売り」は、明治になっても大いに流行り、19世紀末には売られる虫も増え12種類を数えたという。「虫売り」の繁盛は昭和になっても続き、虫を売る露天や虫カゴを担いでキリギリスなどを売り歩く行商人の姿が夏の風物詩となっていきました。
戦争で虫の問屋が全滅しますが、戦後いち早く回復、しかし売り場はデパートやペットショップに移っていきました。
その後、日本の「虫聴き」文化は、高度成長期を境に生活の欧米化で衰退しはじめ、ペットショップの主役も鳴く虫からカブトムシやクワガタムシに置き換わり、スズムシの家庭での飼育も衰退していきました。

「虫売り」無款
「虫売り」無款(1910~1920年)左からマツムシ、スズムシ、クツワムシとなるほどの駄洒落です。出典:Flickr

童謡『虫のこえ』
あれマツムシが ないている
チンチロチンチロ チンチロリン
あれスズムシも なきだして
リンリンリンリン リィ~ンリン♪

他にも、ウマオイのスイッチョンなどや、ツクツクボウシ、ミンミンゼミ、ニイニイゼミのように、虫の声を文字で表記する国は他にないようです。また、虫の音を聞き比べ楽しむ習慣も世界的に見ても非常に珍しいのだそうです。
これは虫の声を左右どちらの脳で認識しているかの差によるもので、日本語の環境で育った人(特に9歳まで日本語で育つと)は、川のせせらぎや虫の音などの自然界の音を言語と同じ左脳で処理するようになりますが、そうでない人は言語以外の雑音と同じ右脳で処理するのだそうです。なので、とくに欧米人は虫の鳴き声を雑音として聞くばかりか、鳴いていることすら気付かない人が大部分なのだとか。

そして、加えて日本の豊かな自然環境や美しい四季の変化のなかで営まれてきた生活も、この特異な文化を育てる大きな要因になったと考えられます。
おそらく、降りしきるセミの声に深い静寂を感じた芭蕉の「閑(しず)かさや岩にしみ入る蝉の声」などは欧米人にとってはとうてい理解を超えた世界かもしれません。。

人の世界ではあまりにも短命なホタルや鳴く虫に、きっと儚さや“もののあわれ”と結びついて、鳴く虫の声を鑑賞する文化が生まれたのでしょう。

お祭り・花火・セミの声…夏休みの風景と音のなかに、もうすぐ小さい秋が訪れます。そして秋の涼しさを感じてくると、どこからともなくコオロギの鳴き声が聞こえてきます。
こんな「虫聴き」の情趣を、日本人としていつまでも大切にしていきたものです。

出典:虫売り
出典:虫を聴く文化
出典:虫売

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