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1~2人で食べるスタイルの小鍋から始まった「鍋料理」

1~2人で食べるスタイルの小鍋から始まった「鍋料理」

現在、女性に人気の鍋料理1位は“水炊き”だとか。
これからの寒い季節には欠かせない様々な種類がある鍋料理ですが、始まりは古く、土器が発明された縄文時代と言われています。縄文~弥生時代には食べ物を入れた土器を火にかけて煮炊きする習慣がありました。

「鍋」という言葉の語源(諸説あり)は、「な(魚、野菜など副食物)」を調理する「へ(瓶(かめ)の類)」に起源をもつといわれています。平安時代初期の「倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」には、「なべ」を表す漢字として、土製のものを「堝」と鉄製のものを「鍋」と書いて区別していて、土製と金属製の素材の異なる鍋がすでにあったようです。

鉄の鍋が本格的に広まっていくのは中世になってからで、1351年(室町時代)に描かれた「慕帰絵詞(ぼきえことば)」では、鍋を使って囲炉裏の火で調理しているところや、持ち手となる弦が付いた鍋が囲炉裏に置かれているところなど、いくつか鍋のある場面が描かれていいます。

「慕帰絵詞」藤原隆章・隆昌 画
「慕帰絵詞」藤原隆章・隆昌 画(1351年)上は2巻、下は10巻より。出典:国立国会図書館

囲炉裏や竈(かまど)に大鍋をかけて煮るのが、長らくスタンダードな調理法でしたが、江戸時代の初期から中期にかけて「七輪」と呼ばれる移動式の炉が普及しました。この簡易な熱源が登場したことで、鍋を“煮込みながら食べる”というスタイルが登場します。
江戸初期の「料理物語(1643年)」には、煮物の部に鍋焼があり、ホタテなどの貝殻を鍋にしてみそ汁で魚介類に茸類などを取り合わせて煮る鍋料理があったそうで、鍋焼の名は、現在も“鍋焼うどん”などに残っています。

そして塩や味噌が主体だった調味料に醤油やみりんが加わり、鍋はもとより、日本料理そのものが確立していきました。
醤油の記事はこちら→昭和の秀逸なフォルムの醤油刺し「しょうゆ卓上びん」

「東京美女そろひ 柳橋きんし」二代歌川国貞 画
「東京美女そろひ 柳橋きんし」二代歌川国貞 画(1868年)柳橋の美女が長火鉢にかけた鍋を一人で食べる姿。出典:国立国会図書館
「吉のや」勝川春扇 画
「吉のや」勝川春扇 画(1806年)火鉢にかけた底の浅い小さな鍋を美女二人で食べようとしています。出典:The Art of Japan

囲炉裏にかける大鍋に対して、食卓に持ち出すことができる浅い鉄製の1~2人で食べるスタイルの小鍋を使った「小鍋立て(こなべたて)」という鍋料理が登場するのは安永(1772~81年)頃から、「豆腐百珍(1782年)」には、現在の湯豆腐に相当する“湯やっこ”が、文化・文政期(1804~30年)頃になると江戸で鍋料理の店が次々に出現し、鍋料理のバリエーションはさらに豊かになります。
「守貞謾稿(もりさだまんこう)」(1837~53年)には、鰌(どじょう)鍋、骨抜き鰌鍋、なまず鍋、穴子鍋、猪肉や鹿肉と葱の鍋、鶏と葱の鍋、豚肉の琉球鍋など多種類の鍋料理が見られ、豚肉も嘉永(1848~54年)の頃からは公に売られていたとあります。
「小鍋立て」は「小鍋膳立て」の略で、これが今にいう「鍋」になります。

「両国夕景一ツ目千金」歌川国貞 画
「両国夕景一ツ目千金」歌川国貞 画(1855年)江戸時代の遊郭風景。小鍋立ての鍋料理が見えます。出典:東京都立図書館

ちなみに、東京都台東区の有名店「駒形どぜう」(どぜう鍋)の創業は1801年のこと、骨抜きした鰌に笹がきごぼうを加え卵でとじた“柳川鍋”が登場したのは天保年間(1830~44年)の初め頃だとか。
京や大坂など上方で人気があったのが鼈(スッポン)、スッポンの鍋は“まる鍋”と呼ばれ、スッポン料理・鍋で有名な京都の老舗「大市(だいいち)」は元禄年間(1688~1704年)の創業とあり、かなりの歴史があります。
また、池波正太郎の小説「仕掛人・梅安」「鬼平犯科帳」には鍋料理がよく登場します。白魚(しらうお)鍋・白魚と豆腐の小鍋だて・軍鶏(しゃも)鍋・軍鶏のもつ鍋・猪(しし)鍋・蛤鍋・鰌鍋・大根鍋・大根とあさりの小鍋だて・大根と油揚げの鍋などで、江戸の鍋料理として出されていたようです。
なお、鬼平がなじみにしている軍鶏鍋屋「五鉄」のモデルとなったのが1862年創業の東京両国「かど家」ですが、2018年8月31日をもって閉店してしまい残念でなりませんでした。

「名所江戸百景、びくにはし雪中」歌川広重 画
「名所江戸百景、びくにはし雪中」歌川広重 画(1858年)出典:国立国会図書館

表向きは肉食タブーでしたが、江戸時代後期には“薬喰い”と称してイノシシやシカなどの肉を食べる人もかなりいました。“山くじら(鯨)”とはイノシシのことで鍋は「牡丹鍋」、鹿肉を使った「紅葉鍋」も江戸時代からあり、人々は隠語を使って肉料理を食べていました。なお、農耕や合戦に必要不可欠な家畜の牛や馬は食用にされることはありませんでした。

「豆腐田楽を作る美人(一部)」 歌川豊国 画
「豆腐田楽を作る美人(一部)」 歌川豊国 画(1801-1803年)豆腐を切る人、お盆を持つ人、焼き上がった田楽を運ぶ人がおり、棚には串にさした豆腐と、味噌を入れた壷があります。出典:味の素食の文化センター

鍋料理の人気ランキングでも常に上位にランクインする“おでん”は、語源からいえば田楽(でんがく)に“お”という丁寧な言葉をつけた女房詞(にょうぼうことば)で、“お田楽”が略され“おでん”といわれるようになったとのこと。田楽というと、串にさした豆腐に、みそを付けて焼くのが田楽の基本で、後に里芋やこんにゃくも田楽の材料になりました。
平安時代から食べられるようになった唐符の記事はこちら→江戸時代100種もの料理レシピがあった万能な食べ物「豆腐」
江戸中期の国語辞典「俚言集覧(りげんしゅうらん)」には、“こんにゃくを串にさして茹で、みそを付けたもの”、とあり、そのうち里芋の茹でたものも出てきますが、どうやら“湯で煮た田楽=おでん”ということだったようです。なので現在の“煮込みおでん”の出現がいつなのかは定かではなく、明治以降ではないかと言われています。

このように、鍋料理は鍋と七輪・火鉢さえあれば簡単にでき、調理するそばから食べることができるので余分な食器も不要、手軽な鍋料理は大人気となりました。ただし、明治以前までは、鍋で煮たものを器に移さず直接鍋から取り出して食べることは上流社会の間では行われず、庶民の間だけの食べ方だったようです。

明治時代になると富国強兵政策がとられ、それまで禁止されていた肉食が推奨されるようになり、文明開化の象徴ともいえる「牛鍋(ぎゅうなべ)」が大ブームとなります。
味付けは割下ではなく味噌がほとんどで具材は牛肉の他にネギのみの鍋、1923年に起きた関東大震災以降(諸説あり)関西と同じく「すき焼き」と呼ぶようになったようです。

鍋料理の水炊き
鍋料理の水炊き

現在はで、食卓で鍋を囲み好みのものを取り出して食べられるのと、人数の増減も自由なので、家庭料理でも営業料理としても大いに用いられ、また様々な鍋料理が登場し、年々その種類は増え続けています。

鍋物とは、冬を代表する料理で、大勢が鍋を囲んで好みの具材をつつきあうスタイルに意義を見出す人もいますが、その本質は、鍋を火にかけたまま食べるので、最後まで熱い料理が食べられるという点にあります。鍋というコロシアムで繰り広げられる食材争奪の激しいバトルに嫌気をもよおし、牛丼チェーンなどで提供される一人鍋に救いを求めて逃げ出す人もいますが(汗。(最近は一人鍋が流行っている様子)
また、家庭で料理を作る者にとっては準備が比較的楽であるというメリットもあります。そしてなぜか、普段は料理しないぐうたらなヤツが、鍋料理になるとがぜんはりきって、具材の投入の順番や食べるタイミング、各人への分配などを取り仕切ったりするので、そんな人物のこうるさい指示にハイハイと従っていればよいのだから…楽かもしれません(笑。

出典:紀文/鍋の歴史と分類
出典:鍋料理/Wikipedia
出典:鍋料理/コトバンク 
出典:日本語を味わう辞典

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