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昭和の秀逸なフォルムの醤油刺し「しょうゆ卓上びん」

昭和の秀逸なフォルムの醤油刺し「しょうゆ卓上びん」

醤油さしの定番といえば、あの赤いフタのキッコーマン卓上瓶です。
GKデザインの工業デザイナー栄久庵憲司氏(えくあんけんじ/東京都のイチョウマークや新幹線こまちなどを手掛けた日本を代表するデザイナー)がデザインしたもので、1961年発売なので59年間、量産日用品なのにまったく変わってません(普通はマイナーチェンジを繰り返すものですが、栄久庵さんにいわせると「変えようがなかった」とか)。

1993年(平成5年)に通商産業省の「グッドデザイン商品」に認定され、今日までロングセラーとなっています。
そして2007年(平成19年)にはアメリカで立体商標(商品の外観や容器の形状を商標登録し知的財産として保護する制度。日本では、ペコちゃん人形やヤクルトの容器、ホンダ・カブなどあります)の権利を取得しています。確かに、容器をひと目見ただけで、“キッコーマンの卓上瓶”と認識できますよね。

キッコーマン醤油の始まり

キッコーマンの醤油作りが始まったのは現在の千葉県野田市で江戸時代初期と言われています。しかし、キッコーマン醤油史によると“1558年(室町時代後期)野田の飯田市郎兵衛が溜醤油造りを始める”とあるので相当古くからおこなっていたようです。
出典:キッコーマン醤油史

醤油の基本の原料は大豆・小麦・塩、関東平野で育まれた良質な大豆と小麦、江戸湾の塩など、野田市は醤油の原料確保に最適の土地だったそうです。そして1917年(大正6年)、野田市の醤油醸造家一族が合同して設立したのが、キッコーマンの前身となる会社「野田醤油株式会社」でした。設立当初は、醤油の商標が200以上あったようですが、1940年(昭和15年)までに「キッコーマン」に統一されました。

キッコーマン醤油製造の浮世絵
下総国醤油製造之図、キッコーマン醤油製造。三代目歌川広重 画(1880-1890年)出典:artelino-Japanese Prints

なお、キッコーマンの名前の由来は、祖先が千葉県香取市にある香取神宮の神職だったそうで、その神宮の神域の山号が「亀甲山」、「鶴は千年、亀は万年(萬年)」という言葉と組み合わせた「亀甲萬(キッコーマン)」という印をつくり、数多くの商標があった醤油の中で最上級の醤油に付けることとなり、これが始まりと云われています。

ちなみに、醤油のルーツは醤(ひしお)で、縄文時代の遺跡からは、熟鮨(なれずし/魚醤・ぎょしょう)の原型と思われるものが出土しています。本格的に醤(ひしお)が作られるようになったのは3世紀中頃、奈良時代に醤が生産されていますが、調味料というよりおかずとして食べる“なめもの”の一種として食されたようです。調味料として「しょうゆ」という言葉が最初に文献に現れたのは室町時代で、末期(1530年代)には調味料として醤油が生産されるようになりました。
出典:日本食文化の醤油を知る

ちょっと話がそれますが、あの「草加せんべい」は“野田醤油を使っているから美味しい”と、おばあちゃんが言っていたのを思い出しました(当時はわからなかったけどキッコーマン醤油のことでした)。

醤油卓上瓶ができるまで

容器としては、江戸時代から戦後の長きにわたって用いられてきたのは、結樽(ゆいだる)と呼ばれる材質は柔らかく加工のしやすい杉の樽でした。樽は主に酒の輸送容器でしたが、江戸前期に醤油が大量に生産されるようになると、従来の重くて壊れやすい甕(かめ)や壺に代わって広く用いられるようになり、この樽詰めは大正時代に全盛期を迎えます。
庶民は、陶器の徳利で醤油を買いに行き、そのまま、あるいは甕に入れて保存していました。また、農家では醤油甕で自家醸造することも多かったそうです。
なお、17世紀前半頃ヨーロッパへ輸出用の容器として用いられていたものが陶器製の“コンプラ瓶”と呼ばれる壺です。
コンプラ瓶の記事はこちら→日本生まれなのに海外で親しまれた「コンプラ瓶」

キッコーマン醤油の戦前の広告チラシ
缶入り、結樽、瓶詰の醤油が掲載されているご贈答用の戦前広告
キッコーマン醤油の戦前の広告チラシ
キッコーマン醤油の戦前の広告チラシ

ガラス瓶は、明治になってヨーロッパから輸入されたビール瓶が始まりで、醤油容器として本格的に使われるようになったのは大正期以降、ガラス瓶が自動製瓶機によって安定して生産できるようになってからのことです。保存性に優れ再利用しやすく、また中味がよく見えるため、樹脂容器登場まで醤油容器の主役でした。

キッコーマンは、1917年(大正6年)の創立当時から1.8リットル入りの醤油ガラス瓶を販売しているそうです。1925年(大正14年)には2リットル瓶を発売し、以降1994年まで使われていました。

キッコーマン醤油広告
昭和26年のレトロ広告2枚、キッコーマン醤油の広告チラシ。
キッコーマン醤油広告
キッコーマンのキャラクター「キッコちゃん」のプリントが印象的。

1950年(昭和25年)にキッコーマンのキャラクターとして誕生した「キッコちゃん」、広告・ポスターで製品を紹介する際に登場していました。キッコちゃんは、当時はやっていた「サザエさん」をヒントにたようで、名前・野田キッコ、年齢20歳、パーマヘアー(当時パーマが流行り始めていました)、エプロン姿の明るく健康的なおじょうさん、という設定でした。
時代に合わせながら服装や表情を変えていったのですが、思ったようには浸透しなかったため昭和50年代半ばに密やかに引退していました。

昭和20年代後半、当時の各家庭では、買ってきた醤油を小さな醤油差しに移し替えて使っていましたが、注ぐたびに醤油が垂れ容器やテーブルを汚すため、醤油差しには受け皿が添えられていることが多かったようです。そのため消費者の間で高まっていた小容量容器を開発し、1952年(昭和27年)“受け皿なしで快適に使えるしょうゆ差しを!”と合成樹脂キャップを使用した六角錐形の卓上ガラス瓶、1954年にはヒナ鳥型卓上瓶(宣伝用として女子高生の卒業祝いなどで配布されたとか)を作製しました。その後、初めて市販されたのが1958年(昭和33年)の「卓上瓶150cc」で、液垂れが随分解消され好評を得ました。

キッコーマンしょうゆ卓上びん
1952年(昭和27年)頃の六角錐形の卓上ガラス瓶、1954年のヒナ鳥型卓上瓶

そして、今や世界約100カ国、累計5億個が流通する赤いキャップの「キッコーマンしょうゆ卓上びん」が1961年(昭和36年)に誕生します。発売当時は150ml入りで1本40円。
“主婦が家庭の主人公になる”と考えた栄久庵氏は、女性を意識したデザインで、手に合った大きさと持ちやすさ、倒れにくい安定感、液だれしない注ぎ口、移し替えやすいびんの口径(2リットル瓶の口径より1mmほど口径が大きい)、減り具合が見える利便性など、また置いた時だけではなく道具として使う時も美しいこと、そこまで配慮したデザインで大ヒット商品になりました。
一番のネックの液垂れ問題は、従来の醤油差しは急須の注ぎ口と同じで下が長く、これと逆に下側を60度の角度でカットして短くしたことによって、液垂れのないキレの良い注ぎ口ができたとか。101もの試作品を作成したと言われています。

発売されたその年だけで約200万本を出荷。こうして、“醤油=キッコーマン”というブランドを打ち立てるのに大いに貢献し、近年は国内以上に海外で売れています。なお、キッコーマン醤油は、アメリカ家庭用醤油市場のシェア約6割(2018年度)にも達しています。

キッコーマン特選丸大豆醤油
1961年(昭和36年)に発売、当時は150ml入りで1本40円でした。キッコーマン「特選丸大豆醤油」

最後に

立体商標では通常、ブランド名やロゴが入った形で登録されるケースが多いですが、「キッコーマンしょうゆ卓上びん」は一切の表示のない食品容器としての登録されたそうです。そのようなものがなくても容器の形状とブランドが認められた数少ない例で、その他の形状のみで立体商標登録されたのは「コカコーラのボトル」や「ヤクルトの容器」などいくつかの例しかないとか。(海外では上記アメリカ以外、EU、ロシア、豪州などで登録済)
品質保証の目印としても、容器のデザインが果たす役割は大きく、ヨーロッパの中華系・アジア系レストランでは、最初の1回だけこれを買い、次からは中国産の醤油に詰め替えるということがよくあるそうです。

なで肩で赤い注ぎ口を被ったその形状だけで、醤油の香りまで伝わってきそうな醤油刺し、お刺身や焼き魚などの並んだ食卓を思い出さない日本人はほとんどいないと言ってもよいかもしれません。“ちょっと、そこのお醤油とって…”と言われれば誰もがこの瓶を手に取るはず。
60年近く経った今でも変わらない昭和の秀逸なフォルムの醤油刺し、一番似合うのはやはり“ちゃぶ台”でしょうか。
今日も世界中のテーブルにさりげなく置いてあることでしょう。

出典:キッコーマン
出典:キッコーマンしょうゆの歴史

蛇足、キッコーマンが一番メジャーですが、実は好きな醤油は「ヒゲタ醤油」なんですよね、「本膳」などホント美味しいと感じます。おすすめです。

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