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「凶」を引いたらやはり気になります!

「凶」を引いたらやはり気になります!

おみくじは神社仏閣で吉凶を占うために行なう籤(くじ)ですが、お正月の初詣だけでなく、参拝したら引いてみるという人もいるでしょう。
無作為に選んだ紙に書かれた御神託が、そのまま自分の運命になるとは信じがたいし、当然、おみくじは非科学的です。
しかし、凶を引いてしまうと、何だかとても気になってしまいます。くじの結果を信じる、信じないではなく、自分への訓戒として考えればよいのですが…。
以前、神社仏閣場所を変えて“凶”を3回引いてしまい、その年はかなり悪かった経験があり、また友人も凶と大凶を引いて…最悪の年に。なので、何気に“当たる”のではないか、と思ってしまうのですよね。
そんな、今ではあまり引きたくなくなった「おみくじ」について気になり調べてみました。

籤の並んだ棚、御神籤箱、料金箱
籤の並んだ棚、御神籤箱、料金箱(上賀茂神社:京都市)出典:Wikipedia

おみくじは「くじ」の一つで、「くじ」とは、偶然を利用して物事を機械的かつ公平に決める方法で、現代でも順番や商品の当選者などを決めるとき、くじ引きによって決定することが多くみられます。
おみくじとは、この「くじ」に神意を求める方法になり、なので丁寧語の「御」や「神」という文字を入れて、普通のくじとは一線を画しているようです。
おみくじを漢字で書くと、「御御籤」「御神籤」「御仏籤」または「みくじ」「神籤」「御籤」「仏籤」「御鬮」、おみくじの“お”と“み”はともに接頭語で“み”を「神」「仏」と書くのは当て字になります。

「くじ」の語源は、「串(串のような棒状のものを使うため)」、「公事(公のことを決めるのに使うため)」、「奇し(奇なことを起こすから)」など諸説あり、文献におみくじの古いものだと見られるのは奈良時代に成立した『日本書紀』に、有間(ありま)皇子が謀反のことで短籍(ひぬりぶみ=くじ)をとって占ったとあります。
「くじ」という言葉が文献に登場するのは平安時代末期、鎌倉時代には神仏の霊威を意識したものは「御鬮(みくじ)」、それ以外の日常的なものは「鬮、孔子(くじ)」と呼び分けていたようです。

物事の善し悪し、重要事項の決定、勝敗の決定、後継者人選、物事の順序の決定などの際、神の意志を知るための方法として始まったようで、やり方は様々でしたが、一般的だったのは短籍(たんざく)方式、これは竹・木片・紙片などに人名・事項などを書いておき、神さまに祈ってから、一つを引き出すというやり方でした。

元三大師と角大師「天明改正 元三大師御鬮繪抄」
元三大師と角大師「天明改正 元三大師御鬮繪抄」(1785年 仙鶴堂 発行)出典:Wikipedia

現在のおみくじの原型は、天台宗延暦寺の高僧である良源(元三大師)が、室町時代からあるといわれる五言四句の漢詩百詩で運勢や吉凶を表した「元三大師百籤(がんざんだいしひゃくせん)」からきたと言われています。1番から100番まであり、ひいた番号の文章が運勢という現代とほぼ同じスタイルだったようです。元三大師とは、正月3日に亡くなったことからこう呼ばれるようになったとのこと。元三大師百籤は「観音籤」とも呼ばれます。

「元三大師百籤」では100本中に大吉16本、吉35本、その他の吉19本、凶30本という割合が決まっていて、このおみくじは鎌倉時代初期から行われるようになったようです。そして、江戸時代初期に天海(慈眼大師)とその弟子たちによって広まりました。

ちなみに、戦国武将がおみくじにより戦い方を決めていたという記録もあり、明智光秀も本能寺の変の前日に愛宕山でくじを引いて勝運を占ったと伝えられています。二度三度とくじを引いたそうですが、引き直したくじの結果はもしかしたら、あの最後を暗示していたのかもしれません。
他にも政治の世界で、1242年、鶴岡八幡宮で天皇を決めるのにくじを引き、後嵯峨天皇が即位します。 足利幕府の後継者を決めるため岩清水八幡宮でくじを引き足利義教が即位、などの話があります。
また、元号の「明治」は、松平春獄が候補となるいくつかの元号を考え、その中から、1868年(慶応4年・明治元年)9月7日夜に宮中賢所において明治天皇がくじを引いて選んだとされます。

おみくじ

寺のおみくじには漢詩が、神社のおみくじには和歌が添えられることが多く、一般におみくじの縁起の良い順番は7段階の場合、大吉>中吉>小吉>吉>末吉>凶>大凶となっています。
吉凶の分け方や割合は寺社によって様々で、縁起が悪いと苦情があるため大凶や凶を抜く寺社もあるとか。なお、東京都内776カ所の神社仏閣のうち、おみくじに大凶が入っているのは31カ所というデータがあるそうです。
“おみくじで凶が出る確率が高い”なんていわれている全国有数の初詣スポットで有名な浅草の浅草寺は、今も元三大師百籤の流れをくんで、大吉17%、凶は30%。吉16%、末吉6%、末小吉3%、半吉4%、小吉4%となっていて、数字だけを見ると単純に3分の1ほどで凶を引いてしまうことになり意外と高い確率かもしれません。

おみくじは、参拝した後に引くのが基本、引いたおみくじを境内の木の枝などに結んで帰る風習は江戸時代にはすでに始まっていたようです。この習わしは、とくに凶札の場合、“凶を寺社にとどめて良い運勢が結実するように木の枝に結ぶとよい”といった言い伝えからきているとか。
また、結ぶという行為をするのは、江戸時代に恋愛ごとに悩んでおみくじを引く人が多かったことから“縁を結ぶ”になぞられた慣習です。そして「むすび」語源が産霊・産日であることからも、結ぶ行為に神秘的な力が込められているとも言われています。

吉凶に関わらず持ち帰っても良いそうですが、やはり凶札が出た場合だけ結び、それ以外はお守りとして財布などに入れて時折読み返してみるのが効果的とされます。持ち帰った場合は、後に神社に納札に行くのがよく、また必ずしもひいた神社でなくてもよいそうです。
なお、占いたいことが複数ある場合を除き、くじは取り直さぬもの、凶が出たからといってその場で何度もおみくじを引き直すのは禁忌だとか。

おみくじ

重要事項の決定や人選など、様々な時代と場所で活躍してきた「くじ引き」という方法は、多数決に比べて少数意見が通る余地があり、ある意味、民主的な解決方法かもしれません。なぜなら、往々にして歴史で、多数派の選択が間違っていることが多々見受けられるからです。
占いは、統計学によりその人の人生や性格などを通して結果を導き出しますが、くじを引くことはその真逆で、くじやおみくじの結果は、社会的地位や職業による差はなく、ただそこには自らが持った運や、または人間には知る由もない運命は神のみぞ知る、という不可思議さがあって、あらゆる「験」を担いでおきたいと思うのは心情で、だから人は引いてしまうのでしょうけど。

たとえ凶だとしても、“凶というのは凹んだ中から芽(メ)が出る兆しのこと”という前向きな言葉もあります。
そして、現代でも様々なことが「吉凶」を見極める頼りとなっていますが、鎌倉時代末期の随筆家、吉田兼好は「吉凶は人によりて日によらず」と、現在の己(おの)が行いによって未来の良し悪しは左右されると指摘します。おみくじ如きで一喜一憂しても仕方のないことなのかもしれません。

とはいえ、多少に第六感がある自分としては“凶”を引いたらやはり気になります。皆様はこれまでに悪い運勢を示す「凶」や「大凶」を引いてしまった経験はありますか?

出典:おみくじ
出典:くじ
出典:おみくじQ&A

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