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千羽鶴は優しい想いを伝える「折り紙」つき!?

千羽鶴は優しい想いを伝える「折り紙」つき!?

折り紙といえば、折り鶴を思い出しますが、きっと折り紙遊びでは真っ先に教え込まれ、複雑な手順を要する作品ながら大半の日本人が作ることができるかと。
ですが、金のかからない遊びを覚えるヒマのない昨今の子どもは、どれほどの人がこれを折れるのかは不詳です(汗。
ということで、寒い日は外に出るのがおっくう…、そんな日は暖かい部屋で折り紙で遊んでいた子どもの頃、という「折り紙」について。

折り紙とは、紙を折り畳んで様々な形を表現する技法・遊戯、またその遊びのために使用する色とりどりの紙を言います。
レストランで食事をした後の日本人を観察していると、割り箸の包み紙やナプキンで折り紙を始める人が(特に年配の人で)多いかも。このような習性が折り紙アートを生んだのか、折り紙を子どものころに教えられたからこんな習性が身についてしまったのか、いずれにしてもこうした日本人の“折りたたみ癖”は、着物、風呂敷、扇子、折りたたみ傘、贈答品のラッピングなど、独特の文化を生んでいます。蛇足ですが、折りたたみ扇子も折りたたみ傘も日本で発明されたものだとか、やはり日本人は折りたたむのが好きかも。
なので、折り紙は日本人の“折りたたみ癖”がアートにまで昇華した遊びであり、いまでは世界各地で“origami”が学校教育に取りいれられています。

なお、11月11日は世界平和記念日(1918年第一次世界大戦休戦条約が調印された日)でもあり、1が4つで正方形のおりがみの4辺を表すことと、折り紙に平和を願って1980年(昭和55年)に「おりがみの日」と制定されたとか。

江戸修美新子おもちゃ絵
「江戸修美新子おもちゃ絵」無款(1890-1910年)出典:artelino-Japanese Prints

「折り紙」は紙が日本へ610年に伝来(僧・曇徴[どんちょう]が伝えたいわれています)して以来、生活様式の中から自然発生的におこったものとされます。切り紙と交じり合って神社の祓(はらい)や御幣(ごへい/紙を段々に切り竹や木にはさんで垂らしたもの)、垂(しで/四手)、注連縄(しめなわ/などに垂れ下げるもの)などに始まり、政(まつりごと)や信仰などの中で紙を折るという技法が発展したと考えらています。
やがて供物や贈り物を包んだとき紙に折り目がつくことに着目して、紙をきれいに折って飾ることが始まりました。

平安~鎌倉時代には、公家武家社会の上流階級の間で冠婚葬祭などの儀礼的・礼法的場面において大事な手紙を折り畳んだり、物を包むような文化習慣が生まれたようです。
鎌倉~室町時代から紙を半折(はんせつ/二つに折った紙)したものを「折紙」といい、刀の本阿弥(ほんあみ)家、絵の狩野(かのう)家などが、書画・骨董などの真贋(しんがん)の鑑定書として使用したのが「折紙付き」の語源とされ、現在も文化財などの多くに付随して散見されます。

室町時代に入ると小笠原家や伊勢家によって様々な礼法が整えられ、紙包みの礼法(儀礼折)もこのころ確立したといわれています。
今も使われている熨斗(のし)包みや三三九度の雌蝶(おちょう)雄蝶(めちょう)(結婚式の杯事[さかずきごと]の時に使う銚子や提子[ひさげ]につける折り紙の雄雌の蝶)などの折り方はその名残だとか。
また同時に御所などの官女たちの手遊び(てすさび)に、人形などの形を折り顔を書き入れた「御所折り」が発生、折り鶴・奴(やっこ)さん・袴(はかま)などはこの時代にあったといわれ、江戸初期に広く普及した遊戯折り紙につながります。

江戸時代になると、武家社会の秘伝であった儀礼折り紙が町人社会などにも広まり、寺子屋や遊里などでも遊戯折り紙の遊びが行われていたようです。

「傾城折居鶴」西川祐信
「傾城折居鶴(けいせいおりすえづる)」西川祐信 画(1717年)出典:Waseda University Library

寺子屋で師匠が“ほうびにやるぞ”と左の少年に折り鶴を渡し、右の少年は“おれもほしいが”とつぶやいて清書に励んでいます。このように、もともと遊戯折り紙は、礼法の流れもあって男子の嗜みでした。礼法を知り、紙を扱う寺子屋の師匠も遊戯折り紙の普及に一役買ったようです。
それがやがて女の子の代表的な遊びになっていきますが、折り紙に夢中になったのは子どもだけでなく、大人の女性や武士にも折り紙好きがたくさんいたとか。

「百人一首絵抄 八十四番 俊恵法師」歌川国貞
「百人一首絵抄 八十四番 俊恵法師」歌川国貞 画(1847年)出典:東京都立図書館

大人の女性が折り鶴を折っている様子が描かれており、膝元には紙で折った箱も見えます。

「子供風俗 折りもの」宮川春汀
「子供風俗 折りもの」宮川春汀 画(1896年)出典:Ronin Gallery

子どもの遊びを描いたシリーズのうちの一枚で、女の子たちが折り紙遊びをしている様子。

なお、現代の折り紙の形になり始めたのは、江戸時代の元禄年間(1688-1704年)の頃から。製紙技術の向上とともに大量生産された比較的安価な紙が庶民の間に普及し、色付き和紙で伝承折り紙の原型が作られるようになったとされます。1797年(寛政9年)には、世界で最も古い折り紙の本『秘傳千羽鶴折形』(49種の折り鶴が狂歌とともに掲載されています)が出版されています。また、この頃の折り紙は、儀礼の席での飾りや贈答品の飾りとして使われた“儀礼折り紙”と、遊びとして広まった“遊戯折り紙”の2種類があったようです。
そして、遊戯折り紙のなかでも、鶴やかぶとなどの具体的な物の形に見立てて作った折り紙は、もともと、病気や災難を人間に代わって背負ってくれるように、という意味を持って折られていたと考えられています。

ちなみに、「折り紙」という呼び方がされるようになったのは明治時代からで、江戸時代には「おりすえ(折居)」とか「折形(おりがた)」とか「をりもの」などと呼ばれていました。

明治時代になると、折り紙は小学校低学年の教課に、明治後期から大正にかけては小学校・幼稚園等の幼児教育に繰り込まれ、1辺が15~18cmくらいのカラー洋紙の折り紙や種々の千代紙も普及、知能開発教育の方法として盛んに取り入れられ、今日にまで受け継がれています。

「折り鶴を作る少女たち」寺崎廣業
「折り鶴を作る少女たち(小樽新聞附録)」寺崎廣業 画(1906年)出典:メトロポリタン美術館

いまや折り紙は幼児から老人まで、日本だけでなく世界中で親しまれていますが、近年は様々な場面で活躍しているそうです。
折り紙は手先をよく使うので脳の活性化を促す効果があるとされ、介護やリハビリの手段として、また子どもたちには小学校の総合的な学習の時間に、手先の器用さや創造的に考える力を育む方法として利用され、加えて集中力や空間認知能力を高めることもできるとされます。
また「折り紙幾何学」という分野の発見もされ、構造力学など化学分野の応用など(人工衛星の太陽電池パネル・エアバッグ・医療用のステントグラフトなどの折り畳み)、他にも様々な数学的研究がなされています。

折り鶴

「折り鶴」は日本の折り紙文化を代表する存在(シンボル)のようになっていますが、これを千羽束ねたものが「千羽鶴」で、平和祈願や病気平癒のお守りとされます。
千羽折るのは、おそらく“鶴は千年生きる”という迷信に関連しているかと思われ、祈りながら千羽折った人々の気持ちが込められていると考えれば、霊的な力をもっていると認定される価値は十分あるような気がします。でもまぁ、折るのがカメでなくて鶴だったからまだ良かったのかも、カメだったら“万年生きる”という迷信にしたがって一万匹折らなくてはならず、完成したころには病人もすっかり治ってしまっているだろうから…。

出典:日本語を味わう辞典
出典:折り紙
出典:おりがみ、文具、玩具の株式会社トーヨー
出典:日本折紙協会

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