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バンバン「ハンコ」を押していたあの頃が懐かしくなりつつあります

バンバン「ハンコ」を押していたあの頃が懐かしくなりつつあります

数年前にすでに電子印鑑(デジタル印)が登場していて、契約書等に使って以来なんだが便利と思いつつ、こんなもので大丈夫なのだろうかと感じたのは確かです。またつい最近、印鑑証明を取る機会があって、こちらは市区町村に登録されたハンコなので高い証明力を有していて認印とは違うことはわかります。
昨今では「脱ハンコ」の機運が高まっていますが、普段何気なく使用し、あまりにも身近にあったハンコって知っているようで実は知らないことが多く、なので調べてみることにしました。

蛇足ですが契約とは、破ると冗談ぬきで恐ろしい仕打ちが待っている約束。日本で約束を取り交わすさいに「指切りげんまん、ウソついたら針千本飲~ます」という歌を歌うことがありますが、この約束がお互いの同意の上で成り立つ契約として成立したなら、約束を破ったものは本当に針を千本飲まなければならない(汗。当の日本人は約束を破ったからといって針千本飲ませる罰を下すことなど考えもしないが、にもかかわらずこのような歌があるということは、約束あるいは契約といった行為について、日本人同士が信頼しているか将又かなりユルく捉えているのかもしれない…。

「朱肉と印章」柳々居辰斎
「朱肉と印章(画名不詳)」柳々居辰斎 画(18世紀)出典:ミネアポリス美術館

一般的に、判子(ハンコ)・印鑑などと呼んで使用していますが、正確には、金属や硬い鉱物の面に紋様や文字を彫刻した道具が「印章(いんしょう)・判子」で、その面に朱肉またはインクを付け紙などに押し付けた痕跡を印影(いんえい)、この印影と印章の所有者を一致させるために地方自治体や銀行などの機関に登録した印影(実印や銀行印)の登録簿を「印鑑」と呼ぶそうです。なお、印鑑登録が開始されたのは1871年(明治4年)で、一般に印鑑証明を受けられる印鑑は実印(大きさが25mm四方以上や8mm四方以下のものは認められない)といい、それ以外のものを認印とされます。なお、認印とは市町村に登録されていない印章ことで、印影を複製しやすいといった理由から、法的な証明力に乏しいとされています。

つまり「この契約書に印鑑を捺印(なついん)してください」ではなく、「この契約書に印章(または判子)を捺印してください」が正しいとか。ですが、世間一般では「印鑑」=「印章(判子)」という認識になっています。また、印章は印・判・印判(いんばん)などともいい、印章を押すことの捺印を他にも押印(おういん)・押捺(おうなつ)といいます。

明治大正時代の印判師
明治大正時代の印判師(印章を彫り売ることを業とする人のこと)。出典:Flickr

この印章の歴史は古く、紀元前5000年頃のメソポタミアで使われるようになったとされ、初めは動物文・幾何学文を刻んだスタンプ型でしたが、次第に文字を彫り込んだものや円筒印章も現れ、インドでは紀元前2000年頃のインダス文明でインダス式印章が普及し、これがシルクロードを通って古代中国には紀元前500-300年頃に伝わったようです。

漢委奴国王の金印
漢委奴国王の金印(1954年に国宝指定)。出典:Wikipedia

日本では57年に中国・後漢の光武帝から与えられたという「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」(奴国とは現・福岡県博多地方)の金印(純金製)が日本最古のものとして有名ですが(ただし当時の日本ではまだ漢字を使用しておらず印章を使う風習もなかったため偽物説もあり)、印章が本格的に使われるようになったのは大化の改新後の奈良時代、701年の大宝律令制定下に隋・唐の印章の制度を輸入した官印(天皇の印・太政官の印など)からと考えられています(私印は一般には認められていませんでした)。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の花押
左から、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の花押。出典:コトバンク

その後、平安時代の10世紀頃には自署の草書体から変化した花押(かおう/自署のかわりに書く記号。印判と区別して書判)の発生と、律令制の崩壊により印章は衰微しました。なお、私印が許されたのは平安時代になってからで、当時の藤原氏の私印などが残されています。

官印の衰退とは逆に、中世には私印が発達しました。古代からわずかに行われていた私印の風習に加えて、禅僧たちの大陸への往来が盛んになった鎌倉時代には自筆に印を用いることが伝わって、書画に落款(らっかん)の印を捺すことが広まりました。
鎌倉時代以後は大きさ・形も変化に富み、室町時代末・戦国時代には花押にかかる手間を簡略化するため武将や大名も略式の署名として各種の印章が使われるようになりました。

織田信長が書いた朱印状
1573年(天正1年)織田信長が信濃兵部丞にあてた朱印状。「天下布武」印がみられます。出典:国立国会図書館

戦国武将が用いた印章には、吉祥句や政治上の理想を表すものが多く、また神仏の名や、霊力・威力のある動物の図が用いられたようです。織田信長の「天下布武(てんかふぶ)」、武田氏の竜印、北条氏の「禄寿応穏(ろくじゅおうおん)」、今川氏の「如律令(にょりつりょう)」などが有名です。また印文には朱(朱で捺した書状が朱印状)と墨(墨で捺した書状が黒印状)の2種があり、朱印のほうが厚礼とされ庶民は用いることはできませんでした。

印章の使用が16世紀後半から広く庶民の間に広がり、江戸時代に入って百姓町人が公式の届書に印章を押捺するようになると、印章の正否を判断するため照合用にあらかじめ印影を登録しておく必要が生じました。この登録台帳を印鑑(これが後の印鑑登録制度の起源)といい、この印鑑・印章は庶民の財産を保証するものとして非常に重く扱われるようになり、他のアジア諸国とも様相の異なる日本独自の印章文化(ハンコ文化)が確立しました。

旧藩印鑑の登録台帳5巻(一部)
「旧藩印鑑の登録台帳5巻(一部)」(19世紀)出典:Waseda University Library。1871年(明治4年)に行われた「廃藩置県」前の印鑑かと思われます。

明治時代になると公印の制度を定め、一般にも証文には花押にかわって登録された実印を用いることが定められました。しかし通常は簡略な認印や、できあいの三文判が使用され、また拇印(ぼいん/右親指の裏に朱肉をつけて指紋を押捺すること)も代用されることもあり、判子の煩わしさが問題にされながらも、つい最近まで日常生活に欠かせないものとなっていました。なお、1873年(明治6年)10月1日に発せられた太政官布告(実印が捺されていない公文書は裁判において認められないことが明記)にちなみ、10月1日は「印章の日」になったとか。

様々な判子

ということで、ハンコ(判子)とは氏名や組織名を篆刻したスタンプのことで、日本では書類の内容を肯定した意志を示す記しとして用いられ、長い歴史があるので何となく惰性・慣習として形式的に続けられてきた側面があります。単に「判(はん)」ともいいますが、言葉としてはむしろ「版」のほうが正式で(「版行」の当て字が判子)、ハンコは「判を押す物(子)」という意味の愛称のようなもの、だと思われます。
欧米人が同様の目的で用いるサイン(署名)は、記憶障害にでもならないかぎり、盗難にあったり紛失したりする心配がないのに、悪用される危険性の高いハンコをいまだに信用しているのは、日本人が常に同じ形の署名を書く自信がないからなのか…。もっとも、読みたくもない書類を読まずに、端からバンバン認証していくのにハンコは確かに便利な道具ではありましたが。
そして現在、行政手続きにおける様々な無駄削減のため、押印が必要な約15,000件のうち不動産登記や法人登記など実印が必要な83件の手続きを除く、ほぼすべての手続きでハンコが不要になりつつあります。
でも、昔から今まで使用していた認印、もう使われなくなるけど、自分は捨てることができないかな。

出典:印鑑
出典:印章/Wikipedia
出典:印章/コトバンク
出典:日本語を味わう辞典

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