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昭和レトロな商標「燐寸(マッチ)」

昭和レトロな商標「燐寸(マッチ)」

おそらく喫茶店やカフェが全盛の1960年~1970年頃のマッチ。
喫茶店というと、コーヒーの芳しい香りとタバコが似合う、そしてテーブルには店のマッチ。
店の広告として利用していたマッチ箱という小さな媒体は、その店独特の風合いがありデザインやイラストも凝っていて、つい集めたくなる。
なお、日本はマッチの種類では世界一らしい、そんなマッチのお話です。

昭和レトロな商標マッチ
昭和レトロな商標マッチ
おそらく喫茶店やカフェが全盛の1960年~1970年頃のマッチ

歴史は100年を超える

現在の形のマッチは、1827年にイギリスのJ.ウォーカーによって作られ、小箱の側薬にマッチをすって火をつける安全マッチは1855年にスウェーデンで発明されました。
日本では1876年に清水誠氏が東京で新燧社(しんすいしゃ)を設立し、国産初のマッチの製造を始めました。
その後、輸出にも成功するなどマッチ製造は発展し、明治・大正時代は日本、スウェーデン、アメリカが世界の3大マッチ生産国だったそうです。

1907年(明治40年)には生産量が最高を記録し(内、約80%が輸出)大正時代前半まで好調、世界のマッチ供給の80%は日本製になっていました。その後、戦争による不況や発展途上国による自国生産、欧州各国マッチ工場の復活で激減していきます。

戦後、マッチ生産は復活。昭和30年代(1955年頃)には機械化が進み、それまでのマッチの需要は家庭用マッチが中心でしたが、昭和40年頃から喫茶店や飲食店、デパート、旅館、ホテル、そして企業のマッチなど、宣伝用のマッチを配ることが流行し広告マッチを中心に需要を大きく伸ばします。
昭和50年(1975年)の昭和30年に対する用途別出荷量は、家庭用マッチは35%減少したのに対し、広告用マッチは3.5倍と大幅に増加しています。

しかし、昭和51年(1976年)頃から使い捨てライターやガスコンロなど調理器具・暖房器具の自動着火装置の普及、広告面をもつポケットティッシュやその他の販促品の出現で、マッチ全体の出荷量は昭和48年(1973年)をピークに翌年からは減少するようになりました。
禁煙ブームで喫煙者が減っていったことや昔ながらのカフェや喫茶店の減少も考えられます。

2017年、「象印」や「燕印」、「桃印」の商標で知られる家庭用マッチ国内最大手メーカー兼松日産農林は製造販売から撤退しました。
現在マッチメーカーはティッシュや印刷、食品などに経営を多角化して生き残りにかけている現状だという。
出典:日本燐寸工業会-マッチの歴史

「燐寸(マッチ)」は生き残れるか

今では、仏壇や墓参りの線香などのほかは、マッチはあまり使わなくなっています。実際に目にしたことがない人も多くなっているそうです。

だが、昭和レトロブームに乗って、昔ながらの喫茶店を訪れる人も増え、またそのような喫茶店はまだまだマッチが置いてあって、お店の広告マッチや昔の商標マッチを収集する人も増えているように思います。
そして、日本製の広告マッチは種類や品質など大変優れていると聞き及びます。昔の商標マッチなど、小さいところも細密に描写された独創的なものや世情を反映したもの、日本の伝統文化を取り入れたものなど 小さい箱に描かれた芸術品とさえ感じます。
このようなマッチを、ネットオークションやネット通販サイトで、現在もレトロなマッチや復刻版などとして売られていて購入できます。

きっと、今でもある神事として火打石での儀式があるように、趣味として嗜好品として残り続けるのではないでしょうか。
やはり仏壇にあげる線香にはマッチが似合うし、ウチは何気にマッチだったりします。