日本酒が薄いサワーみたく飲めた江戸時代、などなど
古代は“酒(さけ)”と言われていたものが「日本酒」という呼び名になったのは、ビールやウイスキーやワインなどの外来酒の国産化が始まった明治以降からだという。
海外では”Sake”として注目が高まっていますが、そんな「日本酒」にまつわるあれこれ話です。
江戸時代の酒は加水して薄かった
江戸時代に一般的に飲まれていたお酒のアルコール度数は4~5度(現代ではアルコール度数14度ほど)とビールと同じくらい薄いものでした。
この時代は精米機などなく、ほぼ人力(足踏みを基本)でのお米の精米で精米歩合は8~9割ほどでした。この高い精米歩合で日本酒を醸造すれば当然雑味も多く含まれ発酵過程で糖化が進みます。ですので、アルコール度数は現在と同じくらいの約15~17度程度ですが、糖分やアミノ酸(旨み成分)の割合が高い濃く甘い日本酒が出来ることになります。
(現在の吟醸酒は精米歩合が60%以下、大吟醸は精米歩合が30%~50%なので、このようにお米を精米して削り取ってしまうことで雑味を取り除いて上品な味わいに仕上がります)
江戸時代に石造税と言われていた現代でいう酒税、アルコール度数に関係なく造った酒の量に税金が課せられるもので、節税対策のために蔵元はあらかじめ濃く造っていたそうです。
また、船や人力または家畜で輸送する関係で荷物は少ないほうが良いため、濃いままの原酒で運び、現地で薄めたほうが輸送面でもメリットがあったとも言えます。
なので、江戸時代の日本酒は“みりん”みたいに味が非常に濃いものだったため加水して薄めて飲んでいました。アルコール度数5度くらいがちょうど飲みやすくなる度数だったのかもしれません。
一説に1日2合の酒を飲んでいた、なんて話も、現代に換算すると缶ビール(350ml)1缶程度ですもん、まっ昼間から飲めるはずですよね、長谷川平蔵さん!(鬼平犯科帳より)
武士の「出陣式(しゅつじんしき)」
これも式三献(しきさんこん)の儀式になります。
平安時代のころに始まった、武士が戦を始める前に軍の勝利を祈願する儀式「出陣式」、三種の肴(さかな)と三献(さんこん)の盃で祝い酒をし出陣した、と言われています。
三種の肴とは、鮑(あわび)、栗(くり)、昆布(こんぶ)が一般的で、「敵を討ち(打ち鮑)、勝ち(搗ち栗)、喜こぶ(よろ昆布)」という勝利にちなんだ語呂合わせや験かつぎの意味の祝い言葉に合わせたもので、打ち鮑は細く裂いて干した熨斗(のし)鮑、搗ち栗は栗の実を乾燥して殻と渋皮を取り除いたものです。
1つの盃に1つの肴がつく儀式、日本酒は古くから食事と合わせるものだったのですね。空きっ腹にお酒も美味しいですが、胃にはよくありませんものね。
「くだらない」という言葉の語源
江戸時代、日本酒の一大消費地は江戸でした。当時、日本酒造りの中心地は「寒造(かんづく)り」の製法が確立された伊丹(現・兵庫県伊丹市)や灘(現・兵庫県神戸市、西宮市あたり)で、特に良質な米と名水、そして高度な技術を持った杜氏(とうじ)の力により伊丹の酒は極上品として愛されました。
造った日本酒は、船で江戸へ運ばれたため「下り酒(くだりざけ)」と呼ばれていたそうです。一方、江戸に運ばれない出来の悪い日本酒のことを「くだらない」と表現するように。
これが、価値がないものなどに使う“くだらない”という言葉の語源になったとか。
居酒屋ができたのは
江戸時代の酒屋では量り売りで酒を販売したほか、店先でお客に酒を提供することもありました。この、酒屋で酒を飲むことを「居酒(いざけ)」(主に、立ち飲みスタイル)といい、しかしあくまでおまけ的なものだったようです。やがて、店内でお客に酒を提供することを本業にする店も登場します。これが居酒屋になり、この時代の一番多い時でなんと約1,800軒、飲食店全体の23%も占めていたそうです。江戸時代は吞兵衛が多かったのでしょうか。
余談ですが、今でも酒屋の入り口で見かける酒屋の看板、杉の葉でまとめた丸い球は“酒林(さかばやし)”とか“杉玉”と呼ばれ、由来は、酒造りの神様の大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る三輪神社(奈良県)が杉の木をご神木にしていたことからなんだとか。
昭和に生まれた大衆文化「もっきり」
日本酒を量り売りしていた時代に、升になみなみいっぱいの酒を注いで量っていたのが“もっきり(盛り切り)”のルーツ。
升の上にグラスを置き、グラスになみなみと日本酒を注いで升に溢れさせて供すること。昔の居酒屋では1合(180ml)づつでお酒を提供していたのですが小さなグラスでは1合が入りきらなかったため、グラスの下に小皿や升をおいてお酒の量の帳尻を合わせたのがはじまりと言われています。
次第に“どれだけこぼしてくれるか”で店側の心意気を表現するようようになっていきました。
飲み方は、グラスを傾け升に少しこぼし、先にグラスの中の酒をちびちび飲みます。そして升の中の酒をグラスに注ぎ、グラスから飲みます。(グラスに移さないで升で飲んでもよいそうです。)日本酒のお代わりは升を変えずに頼むのがルールです。
やはり升にいっぱいこぼしてくれると嬉しいもの、ささやかな“おもてなし”なのでしょうね。(升までなみなみいっぱいにしてくれた時は歓喜しましたーその下にまた受け皿いただきました(笑)
差しつ差されつ、酌み交わす
日本特有のお酌文化。「お酌」とは、酒を杯につぐこと。宴会の際に客に対してお酒をすすめる際の行為ですが、主に年少者から年長者に対して行われます。
元は、鎌倉時代に殿様から家来へ、戦の労をねぎらう意味でおこなわれていたそうで、その名残から今でも日本では、コミュニケーションのため「お酌」をしているといわれます。
日本酒の歴史をみると、日本人にとってお酒は長らく他人と和やかな関係を築くためのもの、飲食だけが目的なのではなく、“共に飲み交わす”ことにより親交を深めることが大きな目的でした。
ちなみに、欧米では水の代わりに「お酒」を飲んでいたため、「お酌」をする文化が生まれなかったと考えられています。
ネガティブな意見もあるようですが、話しかけるきっかけにもり、親交も生まれると思うのですが。反対にこのような事もできないと……ダメなような気がします。
とはいえ、“和”のためにできた風習ですから、相手の気持ちも汲みながら楽しみながらお酒を酌み交わしたいですね。
しかし、自分は、嫌な相手にはお酌しまくり静かにさせていましたー、これも“和”かな(汗
出典:日本酒の基礎知識について
出典:江戸時代の酒事情
出典:日本酒の歴史と文化
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