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今と変わらなかった明治の「鉄道」

今と変わらなかった明治の「鉄道」

蒸気機関車SLとは蒸気(Steam)によって動く機関車(Locomotive)を言います。
実は、電車が好きでして、どうしても蒸気機関車に乗りたくて以前家族旅行で、熊谷駅~三峰口駅間を結ぶ秩父鉄道SLパレオエクスプレス蒸気機関車の黒い煙と大きな汽笛の鉄道の旅を満喫しました。
今では公園や交通博物館の展示の他に、このような観光用に日本各地でSLが走る姿を見られるようになって嬉しく思います。
ということで、錦絵と共に日本の蒸気機関車のお話です。

西洋で世界初の鉄道として蒸気機関車が走ったのは1825年イギリスのストックトン~ダーリントン間でした。

「高輪鉄道之絵」月岡芳年 画
「高輪鉄道之絵」月岡芳年 画(1871年/明治4年)品川湾(日本橋から約7.2km)の堤防に機関車が走っている画。出典:ハーバード大学

線路を敷設する時、反対運動が多くあったため、芝~品川付近などでは築堤(盛土)を海上に築き、その上に線路を敷くことに。全線29kmのうち、1/3にあたる約10kmがこの海上線路になりました。

日本では、1872年(明治5年)10月14日、新橋駅(現・汐留駅)~横浜駅(現・桜木町駅)間に1日9往復で正式開業します。ただし蒸気機関車と客車はイギリスから輸入し、操縦も外国人でした。当時は、蒸気機関車を“陸蒸気(おかじょうき)”と呼んでいました。
なお、開業が最も古い駅は品川駅で、仮開業をおこなった1872年6月12日になります。
距離は約29㎞、これは徒歩で6時間以上掛かりましたが、蒸気機関車は53分(表定速度は32.8km/h)で走ったため、当時の人たちにとって驚異的だったようです。

「東京汐留鉄道御開業祭礼図」歌川広重(三代) 画
「東京汐留鉄道御開業祭礼図」歌川広重(三代) 画(1872年/明治5年)明治天皇行幸のもとに華々しい開業式典を迎えたときの模様を描いた作品。出典:メトロポリタン美術館

開業初日に新橋駅で行われた式典には明治天皇も出席し、天皇と建設関係者を乗せたお召し列車が横浜まで往復運転しました。鉄道の沿線では打ち上げ花火まで上がり、明治人は大いに盛り上がりました。

料金は上等1円12銭5里、中等75銭、下等37銭5里の三段階に分かれていました。しかし、下等運賃でも米が5升半(約10kg)買えるほど高額だったため、大部分の客は交易で滞在していた外国人や裕福な日本人でした。犬も1匹25銭で乗せてくれたとか。
営業成績は、開業翌年の1873年(明治6年)の状況で、乗客が1日平均4347人、年間の旅客・貨物収入で黒字だったという。

注目すべきは当時禁煙車があり、また、英国から輸入した車両にはトイレ付のものが一部ありました。1880年(明治13年)アメリカで製造された車両の北海道官営幌内鉄道・開拓使用客車にはトイレが付いてたようです。
しかし、トイレ付の車両は少なく、東京日日新聞1873年(明治6年4月)の記事で「荒物売りの増沢政吉氏が横浜駅到着前にトイレをもようし、列車の窓から小用をしたのを鉄道員にとがめられ、東京裁判所で10円の罰金を科せらた」とあり、当時としては高額の罰金を課せられたようです。一般旅客向けの客車にトイレが設置された最初は、山陽鉄道が1888年(明治21年)にイギリスから輸入した上等車で、官設鉄道では1889年の東海道本線全線開通時でした。

余談ですが、明治末、東京に女性専用車両があったそうです。昔も今も変わらなかったのですね。

1912年(明治45)1月28日付の「婦人専用電車 不良少年の誘惑予防」という見出しの記事。
「花電車を狙う このごろの不良学生は、山手線沿線から市内の女学校に通う女子学生が、みんな同じ時間に乗車するのをいいことに、ラッシュに紛れてラブレターを渡したり、うまいことを言って誘惑したりする。女子学生の体に接触し、美しい姿を見るのを楽しみとする風潮もある。彼らは女子学生でいっぱいの電車を『花電車』と呼ぶ」
女子学生に近寄る「不良学生」を何とかしようと発案された電車だ。鉄道担当者の「日本ではこれが最初」という言葉も載っている。
電車は1月31日から中央線中野―昌平橋(今の御茶ノ水―神田間にあった駅)間を、午前8時半前後と午後3時半前後に走った。2両編成のうち1両を女性専用とした。

朝日新聞記事から

「鉄道独(ひとり)案内、神奈川」歌川吉虎 画
「鉄道独(ひとり)案内、神奈川」歌川芳虎 画(1872年/明治5年)出典:メトロポリタン美術館

陸橋の下を通過する汽車を見物する人々を描いたこの作品は、6枚シリーズ(新橋・品川・川崎・鶴見・神奈川・横浜)のうちの1枚。
極端に幅広く描かれたレール上をデフォルメされた機関車が力強く驀進してくる姿を真正面上方の視点からとらえた作品、現代のポスターデザイン感覚に通じる構図で独創性があります。画面上部に各駅の発着時刻と運賃が記載され、乗客の利便性に配慮してるようです。

そして1874年(明治7年)に大阪~神戸間、1877年(明治10年)に大阪~京都間で鉄道が開通し、さらには1889年(明治22年)に東海道線が開通するに及び東京~大阪間の交通の大動脈が完成、1897年(明治30年)には全国に約7000㎞の鉄道網を敷設するに至りました。
幕末の開国によって、多くの西欧文化が入ってきた日本、富国強兵政策のもとで多くの人や物を運べる鉄道事業の普及を急いでいたことがうかがわれます。

鉄道50周年の1922年(大正11年)10月14日を「鉄道記念日」に制定。その後、1994年(平成6年)には運輸省により「鉄道の日」と改称されました。

「蒸気車出発時刻賃金附」歌川広重(三代) 画
「蒸気車出発時刻賃金附」歌川広重(三代) 画(1872年/明治5年)時刻表と運賃表が記載されていて、ポスター兼パンフレットとしての機能を果たしていたようです。出典:メトロポリタン美術館
「東京名勝高輪蒸気車鉄道之全図」月岡芳年 画
「東京名勝高輪蒸気車鉄道之全図」月岡芳年 画(1872年/明治5年)出典:メトロポリタン美術館

ジャーナリズムの役割も担っていた浮世絵にとっては、文明開化を象徴する鉄道は格好の題材でした。この時期は機関車や沿線風景が写実的に描かれた浮世絵がよく登場しています。

1948年(昭和23年)に国鉄E10形蒸気機関車5両が製造されたのを最後に国鉄における蒸気機関車製造は終了、1976年(昭和51年)3月2日に保存目的ではない蒸気機関車の日常的な使用が、つまり国鉄蒸気機関車の歴史は終わりました。
しかしその後、蒸気機関車を保存する動きが出て、秩父鉄道、大井川鉄道、山口線をはじめとする復活運転が行われ今なお各地でその活躍する姿が見られます。

SL大樹
出典:SL大樹公式サイト/東武鉄道

現代の電車は早くて日常的には便利ですが、たまには日々を忘れゆったりと揺られながら乗る蒸気機関車は癒されます。
昭和レトロな列車に乗って、のどかな田園風景を眺め、煙をもくもくと上げながら走る蒸気機関車から非日常を感じる、今の時代これはすごく贅沢なひとときなのかもしれませんね。
今度は、東武鉄道のC11形(Cは3つ、Dは4つと動輪数の違いです)蒸気機関車列車「SL大樹」で日光まで行こうかな、と…当面の間運休らしい(涙。

出典:日本の蒸気機関車史
出典:日本の鉄道開業
出典:列車便所

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