あそび心あふれる「双六(雙六)すごろく」
「仁義五常雙六」1858年(安政5年)、安政の大獄があった幕末に作られた絵双六、復刻版です。
画家があの有名な浮世絵師、国貞、国芳、広重(初代)。
五常(仁・義・礼・智・信)とあるから、“人の道に背くな”と遊びにより戒めていたのでしょうか。
ただの遊戯なのに、当時の人の“あそび心”と卓抜な創造力で芸術にまで押し上げた作品だと思う。
お正月遊びのひとつ「双六」ですが、今ではネットで様々なタイプのテンプレートがあり無料でダウンロードできます。そんな双六について
「双六」には2種類あった
盤双六
盤双六は1対1で対戦し将棋盤のような木製の双六盤の上でさいころ2つを使用し、白と黒の駒を多数動かして双方6つのマス目の陣地を取る遊びで、貴族の遊びとして5~6世紀ごろから流行したものの江戸時代後期には廃れてしまいました。一部上流階級の間では嫁入り道具として明治期まで残っていたようです。
古い形の西洋版「バックギャモン」というゲームの一種になります。
絵双六
そしてお馴染みの双六は絵双六と言います。絵を描いた紙を使い、1つのサイコロを振って出た目の数だけコマを進めゴールを目指すというシンプルな遊び、何人でも参加できます。
仏教で説く極楽浄土への道筋を現した「浄土双六」が室町時代後期に出現し、江戸時代に入り庶民にも普及、やがて東海道五十三次を進んでゆく「道中双六」や「出世双六」が生み出されたとされています。
はじめはサイコロの目に沿って順番にコマを進める「廻り双六」という形式の絵双六しかありませんでしたが、やがて「一回休み」のマスが作られたり、サイコロの目に応じて離れたマスに移動する「飛び双六」が生まれたりと、娯楽として発展しました。
江戸後期になりと木版多色摺の技術で絵双六は華やかになり、人気浮世絵師による絵画性豊かな様々なものが大量に生み出されました。その美しさから、遊ぶだけでなく観賞する対象ともなっていました。
明治後期から大正時代になると少年少女雑誌の新年特別付録として様々な絵双六が登場し、目玉付録として定着していきました。
そして昭和という時代、その時々の流行や文化を象徴するような作品が子どもたちを中心に楽しませました。
なお、絵双六は日本独自のものだそうです。
出典:双六の歴史と文化
出典:絵双六
最後に
絵双六は、人々の暮らしや時代の価値観を色濃く反映しており、当時の風俗を知る上でも貴重な資料となっているそうです。
子どもでも簡単に遊べる「双六」は、遊びながら自然に色々なことが学べ“上がり”には夢や希望がこめられています。
子供から大人まで誰もが楽しめ何人でも参加できる「双六」、みんなが集まるお正月のゲームとしてはぴったりですね。
勝敗は“運次第”人生ゲームという双六で、その年の運試しも面白そうです。
無料ダウンロードできる双六
◆幼児の知育教材プリントを無料ダウンロード・印刷(幼児向け)
◆地球温暖化について学べる環境戦隊サスティナーすごろく(小学生向け)
◆家族の顔写真を入れたオリジナルのすごろくが作れます
◆旅行先の地図や観光スポットに関するクイズを入れることができる、オリジナルご当地すごろく
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