昔の「歯磨き粉」は“尿”から“ドラゴンの血”まであった⁉
つい先月まで歯の治療へ行っていて、当たり前ですが、毎日の歯磨きは大事だなと実感しました。
ということで、いつからどんな歯磨き粉を使って歯を磨いていたのか気になり調べてみました。
歯磨き習慣の始まりは古く、紀元前5000年頃のバビロニア人が食前に必ず麻の繊維を指に巻き、歯の清掃をしていたといわれます。これがギリシア人へと受け継がれ、さらにうがいと歯肉のマッサージを習慣としていったようです。
歯ブラシの歴史は、紀元前3000年頃にエジプト人が使用していた「チュースティック」と、紀元前500年頃にお釈迦様の弟子たちが使用していた「歯木(しぼく)」がルーツといわれています。どちらも、木の枝の一端を歯で咬んで柔らかくクシャクシャにして、その部分で歯を磨きます。
紀元前1550年頃の古代エジプトでは、チュースティックに練り歯磨や粉歯磨をつけて磨いていたらしく、この歯磨き粉が世界最古のものでパピルスの中にその処方が記されています。
練り歯磨の成分は、ビンロウと呼ばれる木の実・ハチミツ・燧石(すいせき/火打ち石のことで石英の一種)・緑青(ろくしょう/緑色のさび)・乳香(にゅうこう/かんらん科に属する木の乳白色樹脂)・緑粘土(ナイル川沿岸の土)を混ぜ合わせたものだったそうです。4世紀頃には、食塩・黒コショウ・ミントの葉・アイリスの花を混ぜたものを使用していたようです。
なお、ビンロウは虫下しの薬で漢方などにも用いられています。ハチミツに虫歯予防の効果があることが知られており、塩は古くから殺菌・消毒に使われていることから、歯磨き粉として効能が期待できたのでしょう。
ちなみに、緑粘土はナイル川が氾濫したときに運ばれた肥沃な土のことで、この土を髪の毛につけ、棒に髪の毛を巻き付けてカールさせたことがパーマネントの始まりだそう。クレオパトラもこの緑粘土を使ってパーマネントしたとか。
紀元前500年頃のインドで使用された歯木には歯磨き粉は付けませんでしたが、原料である“ニーム”という木の樹液の中にはむし歯や歯槽膿漏(歯周病)の予防薬が配合されていることがわかっています。
帝政ローマ時代(紀元前27年~476年)の歯磨き粉は、動物の骨を焼いた骨灰や卵の殻を焼いた灰を用いて作ったそうです。時には、含嗽剤(がんそうざい/口内およびのどの消毒・洗浄に用いる薬剤)として朝夕に採った少女の尿や処女の尿でうがいをしたという。この尿によるうがいは、18世紀まで続いたそうで医者までも効果があると信じていたそうです。
14~18世紀の西洋で、その他の成分には、蜂蜜と焼塩と酢を混合した歯磨き粉、ハッカや胡椒入りの白ワインの含嗽剤、野ウサギの頭蓋骨骨灰と焼き塩を蜂蜜で糊剤にした歯磨き粉、焦げたパンを混ぜた歯磨き粉、混合樹脂にシナモンや焦がしたミョウバンを混ぜた“ドラゴンの血”と呼ばれたものまでありました。
そもそも虫歯は、紀元前1世紀の古代ギリシャ時代から18世紀まで“歯を喰う虫”と医者も考えていて、19世紀初頭から疑いが始まり20世紀になってやっと細菌が原因であることが判明したという経緯があります。
日本で歯磨き粉が使用されたのは、3世紀の応神天皇の頃、指を使って塩で磨いたといわれています。
歯木はインドから中国へ、そして日本へは538年に仏教伝来と共に伝わり、歯木のことを「楊枝・房楊枝(ふさようじ)」と呼びました。始めは僧侶や公家など上流階級の人が身を清める仏教の儀式として歯を磨いて習慣となり、上流階級の人に広がっていったようです。
なお、日本に歯磨きが伝来する前の縄文・弥生時代に、人々が歯を磨いた形跡が残っているそうです。
平安時代の日本最古の医学書「医心方(982年)」には、歯槽膿漏の治療法や根っこの治療のことがすでに書かれていました。
歯磨き粉がなかった頃は、塩を使い、指で歯を磨いていたようです。江戸時代になってからは、房州砂(ぼうしゅうずな/粘土の細かい粒)に香料を混ぜて作られていました。
1625年(寛永2年)日本で初めて歯磨き粉の製造と販売(商品化)をしたのは江戸の商人・丁字屋喜左衛門(ちょうじやきざえもん)の「大明香薬砂(だいみょうこうくすりずな)」で、主な成分は、“琢砂”と呼ばれるとても目の細かい陶土の研磨剤と、“丁字・龍脳”という漢方薬を混ぜたものでした。この歯磨き粉は評判になったようで、房楊枝を使って歯磨きをする庶民は、瞬く間に増えていったといいます。
ちなみに、江戸時代の女性は、歯並びがよく白い歯の男性を好んだそうです。そのため江戸の男性たちは、白く輝く歯を目指し、房楊枝を使って歯磨きに精を出していたといいます。
明治になると、砂から無機粉体(二酸化ケイ素や炭酸カルシウム)を原料とするハミガキへと進化します。
1888年(明治21年)日本初の練り歯磨きは、福原商店(現・資生堂)が「福原衛生歯磨石鹸」と言う名前で発売しました。1896年(明治29年)には、小林富次郎商店(現・ライオン株式会社)から粉状で袋入りの「獅子印(ししじるし)ライオン歯磨」が発売されました。
今のような、ペースト状でチューブ入りの歯磨き粉が登場したのは1911年(明治44年)「ライオン固練りチューブ入り歯磨」が最初です。
その後、ハミガキも、液体ハミガキやジェル状ハミガキが登場したり、様々な有効成分が配合されるなど多様に進化しています。
今のペースト状のハミガキのことを“歯磨き粉”と呼ぶのは、昔、粉状のものを使っていた名残りだそうです。
日本で始めての歯ブラシは、1872年(明治5年)に発売された鯨楊枝(くじらようじ/鯨髭に馬毛を植えた楊枝)です。明治時代、歯ブラシは歯楊枝(はようじ)と呼ばれていました。
商品名として「歯ブラシ」という言葉が登場するのは、1913年(大正2年)に小林富次郎商店(現・ライオン株式会社)が発売した「万歳歯刷子」が最初です。それ以降、全ての製品に「歯ブラシ」という言葉が使われるようになり、その後、歯ブラシはヘッドの大きさや柄の形、毛の材質や毛先の形状など様々な進化をとげていきます。
2003年、米国人を対象に、自動車、パソコン、携帯電話、電子レンジ、それに歯ブラシの中から、それがないと生きていけない発明品は何かを尋ねる調査が実施されたそうです。
結果は、新しい発明品ほど順位が低く、2位は、1世紀前に発明された自動車。トップは、5世紀前に発明された歯ブラシで、成人回答者の42%、10代の回答者の34%から票を獲得。
自分も歯ブラシを選びますね。やはり、歯をしっかり磨いて、全身の健康とも密接に繋がっている歯やお口の健康を守っていきたいですね。
そして、1625年に日本で初めて発売された「大明香薬砂」歯磨き粉の袋に、「歯を白くする」「口の悪しき匂いを去る」というキャッチコピーも添えられていて、これにより江戸時代の庶民に日常習慣がついたとか。“人間を動かすのは意思ではなく習慣だ”といった広告マーケティング界の巨匠クロード・ホプキンス氏、宣伝文句の効果は大きいですね。
20世紀初頭、アメリカでは歯磨きを習慣にする人の割合が7%、これをホプキンス氏のPRで10年後65%にまで増加させたとか。
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