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約半世紀前と同様に世界イベント「万国博」が再び開催なるか!?

約半世紀前と同様に世界イベント「万国博」が再び開催なるか!?

「大阪・関西万博」が2025年(令和7年)に国際博覧会として大阪府で開催される予定です。
昨年、大阪へ観光で行きましたが、大阪駅周辺で大規模な再開発工事が行われており、このためでしょうか。ということで大阪をきっかけに博覧会について調べてみました。

1851年ロンドン万国博覧会
1851年にイギリス・ハイドパークで開催。ロンドン万国博覧会。出典:Wikipedia

国際博覧会は万国博覧会とも呼ばれ、万国博・万博・EXPO(エキスポ)と略されますが、イギリスではgreat exhibition、フランスではexposition universelle、アメリカではworld’s fairと呼ばれています。辞典によると万国博とは、時代の最先端をいく世界各国の科学技術などを一堂に集めて展示公開する他、各国それぞれのお国ぶりを紹介する展示や催物により国際交流を深めようとする世界最大の博覧会とされます。

その第1回は1851年イギリス・ロンドンで開かれ、約40の国が参加し入場者は600万人を集め、75万ドルの黒字を出し興行的にも大成功でした。この成功は自国の産業発展を誇示し各国の技術水準を示す格好の舞台となり、また当時イギリスにならって工業化の道を歩んでいた国々も刺激され、以降、ニューヨーク・パリ・ウィーンなどで次々に万国博が開かれていきました。なお、近代的な博覧会の起源は、1761年イギリスの王立美術工業商業振興会がロンドンで開催した産業博覧会とされます。

1867年パリ万国博覧会
ル・モンド誌に掲載された、はしご芸を練習する軽業師・隅田川浪五郎率いる日本帝国一座のようす。1867年パリ万国博覧会。出典:Wikipedia
1873年ウィーン万国博覧会
名古屋城の金の鯱・大仏・精巧な美術工芸品などが展示され、ジャポニスム・ブームが起きました。1873年ウィーン万国博覧会。出典:Wikipedia

日本人が最初に万国博にふれたのは、第1回遣欧使節団が1862年(文久2年)の2回目ロンドン万国博覧会を見学したときでした。
初めて参加したのは1867年(慶応3年)パリ万国博覧会で、幕府と薩摩・佐賀藩が特産品を出品し、また茶屋や大道芸人も参加して人気を呼んだそうです。
ちなみに「博覧会」という言葉は、1865年(慶応1年)の出品勧誘を報告した公式文書に「仏国博覧会」とあるのが最初だとか。

続く維新後、明治政府として最初に参加したのは1873年(明治6年)のウィーン万国博覧会になり、日本庭園・茶室・鳥居・神社からなる日本家屋の特設館を建て漆器・陶磁器・和紙などを展示、この博覧会ではヨーロッパ各地に日本ブームがわき起こりました。

「東京名所三十六戯撰 元昌平坂博覧会」昇斎一景 画
「東京名所三十六戯撰 元昌平坂博覧会」昇斎一景 画(1872年)出典:国立国会図書館。昌平坂聖堂(湯島聖堂大成殿)で開かれた博覧会の図で、会場正面には名古屋城の金の鯱が飾られ観衆が驚いているようすが描かれています。

日本では、江戸時代から様々な産物を収集・陳列して庶民の観覧に供する催し物は存在していましたが、近代的な博覧会の起源となったのは1871年(明治4年)に西本願寺を会場に開催された京都物産会といわれています。そして正式に博覧会と名付けられたのは、1872年に政府が文部省博物局で収集した各地の特産物を昌平坂聖堂(湯島聖堂大成殿)で公開した物産博覧会からで、この博覧会の施設は上野博物館(現・東京国立博物館)と文部省博物館(現・国立科学博物館)でした。

この頃は文明開花の新風俗として各地で色々な地方博が行われていましたが、江戸時代のご開帳や物産会に近く、見世物的な性格を残していたようです。

「上野公園内国勧業第二博覧会美術館并猩々噴水器之図」三代目歌川広重
「上野公園内国勧業第二博覧会美術館并猩々噴水器之図」三代目歌川広重 画(1881年)出典:ボストン美術館

1881年(明治14年)に第2回開催(上野公園)。煉瓦造2階建美術館の前にある大噴水は、猩々(しょうじょう/想像上の動物)が背負った瓶の中から水が噴き出す大仕掛なもので、たいへん人気を呼んだそうです。なお、日本で初めて噴水が設置されたのは、第1回の上野公園で開催されたときだとか。

次に政府が主催した本格的な博覧会は、1877年(明治10年)に東京(上野公園)で開かれた第1回「内国勧業博覧会」で、目的は文明開化や近代的産業を育てることにあり、いままでの古い催し物とは一線を画すものでした。この内国勧業博覧会は5回開催されましたが、1903年(明治36年)第5回の大阪・天王寺には、将来の万国博覧会開催の布石として海外から14か国18地域が招聘され、事実上小さな万国博覧会ともいわれています。

紀元2600年記念 日本万国博覧会
「紀元2600年記念 日本万国博覧会」(1940年)出典:紀元2600年の万博

神武天皇が紀元前660年に初代の天皇に即位して2600周年の節目の年として政府が計画した万国博覧会で、オリンピックも夏季大会が東京市(現・東京都区部)と冬季大会が札幌市で開催されることが決定していました。ポスターは黄金の火の鳥が描かれています。

紀元2600年記念 日本万国博覧会
「紀元2600年記念 日本万国博覧会」(1940年)出典:筑波大学付属図書館

東京・築地と月島を結ぶ、中央部分が跳ね上がる開閉式の「勝鬨橋(かちどきばし)」は万博開催に向けて1940年に造られた橋でした。日程は1940年3月15日~8月31日、各国への招請や前売り券(3等10円)の発売まで進みましたが1938年に実質的に中止となりました。

その後、万国博開催への気運は高まり、1890年の「亜細亜大博覧会」や1912年の「日本大博覧会」が計画されましたが実現に至りませんでした。
1928年(昭和3年)には国際博覧会条約が結ばれ、パリに博覧会国際事務局(BIE)を設置、国際的な博覧会の枠組みが成立しました。日本はこの条約を1965年(昭和40年)に批准しています。

そして1940年(昭和15年)にも東京の月島埋立地(晴海)と横浜の山下公園を会場として「紀元2600年記念万国博覧会」を祝典事業の一環で開催するための準備が進めらましたが、日中戦争が拡大したために中止され、幻の万国博となりました。

1970年、大阪万博万国博公式ポスター
日本のエッシャーと名高いトリックイラストで有名な福田繁雄さんデザインの万国博公式ポスター。ピクトグラム(絵文字)も担当。出典:Flickr
1970年、大阪万博万国博公式ポスター
資生堂やパルコのグラフィックデザインで有名な石岡瑛子さんの万国博公式ポスター。後にADやデザイナーとして世界を舞台に活躍。出典:Flickr

大高猛さんがデザインした公式シンボルマークは桜をかたどったもので、5つの花びらは五大州・世界と中央の円は日本の日の丸を表し、メインカラーは広がりと若さや発展を表す冴えた青(和名だと薄花桜の色に近いでしょうか)としたとか。

このため、1970年(昭和45年)3月15日~9月13日に大阪府吹田市で開催された「日本万国博覧会(大阪万博・EXPO’70=Japan World Exposition,Osaka,1970)」が日本初(アジアでの開催も初、76か国4国際機関が参加)の万国博となりました。統一テーマは“人類の進歩と調和”、“調和”という言葉が入ったのは、これまでの万国博は各国の生産活動の成果を一堂に集め、技術や文化の歩みを明らかにするという役割を担ってきましたが、第2次世界大戦の反省も踏まえて転機となり、調和的進歩が重要視されるようになったとされます。

ちなみに、会期183日間で入場者は約6422万人に上り、2010年(平成22年)中国・上海で開かれた上海万博(約7308万人)に抜かれるまでは万博史上最多でした。この結果、当時の万国博で初めて大幅な黒字(約160億円を計上)となったようです。

1970年、大阪万博
1970年大阪万博開催期間中の会場風景、中央に岡本太郎さん意匠による太陽の塔が見えます。出典:Flickr

続いて1975年(昭和50年)には“海洋”をテーマとした世界初の「沖縄国際海洋博覧会(EXPO’75・沖縄海洋博・海洋博)」(会期183日間、入場者450万人の目標に対し予測を下回る約349万人にとどまった)、1985年(昭和60年)は茨城県筑波研究学園都市で「国際科学技術博覧会(EXPO’85・科学万博・つくば万博・つくば’85)」(会期184日間、入場者は目標をわずかに上回る約2033.5万人)、1990年(平成2年)は大阪市鶴見緑地で「国際花と緑の博覧会(EXPO’90・花の万博・花博)」(会期183日間、アジアで初めて開催された国際園芸家協会の大規模な博覧会となり入場者が約2313万人と史上最高を記録)、そして2005年(平成17年)には愛知県で、大阪万博以来の2回目の総合的なテーマを取り扱う大規模な登録博覧会(万国博の区分)「2005年日本国際博覧会(愛知万博・EXPO 2005 AICHI、正式な愛称:愛・地球博)」(会期185日間、入場者数は目標1500万人に対し約2205万人で129億円の黒字を計上)が日本の万博史上最多の120を超える国々が参加し開催されました。

なお、アジアで登録博覧会(World Expo)を開催したのは大阪・愛知と上海だけで、2025年に大阪府で開催される予定の万国博も、最も規模が大きい登録博覧会になるとか。

1970年、大阪万博
1970年の大阪万博会場全体写真。出典:Flickr

上記以外の博覧会でも1871年以降かなり開催されており、1980年代後半から1990年代初頭にかけて地方博覧会の一大ブームにもなったようで、それは日本人の“祭好き”からきているものでしょうか。2021年も“おもてなし(になったかどうか不明ですが)”の東京オリンピックがあり、あれだけブーブー言っていたにも関わらず盛り上がっていましたしね。
とはいうものの、万博のような大きなイベントの開催は開催地だけではなく、日本経済全体の活性化も期待できそうです。どうせやるのでしたら興行的にも成功して欲しいと願うばかりです(大阪のことなので、抜け目なく準備しそうですが、良い意味で)。
そしてまた、何かと特別な催し物の“祭”にのせられてしまう自分を含めた日本人がたくさんいることは確かです。

出典:国際博覧会
出典:万国博覧会
出典:博覧会
出典:万博記念公園
出典:2025年日本国際博覧会

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