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頭部は一番目だつ箇所だから被り物や「帽子」が増えた⁈

頭部は一番目だつ箇所だから被り物や「帽子」が増えた⁈

帽子というと、じいちゃんが出かける時に、よく中折れ帽子あるいはハンチングを被っていて、多少カッコよく見えたりしてイメージが変わるものだなと子どもながらに思った記憶があります。帽子は顔を魅力的にする役目もあるようですが、じいちゃんの場合、単なる薄毛隠しだったかも(笑。
ということで、自分は子どもの頃に被った麦わら帽子の防暑というイメージしかない、身に着けるモノとして一番遠い存在の帽子について調べてみることにしました。

「日本電車発達史」吉川文夫 著
「日本電車発達史」吉川文夫 著(大正時代)出典:Wikimedia

会社に勤務するサラリーマンが誕生した大正時代、東京都電車(都電)の東京の名物・満員電車の絵葉書。ほぼ全員、帽子を被っている様子がうかがえます。

帽子とは、防寒・防暑・頭部の保護など実用目的から身分・階級の象徴、戦闘防具、礼儀として、そしてファッションアイテムへと時代に応じて変化してきた被り物のこと。
その発生は古く、紀元前4000年の古代エジプトで王は冠を、市民は頭巾を被っていた痕跡があり、古代ギリシャでは「ぺタソス」と呼ばれる日除け帽が誕生し、これが現在の帽子のルーツとされています。

日本では、5世紀の埴輪(はにわ)に帽子風の装飾が見られ、すでに存在していたと推察されています。また『古事記』や『日本書紀』に早くから「冠(かんむり)」「笠」などの語がみえています。
飛鳥時代の603年には冠位制度が敷かれ、ついで701年に大宝律令が制定されると、礼服用の礼冠(らいかん/天皇のものは特に冕冠[べんかん]と名づけられた)と朝服・制服用の頭巾(ときん)の冠が被り物となりました。

「冠帽図会」の礼冠と天皇の冕冠
「冠帽図会」の礼冠と天皇の冕冠。出典:国立国会図書館

平安時代になると、冠が公服に使われ、同時に私服用には烏帽子(えぼし)が用いらるようになりました。烏帽子とは黒塗りの帽子という意味で、貴賤の別なく成人男子の日常不可欠の被り物とされました。貴族は絹や紗(しゃ)で製作し、庶民は麻布製のものでしたが、室町時代末期より庶民はほとんど烏帽子を被らなくなり、貴族は紙製のものを使うようになったとされます。
なお、帽子という語は平安時代にすでに「烏帽子」といった複合語形が見られ、古くから日本語として使用されていて、明治以降に洋装が普及してから西洋風の被り物を指すようになったとか。

「市女笠と枲の垂衣」武内桂舟
「市女笠と枲の垂衣」武内桂舟 画(1910年)出典:artelino-Japanese Prints
「常盤御前(常盤笠) 中村福助」豊原国周
「常盤御前(常盤笠) 中村福助」豊原国周 画(1897年)出典:演劇博物館デジタル

女性は外出の場合、傾斜の深い市女笠(いちめがさ)を被ったり、被衣(かづき/外出時に頭から被った布)を被って、素顔で出歩くことをしなかったそうです。また、顔を見られないようにするためと防寒や夏の毒虫の用心のため、市女笠のへりには苧麻(からむし)で織った薄い布をベールのように下げたものは「枲(むし)の垂衣(たれぎぬ)」といって平安時代から鎌倉時代にかけて用いられました。

余談ですが、男性の前額から頭の中央にかけて髪を丸くそり落とした「月代(さかやき)」(平安時代からあったとされます)、公家・武家ともに日常生活で頭に冠や烏帽子を着用したことと、室町時代に入って応仁の乱など戦乱が続くようになってからは兜(かぶと)をかぶると熱気がこもって苦痛だったために起こった風習で、初めは戦争が終わると髪をのばしていましたが、やがて常時月代をそるようになり江戸の太平の世にも行われ一般男性に定着して、1871年(明治4年)の断髪令まで続きました。

「仮名手本忠臣蔵 大序」歌川芳虎
「仮名手本忠臣蔵 大序」歌川芳虎 画(1852年)出典:ボストン美術館。烏帽子を被っている武士が描かれています。

鎌倉室町時代では、武家社会は公家社会とは異なり挙動に便利な服装を用いたので被り物は烏帽子中心となり、立(たて)烏帽子・風折(かざおり)烏帽子・侍烏帽子が使われ、女性の間では、身分の高い女性の被り物として常盤御前がかぶっていた常盤笠が知られ、庶民の女子では京都の桂(かつら)の女たちの風俗から出た桂巻(かつらまき/長い布で鉢巻きのように頭部を包み前で結んで下げたもの)が行われました。

安土桃山時代前後からは、打ちつづく戦乱のために武士の間に露頂(ろちょう/被り物をつけない頭部)という風俗がおこり、髪を後頭部でまとめた茶筅髷(ちゃせんまげ)が流行しました。またフランシスコ・ザビエルなどの宣教師の渡来で初めて西洋の帽子(南蛮笠・南蛮帽子)がもたらされ、南蛮への関心が高かった織田信長は「京都御馬揃え」に西洋帽子を着用し参加したといわれています。また、織田信長が前田利家の家臣に、戦勝の記念として与えたものが現存しているそうです。

ちなみに、17世紀~18世紀のヨーロッパでは貴族の男性たちの間で“かつら”が大流行。法外に巨大化した重く凝った作りのフルボトムの“かつら”が主流となり、白髪のものが最もお洒落とされたとか。

西洋の帽子は、江戸時代初期には一部の庶民の間に流行しましたが、露頂の風俗の一般化で冠や烏帽子が儀礼用となり、外出には笠を用いることが多くなりました。ことに万治年間(1658-61年)に浪人の取締りが厳しくなってからは、手拭(てぬぐい)による頬かぶりさえ禁じられたので、女性が被衣(かづき)で江戸の街を歩くことも厳禁され、それはわずかに京風俗や婚礼風俗(綿帽子)として残ったようです。
ただ防寒・防暑用、あるいは風の吹く時のほこり除けに、男性は笠・頭巾・手拭を、女性は笠・帽子・手拭を用い、その種類・着装法・材料・染織も様々でした。労働用として用いる被り物は、自家手作りの植物製の笠に加えて、汗ふき・手ふき・帯など色々な方面に便利に活用できる手拭を使ったそうです。

「東京汐留鉄道舘蒸汽車待合之図(一部)」歌川広重
「東京汐留鉄道舘蒸汽車待合之図(一部)」歌川広重 画(1873年)出典:Waseda University Library

江戸から明治に替わり、着物から洋服、丁髷から散切頭・廃刀令など、あまりにも急速な変化に戸惑いを隠せない人たちも少なくありませんでした。そんな中で、洋装の男性は山高帽が、女性と子どもはベビー帽に19世紀ごろ流行した造花を飾り、あごの下でリボンを結んだボンネットという帽子が見られます。

明治維新後、男子の散切(ざんぎり)により西洋帽子が着用され始め、陸海軍、鉄道、警察、郵便関係の人々の間で帽子が使われるようになり急速に普及しました。女性の間では、明治10年代の鹿鳴館時代以後、洋装が取り入れられてから婦人帽がおこり、また学生服の普及により男子も女子も帽子を被ることが普通となっていったとされます。
なお、日本に山高帽(半球型の帽子の山の部分[クラウン]と巻き上がったつばの部分[ブリム]が特徴)が英国から入ってきたのは1866年(慶応2年)頃で一部の名士によって着用されたのが初めてで、帽子が本格的に国産されるようになったのは1890年(明治23年)の東京帽子株式会社(東京ハット)創立以降だとか。

和服に洋装を取り入れる事が流行った明治時代の男性の服装
和服に洋装を取り入れる事が流行った明治時代の男性の服装。出典:Flickr

左側男性の山高帽と右のハンチング帽、着物の下にパンツ履て、靴下と革靴という装い。ハンチングは日本では「鳥打帽」とも呼ばれ、1887年(明治20年)頃から商人が愛用するアイテムになったそうです。

大正時代、最先端のファッションに身を包んだモダンガール
大正時代、最先端のファッションに身を包んだモダンガール。出典:Flickr

ショートカット(ボブ)の髪型にブルトン帽子、ミディアム~ロングのスカート丈、化粧では引眉・ルージュや頬紅などが特徴的(化粧の習慣は当時一般的ではなく、パーマ・マニキュアは昭和に入ってから)。

そして、明治末期から昭和初期まで男性の間で洋装・和装問わずカンカン帽(麦わらを固く編んで作った、上部が平らでつばのついた男性用帽子)を被るスタイルが流行しました。帽子着用率は非常に高かったようです。
大正時代になって、生活改善という生活に能率をあげる運動とともに、1920年(大正9年)~1929年(昭和4年)には「モボ(モダンボーイ)・モガ(モダンガール)」時代が到来、「モボ」の御用達アイテムとして山高帽が、「モガ」では釣鐘形のクローシェ、つばが上に折り返ったブルトンなどの帽子が人気となりました。

大正時代のカンカン帽をかぶった男性
大正時代のカンカン帽をかぶった男性。出典:Flickr

カンカン帽は、叩くとカンカンと音がしそうな堅い帽子であったことが名称の由来。水兵や漕ぎ手のための男性用帽子がルーツで英語では「ボーター」と呼ばれています。

1928年、銀座通りを歩くモダンガール
1928年、銀座通りを歩くモダンガール。出典:Wikipedia

大きめでゆったりとしたデザインが特徴の1920年代から1930年代にかけて流行した「アッパッパ」、清涼服とも呼ばれ夏用の衣服。帽子は木綿のキャペリンでしょうか。

1920年代のモボ・モガ、イラスト
1920年代のモボ・モガ、イラスト。出典:Flickr

男性はハンチング帽・山高帽・山の部分の中央がくぼんだ柔らかいフェルト生地のソフト帽(中折れ帽子)、女性は釣鐘形のクローシェ帽子が描かれています。

ちなみに、世界で最も古くから営業している帽子店は1676年創業の英国「ジェームスロック」で、日本では1880年(明治13年)創業の日本製麦わら帽子で有名な田中帽子店、1910年(明治43年)創業のニシカワ帽子店、1917年(大正6年)創業の一生物で本格的な帽子を求める人におすすめな銀座「トラヤ帽子店」(ベレー帽姿が思い出される漫画家の手塚治虫氏もファンだったそうです)などがあります。

現在では素材や用途に応じて様々な種類があり、やはり直立して歩く人間にとって頭部は一番目だつ箇所なので、それだけに被り物や帽子は多様で変化に富んでいるのでしょう。ただし、冠やターバン、兜、カツラなどを帽子に含めるか否かについては議論があるようです。
カツラといえば、帽子の役割に“薄毛(禿頭)や癖毛を隠す”もあるそうですが、よく聞く「帽子を被るとハゲやすい」は根拠なく迷信に過ぎず、それよりもスカルプケアが大事だとか。

余談で、スカルプケアとは頭皮のお手入れという意味で、主に抜け毛予防のために頭皮を清潔に保つこと(つまりハゲの延命措置)をいいます。
英語のscalpは、アメリカン・インディアンが倒した敵の頭皮を戦利品としてはぎとる行為、また、そのはぎとられた頭皮のことを言うので、少し以前なら「スカルプケア」はインディアンがはぎとった頭皮のコレクションをときどき陳列棚から下ろし、油かなんか塗って手入れをしながら悦に入っている様子を表現する言葉、だったかもしれない(汗。

でも大丈夫、男性用帽子の種類はたくさんあり、じいちゃんの例にあるように似合う帽子を被れば多少カッコよく見えるから(フォローになっていないような)…。

出典:帽子
出典:被り物
出典:モボ・モガ
出典:帽子/コトバンク
出典:日本語を味わう辞典

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