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日本の鉄道文化の一つ「駅ビル」

日本の鉄道文化の一つ「駅ビル」

駅ビルとは、その名の通り、鉄道の駅のあるビルで、特に日本で発達しているそうです。

駅ビルは、日本の経済成長期に都市の過密化が進み、駅施設に必要な空間が十分確保できなかった時期、駅舎とデパートなどを一体化した施設として登場しました。限られた土地の有効利用を目的にしたもので、欧米諸国にはみられない日本的な発想で、新しい都市開発の一例として話題になりました。

出典:日本民営鉄道協会

多くの場合、鉄道とデパート・スーパーなどをテナントとして又は経営する場合が多いですが、近年は大型駅ビルにオフィス、ホテル、カルチャースクール、スポーツ施設も参入し、テナントはさらに多様化しています。

大阪・梅田駅の駅ビル
1920年代、白木屋呉服店の広告(出典:Flickr)、1920年(大正9年)大阪・梅田駅の駅ビル(出典:画像)

そんな駅ビルはいつできたのか、というと、1920年(大正9年)大阪の阪神急行電鉄・梅田駅に完成した阪急本社ビルディングがその第1号となります。
1階には人気百貨店・白木屋(1648-52創業、後に東急百貨店に買収される)、2階には阪急直営の食堂、3階以上を本社事務所として使用していましたが、1925年(大正14年)には2・3階に食料品や生活雑貨中心のスーパーに近い形態の阪急マーケット、4・5階には阪急食堂を移設して開業し、1929年(昭和4年)には鉄道会社直営=電鉄系百貨店として初の阪急百貨店を開業しており、ターミナルデパートにつながるものとなりました。

その後、関西の私鉄各社は相次いで駅ビルを建設していきますが、実は日本では1929年まで「鉄道」にあたるものは兼業を禁止されていました。しかし、当時関西の私鉄各社は鉄道ではなく、軌道条例、軌道法に基づく“軌道”であったため規制されなかったようです。

東京・浅草の駅ビル
1920年代、松屋呉服店の広告(出典:Flickr)、1931年(昭和6年)東京・浅草の駅ビル(出典:画像)

関東地方の駅ビル第1号は、1931年(昭和6年)に開業した東武鉄道の浅草雷門駅(現・浅草駅)にテナントとして入居した百貨店・松屋(1869年に創業した呉服店)になります。
建物はネオ・ルネサンス様式で、初めての人でも道に迷うことがないように建物入口からホームまでを一直線に結ぶ駅と店舗が一体化した構造、同時に7階と屋上には「スポーツランド」もオープンしました。
この屋上の「スポーツランド」は日本最古のデパート屋上遊園地でしたが、惜しくも2010年5月末に閉鎖されました。

浅草駅ビル松屋の屋上遊園地
昭和30年代、東京・浅草駅ビル松屋の屋上遊園地「屋上スポーツランド」絵葉書。出典:画像

なお、屋上遊園地は高度経済成長期の全盛時代を経て、テーマパークの登場や価値観の変化による需要の減少、屋上の防水工事一つとっても遊具があると手間がかかり修繕費用などを考えれば残しておくのは難しいなどの経営合理化の流れの中で、平成に入る頃には徐々に規模を縮小し、そのほとんどが姿を消していきました(2021年現在、近鉄あべのハルカスとナムコ東急プラザ蒲田店だけの様子)

私鉄の駅ビルが増す一方で、国鉄(日本国有鉄道)が駅ビル事業に着手するのは遅く、戦後になってから。復興予算のない国鉄は民間資金の導入を決め、駅舎内に商業施設を併設した「民衆駅」と呼ばれる駅を企画し各地の有力者に駅舎再建の資金協力を募ります。

昭和初期の「豊橋驛及吉田驛」絵葉書
昭和初期の「豊橋驛及吉田驛」絵葉書。出典:Wikipedia

その民衆駅第一号となったのは、1950年(昭和25年)4月に開業した木造2階建ての国鉄「豊橋駅(愛知県)」です。駅舎1階には飲食店や理髪店などの民間店舗が、2階には市民出資による豊栄百貨店が入居しました。次いで同年、池袋に「池袋西口民衆駅ビル」ができます。

2006年12月31日に閉店したアキハバラデパート
2006年末に閉店したアキハバラデパート。出典:Wikipedia

1951年には、秋葉原に「アキハバラデパート」を併設した民衆駅が誕生、3階建てで1階は電気街口に隣接し3階には総武線ホーム直結のデパート口がありました。このデパート口改札から直接ホームに出入できるという構造は、国鉄の民衆駅の典型的なスタイルでした。

その後、日本全国へこの方式の駅が広まっていきましたが、駅内の商業施設が収益を上げても国鉄の収入は地代のみだったことから、1971年(昭和46年)に政令を改訂、それにより国鉄による直接投資が可能となり1973年(昭和48年)初の投資物件として平塚駅が完成しました。
そして、この頃から「駅ビル」と呼ばれるようになりました。

駅ビルの特徴としては、駅は本来鉄道に乗降するため人通りが多いところ、なので電車を待つための時間つぶし等から多くの需要が見込め、駅と一体化して出店することで鉄道の利用と店舗での買い物という相乗効果が狙えます。また道路の横断や天気の心配をする必要もありません。つまり、わざわざ集客をする必要のない鉄道駅という圧倒的な好立地といえるでしょう。

東武鉄道の浅草駅
東武鉄道の浅草駅

自分の中で一番印象深い駅ビルといえば、近いこともあり浅草駅になります。
一度なんの変哲もない白い外壁の駅ビルになりましたが、2012年の東京スカイツリーの開業に合わせて外観を竣工当時の姿にリニューアルされ、昭和初期の趣きある姿を取り戻しました。開業時のシンボルだったエレガントな大時計、外壁側面は中世の建築を思わせる優雅な半円アーチ、内装も階段などに建築当時の面影を見つけることができます。
このように復活したクラシック・ターミナル駅は、東京下町のいかにも昭和の終着駅らしいムードが漂い、古き良さや歴史や文化を見直す良いインフルエンスかもしれません。

ちなみに、開業時の駅ビルを設計したのは建築家・久野節(くの みさお)、他にも近年取り壊されてしまった京成上野駅じゅらくビルや、かつての府中東京競馬場、旧蒲郡ホテル、南海ビルディング(現・高島屋大阪店)、さらに今も残る千葉県立佐倉高校旧本館(登録有形文化財指定)などあります。

新しい近代的で無機質な駅ビルもよいですが、やはり戦前から建設に乗り出した阪急電鉄や東武鉄道をはじめ、私鉄各社には個性的で親しみやすい駅ビルが多く存在します。
現在活躍する全国の駅ビルは個性も歴史も様々で、日本の鉄道文化の一つ、ともいえるでしょう。

出典:駅ビル
出典:浅草駅
出典:民衆駅

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