フーテンの寅さんは人気もの⁈
1969年、第1作目の公開から50年となる記念すべき第50作目「男はつらいよ お帰り 寅さん」が12月27日に公開されました。
渥美清さん演じるテキ屋稼業を生業とする“フーテン(風来坊)の寅”こと車寅次郎が、故郷となる葛飾柴又のだんご屋“とら屋”に帰ってきたことで起きる騒動や、日本各地を旅する中で出会う女性(マドンナ)たちに一目惚れをすることで起きるドタバタを描き出す人情喜劇シリーズ。
1983年には“一人の俳優が演じたもっとも長い映画シリーズ”としてギネスブックに認定。寅さんを演じた昭和の名優・渥美清さんが1996年に亡くなるまで作り続けらました。
自分は全作好きな映画です。
どこに魅力があるのか
父親と喧嘩をして家を飛び出してから20年、風の向くまま気の向くまま放浪生活をしていたという寅さんは社会的に認められるものを何一つ持っていません。
そんな中、寅さんは旅先で、様々な女性(マドンナ)に出会います。経済的に苦しい中なんとか新たな人生を切り開こうとしている人、生き別れた兄弟を捜している人、重病を患っている人など、彼女らは人生の危機に陥っています。他人を100%理解するのは不可能ですが、それでも相手をわかろうと努力し共感し、相手の願いが叶うように全力でサポートをします。
きっと、辛いことや悲しいこと、そして劣等感など、体験してきたからこそ、弱い人の苦しみがわかり優しくできるのではないか。そして、自分の弱さを隠さずさらけ出す寅さんの話(失敗談)は、辛くて弱っている人でも抵抗なく聞け、生きる希望につながっていきます。
破天荒で不器用な生き様、でも性根は優しくてどこか憎めない寅さん。毎度のトラブルでも、家族やだんご屋の人々は“どうしようもないな”と思いつつ寅さんを心配しながら帰りを待っていて、観ていてホッとしますし、最後はいつも楽しくて明るくてとても清々しく終わります。そんなところが魅力なんだと思います。
寅さんのことばにも惹かれます。
苦労人でもある寅さんが、ふとした瞬間に見せる思いやりある“含蓄に富んだ一言”ジンワリと心が温められます。そしてテキ屋稼業の小気味いい“口上・啖呵売(たんかばい・巧みな話術で客を楽しませ、いい気分にさせて売りさばく商売手法)”リズミカルで聞いていて非常に心地よい響きがあります。
お馴染みの“テキヤの仁義”口上・啖呵売
わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んで“フーテンの寅”と発します。
不思議な縁持ちまして、たったひとりの妹のために粉骨砕身、売(ばい)に励もうと思っております。
西に行きましても東に行きましても、とかく土地のおアニィさんにごやっかいかけがちな若僧でございます。
以後、見苦しき面体、お見知りおかれまして恐惶万端引き立てて、よろしく、お願(たの)み申します。
続いた数字が“四”つ。四谷赤坂麹町チャラチャラ流れる御茶ノ水。粋な姐ちゃん立ちションベン。白く咲いたか百合の花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い。
一度変われば二度変わる三度変われば四度変わる、淀の川瀬の水車、誰を待つやらくるくると。
“これが渡世人のつれぇところよ。達者でな。”寅さんのダンディズムですね。
なぜ今、寅さんなのか
“役に立つか立たないかという機能主義で人間を見るしかないと、寅さんのような人は無視される。というより、不良品としてはじき飛ばされる。ちょっと変わった人を、時にからかいながらも仲間内に抱えていくという気分のゆとりが日本人になくなった”「対話 山田洋次(1)人生はつらいか(旬報社)」
“五十年前の日本は元気で、寅のような人間を許してくれた。今は寛容さが欠けている時代じゃないか”と憂う現代に山田洋次監督は届けたかったのでしょう。
なんか窮屈になってしまった現代、変わるべきは“職業に貴賤あり(本来の言葉は、なし)”と平気で言ってしまう大人ではないか、この映画を観て考えた方がよさそうです。
最後に好きな作家「司馬遼太郎」の名言で締め括ります。
“日本人は均一性を欲する。大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫である。”
“人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるということだ。”
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