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「鬼」は外!でも「鬼」も内⁈

「鬼」は外!でも「鬼」も内⁈

8月8日(ようか…“い”がないですが)は「妖怪の日」だそうで、また河童で有名な「遠野物語」など日本各地の民間伝承に光を当てた日本民俗学の祖、柳田國男氏の命日でもあるそうです。
ということで、前回に続き「妖怪」について(妖怪説明はこちら)、そして「節分(鬼は外、福は内)」や「鬼ごっこ」「鬼ころし(日本酒です、おいしいよね)」「鬼嫁(自分⁈)」「鬼滅の刃(この登場はちょっと違うかも)」と身近な存在の「鬼」についてのお話です。

「源頼光大江山にて酒呑童子を退治し給ふ」歌川国芳 画(1835~1840年)出典:立命館大学

妖怪の出現は早く、文献や言い伝えとして「古事記(712年)」「日本書紀(720年)」といった歴史書や「風土記」等における太古からの伝承を説明している文の中で「鬼」「大蛇」や怪奇現象に関する記述が既に見られます。そして、日本の絵画史に現れるのは、平安時代末期の12世紀。鎌倉時代にかけて、邪気を退治する神々の姿や、地獄の様相、鬼が描かれ、中世(17世紀初頭)になると妖怪は娯楽の対象へと移り変わり、江戸時代以降に親しみのあるキャラクターとしても捉えられるようになっていきました。

ちなみに、妖怪に似たもの、あるいは妖怪のジャンルに含まれるものとして「幽霊」がいますが、こちらは恨みや心残りを持って死んだ人間の魂が、あの世で落ち着けずにこの世に舞い戻ってきたものと考えられます。したがって、幽霊や妖怪に出くわして話のきっかけや接穂(つぎほ)に困ったときは、幽霊の場合は人生相談に乗ってやり、妖怪の場合は専門や得意芸は何かと尋ねてやるとよいとか。ただし、幽霊においてはあなたに個人的に恨みがある場合があり、妖怪においては誘拐や殺人を特技とする危険なヤツもいるので、そんなときはさっさと逃げるにこしたことはない、かも(笑。自分としては身内以外の幽霊には遭遇したくないですね。

妖怪の代表格として最もポピュラーな存在の「鬼」、普通“おに”と読まれていますが、古史古伝「九鬼文書(くかみもんじょ)」のように“かみ”と読むこともあります。
日本の鬼の原像は、「なまはげ」などの来訪神からとか、祖霊や地霊で隻眼(独眼)という神の印を帯びた神の眷属(けんぞく)と捉える見方や、“一つ目”を山神の姿とする説、神を守護する巨大な精霊大人(おおひと)に由来するとする説などあり、いずれにしろ神または神に近い霊的な存在だったのかもしれません。

追儺図の鬼

その後、死霊を意味する中国の鬼(キ)が6世紀後半頃に日本に入り日本古来の“おに”と結びつき、仏教の獄鬼・怪獣・妖怪や陰陽道(おんようどう)に基づく想像上の怪物などの影響を受け、今の日本人の妖怪としての“角”の生えた鬼(おに)のイメージが生まれたと一説に考えられています。
民間信仰では、病気・家運などのために鬼を祭る風習が発達し、さらに道教や仏教と習合して、追儺(ついな/疫病を除いて新年を迎える儀式)、盂蘭盆会(うらぼんえ/仏教行事・お盆)などの年中行事も発達しました。「追儺図(一部)」(江戸時代末期)出典:書陵部所蔵資料目録

“おに”の語は姿の見えないもの、この世ならざるものであることを意味する「隠(おん・おぬ)」が変化したものとの説があり、また、鬼という字が“おに”としてほぼ定着したのは平安時代末期の頃、それまでは鬼の字を“おに”の他、“かみ・もの・しこ”とも言われていました。

「日本書紀」には、まつろわぬ(帰順しないこと)「邪しき神」を「邪しき鬼」として得体の知れない“もの・しこ”と捉えて、加えて目に見えない悪しき霊や物の怪(もののけ)が鬼として観念されています。それは、朝倉山の鬼や異邦人・粛慎(みしはせ)、また「風土記」には目一鬼(まひとつおに)などが鬼として記されています。
それから、大蛇や土蜘蛛、付喪神(つくもがみ)などといった化け物・妖怪を経て、鬼の代表格とされる南北朝時代(1336~1392年)の酒呑童子(しゅてんどうじ)にいたるようです。

土蜘蛛草紙絵巻(一部)
重要文化財「土蜘蛛草紙絵巻(一部)」(南北朝時代14世紀)出典:東京国立博物館

鬼の形態は、「源氏物語」に登場する鬼とは怨霊のことでしたが、初めのころは女性の形で出現していたようです。室町時代中期の「百鬼夜行絵巻」には、角のないものや、牛、馬の頭の形をしたものなど、見ただけでは到底鬼だとは判定できない異形の鬼などが描かれています。一説にはこれが元になり、加えて陰陽道に由来して、牛の角と虎の牙と爪を持ち筋骨たくましい体と虎の皮の腰巻、といった型がつくられ、江戸時代から今の鬼の風貌に固定化したそうです。
この風貌は、京都から見て鬼門の丑寅の方角(北東)、丑寅の刻(午前1時から5時まで)に出現すると考えられたことから“丑(牛)の角が生え、寅(虎)の腰巻を履いている”イメージとなったようです。

百鬼夜行絵巻(一部)
「百鬼夜行絵巻(一部)」作者不明(16~17世紀)出典:Wikipedia
百鬼夜行絵巻の鬼
百鬼夜行絵巻の鬼

百鬼夜行とは、深夜に徘徊をする鬼や妖怪の群れ・行進で、出遭うと死んでしまうといわれ恐れられていました。が信仰が身を助けたという話に帰結しています。

酒呑童子は、南北朝時代頃に成立の御伽(おとぎ)草子「大江山絵詞(おおえやまえことば/現存最古と言われる絵巻)」に登場、源頼光とその四天王が大江山の最強の鬼・酒呑童子を退治した物語を描いた絵巻物です。(下記の酒天童子は現在の鬼に近いですが、元は髪は茶色で、眼も明るい色をしていて体格も非常に大きく描かれている鬼だったようです。)
平安京を荒らしまわり財宝を奪い、貴族の姫をさらってこき使ったり食べたりした悪鬼ですが、嘘や謀を嫌い、名称通り無類の酒好きでもありました。最後にはだまし討ちに合い首を落とされますが、頭だけで源頼光に襲い掛かり「鬼に横道なし(訳:鬼ですらここまで卑劣な輩はいない。恥を知れ)」と激しく罵ったという。

大江山酒天童子絵巻物
「大江山酒天童子絵巻物」(江戸時代中期)出典:国立国会図書館

この酒呑童子は京の治安を乱すだけの存在ではなく、京の王権・秩序と対立するもうひとつの反秩序を象徴する存在で、鬼が武士に退治されたり坊主に調伏されたりするのがパターンで物語の視点が常に権力の内側からの話になっており、王権の正統性を強化する説話になっているようです。

人間は、見知らぬ者、異形の者、異文化に属する者、おのれの権力にまつろわぬ者、葬り去った者の怨念を恐怖する生き物で、その恐怖から逃れるために(より大きく強い)社会をつくり、国家までつくりあげた。集団や国家はそれが存続しようとする限り、外部に具体的な鬼を、あるいは目に見えない想像上の鬼を必要としているわけである

出典:「鬼と日本人」小松和彦 著(株式会社KADOKAWA)

また、民俗学者の一部には「鬼」というのは通常暮らしている共同体の範囲外に住む人のことである、と捉える向きもあります。
道祖神・地蔵・あるいは巨石・古木など結界の役割を果たし、この共同体の外のものを「鬼」とみなすという心理構図は、例えば「おむすびころりん」で穴の中に落ちたおむすびを求めて行くと、そこには鬼がいた、などといった話の中にも見ることができます。桃太郎も海を越えて鬼ヶ島に行きました。海はこの世界とあの世界を隔てる結界です。
しかし、この「よそもの」は害をなす場合は「鬼」ですが、福をもたらす場合は「稀人(まれびと)」になります。日本神話で訪れる神の恵比須神・少彦名神・事代主神など、男鹿半島の「なまはげ」など、と考えられます。

以上のように、日本の鬼は「悪」から「善」や「神」まで多様な現れ方をしており、特定のイメージで語ることは困難で、また時代にあわせて捉え方も変化し単純に悪者とはできません。

おむすびがころがり落ちた穴、そこは外界に通じる結界の外であると同時に、足元にあるもの、つまり心の中にあるものかもしれません。いくら外に結界を張っても、心の奥底には深い闇が広がっています。“鬼”といった邪心や煩悩が心の中に存在し、それとどう向き合い付き合っていくか本人次第なのかもしれません。

その後、酒呑童子はどうなったかというと、源頼光と四天王はその首を持って京の都に凱旋することになりました。そしてこの境界の老ノ坂峠で休んでいた時、鬼の首は不浄なので都に入れるなと子安地蔵のお告げがあります。仕方なく、ここに酒呑童子の首を埋めて塚を作ったのが始まりという。この京都の首塚大明神の塚は、首から上の病(改心して「首から上の病に苦しむ人を助けたい」と願ったため)に霊験あらたかな神社として、また、酒の神として、今もなお酒のお供えが絶える事はないそうです。

歴史が古い「龍」についての記事はこちら→架空の動物である「龍」は実在した⁈

出典:日本語を味わう辞典
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出典:酒呑童子 
出典:百鬼夜行絵巻

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