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約126年分の御利益を願った鮮やかな赤で彩る「鬼灯」

約126年分の御利益を願った鮮やかな赤で彩る「鬼灯」

ほおずきの実の中身を出して、皮だけになったもの、これを口に入れて、ほおずき笛を鳴らしたことがありますか?
小さい頃に、自分はどうしても中身を取り出す時に皮が破れてしまい作れなくて、お盆の時期におばあちゃんに作ってもらい口に含み“ブーブー”と鳴ならして…、これは楽しい夏の思い出の音でもあります。
そんなほおずきを吹き鳴らす遊びはかなり古くからあって、平安の頃から宮中で親しまれていたようです。

「絵本常盤草 鬼灯」西川祐信 画
「絵本常盤草 鬼灯」西川祐信 画(1731年)ほおづきの笛を作っているようです。出典:ボストン美術館

見た目も赤っぽく“ぼんぼり”のような形をしている“ほおずき”は「鬼灯」とも書きます。これは、ガクに包まれたほおずきの果実を死者の霊を導く提灯に見立て、お盆に先祖が帰ってくるとき目印となる提灯の代わりとして仏壇などに飾られたことに由来しています。

ほおずきと言えば、7月9、10の両日に行われる東京都台東区・浅草寺の本尊である観世音菩薩の縁日「ほおずき市」が有名ですが、ほおずき市は観音信仰と関連が深いそうです。

平安時代の頃から、毎月18日は“仏様と特別なご縁のある日”という意味を込めて「縁日」と呼ばれ、そして観音様のご縁日として、この日に参拝すると大きな功徳(くどく/善い行いを心掛けることによって神仏から幸運を授かること、つまり御利益(ごりやく)信仰)があるとされていました。

16世紀頃の室町時代以降になると、これとは別に「功徳日」という縁日が毎月1回新たに設けられ、この日の参拝は何百日・何千日分ものお参りに相当すると信じられるようになります。
特に7月10日は、「千日詣り」といい、この日に参詣すると1000日参詣したのと同じ功徳が得られるとされていましたが、江戸時代の元禄年間(1688-1704年)頃から4万6000日参詣したのと同じ功徳があるとされ「四万六千日(しまんろくせんにち)」と呼ぶようになりました。
それまで浅草寺でも千日参りといわれていた縁日が、享保20年(1735年)の江戸市中の旧跡や地名を図解入りで説明している地誌「続江戸砂子」に「四万六千日」が見えてきます。

なお、この4万6000日という数字の由来は不明だとか。ですが、一升枡に入る米粒の数に相当するといわれ“一升”を“一生”にかけて一生分の御利益がいただけるから、などの説もあります。

浅草寺の提灯と雷除札
浅草寺の提灯と現在も四万六千日にもらえる竹串に挟んだ三角形の「雷除札」

最初は“ほおずき”ではなく茶筅(ちゃせん)が売られていたそうですが、雷除けのお守りとして赤トウモロコシ(赤は古来より魔よけ・厄よけの効果がある色として珍重されていた)が売られるようになり、そして、災害の原因となった雷を回避する雷除守護の札が出されるようになりました。その雷よけの護符は、明治初期に赤トウモロコシが凶作となったときに代わりとして出されたのが始まりと伝えらています。

そして4万6000日分の効果があると参拝が盛んになっていき、前日の9日から意気込んだ人々が寺を訪れるようになったことから、9、10日の2日間が四万六千日の縁日とみなされるようになました。
そうすると、このような大きな縁日には参拝客目当てのいろいろな市が立ちます。ほおずき市もそんな市の1つで、開花の時期と功徳日が近かったこともありますが、ホオズキはもともと、薬草として東京都港区にある愛宕(あたご)神社の千日参りの縁日で売られていました。ホオズキを煎(せん)じての飲むと、子どものかんの虫や女性の癪(しゃく)によく効くと言われており、これを参拝土産に持ち帰るのが通例で、やがてこれが明和年間(1764-72年)頃に浅草寺に波及し、明治末期には赤トウモロコシを売る店はほとんど姿を消し、ほおずきに取って代わり、愛宕神社をしのぐ活況を呈するようになったのが今の「ほおずき市」だそうです。
こうして、都内各地の寺社で開かれている「ほおずき市」は、いつしか浅草寺の市が最も有名になっていっていきました。

「ほふづき」喜多川歌麿 画
「ほふづき」喜多川歌麿 画(1799-1800年)子供にほおずきの実を食べさせようとしています。出典:ボストン美術館

ほおずきとの関わりは長く、日本最古の古事記には「赤輝血(アカカガチ)」の名で載り、八岐大蛇(やまたのおろち)の赤い目に例えられています。平安時代にはホホツキと呼ばれ、これはホは火(ひ)、ツキは染まる意味の著(つき)で、実が赤く成熟することに由来や、遊んでいる子供の赤く染まる頰から「頰突き」、カメムシ(ホホ)が付きやすい植物だから「ホホツキ」、果肉が火のように赤いから「火々付」などと語源が諸説あります。
平安時代の「本草和名(ほんぞうわみょう)」という日本に現存する最も古い薬物辞典にその名が見られ、鎮静剤として利用されていたようです。

漢方では根を「酸漿根(さんしょうこん)」といい、茎や葉とともに解熱や咳止めなどに用います。果肉を食べると癇癪に効くとされており、ほおずきに「酸漿」の字をあてることもあります。ただし、根には子宮緊縮作用があるため江戸時代には堕胎剤として利用されていたそうです。
ちなみに、ほおずきには食用とそうでないものがあり、7月に開催されるほおずき市で売られているものや、よく目にするものは毒性がある観賞用だとか。

ほおずき市

江戸時代から続く東京浅草・浅草寺でのほおずき市、もとは誰が言い出したかわからない四万六千日、つまり約126年分相当の御利益があるとされて盛んになった縁日。
人ごとながら、そんなイベントを大々的に開催したら、その他の45,999日は誰もお参りに来ないのではないかと心配になってしまいますが、それも取り越し苦労で、有名なお寺はこの日に限らずいつも盛っています。イベントを打ち上げる方も、参加する方も、威勢のいいキャッチコピーを話半分で大して信用していない実態がうかがえます(笑。
しかしながら、薬用としても使われていたほおづきに、今でも健康を願う人の祈りが込められているのかもしれません。ほおずき市は去年に続き今年も開催は危ぶまれますが、鮮やかな赤で彩る夏の風物詩として、また、お盆の時期に飾る風習としても、ずっと一緒にほおづきは寄り添っていくことでしょう。

出典:ほおずき市
出典:四万六千日
出典:ホオズキ
出典:日本語を味わう辞典

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