年中行事となった日本型クリスマス
聖書にはキリストが生まれた日について書かれていない12月25日はクリスマス…キリスト教においてクリスマスは“イエスキリストの誕生日”ではなく“イエスキリストの生誕を記念する日”とされています。
クリスマスの起源は、北欧で今でもクリスマスを「ユール」と呼んでいるゲルマン人などによる冬至祭りではないかと考えられています。
日本でも、冬至を「太陽復活の日」として1年で最も大切な日として考えられていたので、クリスマスを受け入れるのに抵抗はなかったのでしょう。
日本のクリスマスの歴史
日本における最古のクリスマスは、1552年に現在の山口県でフランシスコ・ザビエルとともに日本で布教したコスメ・デ・トレースが行った降誕祭だと言われています。
しかし、徳川家康がキリスト教を禁教としたので、200年以上もの間クリスマスも途絶えてしまいます。
幕末には開港地などの外国人居留地内でのクリスマス行事が見られるようになります。
1860年(万延元年)、プロイセンの外交官オレインブルクによりクリスマスツリーが日本で初めて飾られました。オーナメントには、オレンジや梨などのフルーツ、砂糖菓子、キャンドルが吊り下げられたそうです。
1874年(明治7年)日本初サンタが登場、扮したのは元幕臣の牧師・戸田忠厚という人物で、裃(かみしも)を着用し腰には大小の刀を帯びた侍ルックで大森かつらをつけた殿様風だったそうです。
1900年(明治33年)、銀座に進出した明治屋がクリスマスの売り出しを始め、庶民の間にも徐々に普及しますが、本格的に浸透したのは昭和からになります。
1906年(明治39年)から定番イメージのサンタクロースが登場してきます。
1910年( 明治43年)、不二家が日本ではじめてクリスマスケーキを発売しました。しかし、当時は高価で庶民が購入できるものではなかったようです。
ちなみに、スポンジケーキに生クリームをぬって砂糖でできたサンタさんや家などが飾られたもの、いちごがデコレーションされたもの、定番のケーキの基本は不二家が作ったものなんだとか。
そして、日本のクリスマスケーキは華やかに飾られたものが多いですが、華麗なクリスマスケーキは日本独自のもののよう。
1926年(大正15年)12月25日に大正天皇が崩御した日を「大正天皇祭」として祝日になり、この期間にクリスマスが定着したとされます。
戦前は天皇の誕生日とともに崩御の日も祝日としていました。
1937年(昭和12年)に起きた日中戦争から太平洋戦争が終わるまで欧米風の祭りのクリスマスは自粛されますが、戦争が終わって2年ほど経つと、ダンスホールや歓楽街で大人たちが騒ぐ賑やかなクリスマスが復活してきます。
高度成長期に入る1960年代には、ケーキとプレゼントを買って、郊外のマイホームへと向かうサラリーマンのパパが多くなり(この頃からクリスマスケーキは広まっていきます)昭和50年(1975年)代までは、子供のためのお楽しみの日という昔ふうのクリスマスに戻りました。
1980年代に入り、恋人と過ごす日という大人のクリスマスが出現します。
クリスマスはカップルで過ごす“恋人たちのもの”という認識は、1983年(昭和58年)から始まり、現在もこの不思議な習慣は定着したままです。
これもまた、日本独自の風習だそうです。
出典:クリスマス
日本型クリスマス
西洋のお祭りであるクリスマスを、何だか楽しそうなお祭りだ的に日本風に祝いだしてすでに100年超、西洋の文化を取り入れなければ世界から遅れてしまう、という風潮があったのではないでしょうか。
だれもそこに宗教的儀式として捉えていないし伝統も感じてはいない、冬至の季節の洋風のお楽しみの日にそれぞれ自由に過ごす、きっとそれが日本型クリスマスの特徴だと思います。
日本古来のお祭りではありませんし型がないとても自由なお祭り、また新しい日本スタイルのクリスマスが出てくるかもしれませんね。
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