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美しい国「日本」は何処へ向かっていくのだろう

美しい国「日本」は何処へ向かっていくのだろう

1912年(大正元年)に半官半民のジャパン・ツーリスト・ビューロー(外国客に対する日本の紹介・斡旋などの事業)が設立され、外国へ向けた誘致活動を行なわれるようになります。
そんな時代、鉄道や航路などの交通網の整備を背景に、第一次世界大戦後には世界的な海外旅行ブームの時代が到来しました。シベリア鉄道との連絡による南満州鉄道の国際線化(1911年頃/明治44年)やパナマ運河(1914年/大正3年)の完成によって、日本にも海外から観光客が押し寄せてくるようになります。

大正中頃、世界一周を終えた観光団の船内アンケートで、日本は“最も美しい国”とされたほど日本の旅は、国内外の人びとから“美しい”イメージで捉えられていました。そして、自然や伝統文化の美が、日本の観光のセールスポイントにもなり、盛んに宣伝されるようになっていきました。

ちなみに、大正時代の経済成長率は第一次世界大戦(1914年~1918年)による好景気で平均12~13%という高い伸び率だったという。

1929年(昭和4年)に世界大恐慌がおきますが、その大正時代の余波を受けて消費はまだ活発でした。
日本政府は1930年に国際観光局を発足させ「観光立国」をめざして外客誘致キャンペーンを展開、画家やデザイナーを動員し「美しい日本」を対外的にアピールしました。実はこのイメージは、貿易収支改善だけでなく、国際的に孤立を深める中の「対日世論の是正」という裏ミッションも秘められいたという。
1933年(昭和8年)に国際連盟からの脱退は日本円の大幅な下落をよび、皮肉にも観光事業を押し上げる事となりました。こうした円安効果と観光キャンペーンが功を奏し1936年(昭和11年)には外国人観光客は4万人を超え、その消費額は1億円を突破、観光産業は綿織物、生糸、人絹織物に次ぐ第4位の外貨獲得高を占める重要産業として大きく成長を遂げました。
しかし、翌1937年に日中戦争が勃発すると、対日世論は大幅に悪化して訪日外国人は激減。1942年(昭和17年)に国際観光局は廃止されてしまいました。

この頃の広告はというと…江戸時代には「絵びら(人目につくところに貼った絵入りの広告)」と呼ばれていたものが「ポスター」、それを描く「画工」や「図案屋」が「商業美術家」「コマーシャル・アーチスト」と呼ばれるようになり商業美術が確立していきます。1925年(大正14年)には日本初のデザイン団体「七人社」が結成され、広告の評価が高まりクローズアップされていきました。この時代に今でいう広告クリエーターたちが誕生します。
そして大正時代の終わりから昭和初期に、アール・ヌーボーからアール・デコなどの西洋絵画、或いはドイツのバウハウスやロシアアバンギャルドの影響を受けた広告が次々と出てきました。

ヴィンテージJAPAN観光ポスター

宮島 1932年(昭和7年)川瀬巴水(版画)・野口謙次郎(台紙画)/鉄道省発行 出典:Los Angeles Public Library
Beautiful Japan 1930年(昭和5年)吉田初三郎/鉄道省発行 出典:pinterest.jp

昭和初期、当時の鉄道省が海外向けの観光キャンペーンを企画した際、日本の魅力を発信する重要な役割を担ったのは、日本の風景を詩情豊かに描く版画家の川瀬巴水(かわせはすい)でした。
「大正広重」と呼ばれた大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師の吉田初三郎、鉄道省から依頼を受け(鳥瞰図ではなく)、1930年頃「フジヤマ」「サクラ」「ゲイシャガール」という欧米でのその後の日本のパブリックイメージ形成に重要な役割を果たしました。

ヴィンテージJAPAN観光ポスター

神社夜景 1934年(昭和9年)ピーター・I・ブラウン/日本国有鉄道 出典:Los Angeles Public Library
Japan(宮島) 1934年(昭和9年)ピーター・I・ブラウン/日本国有鉄道 出典:Los Angeles Public Library

ヴィンテージJAPAN観光ポスター

ニホンジカのいる日本庭園 1930年代/日本国有鉄道 出典:flickr.com
五重塔と桜の花 1937年(昭和12年)/日本国有鉄道 出典:Los Angeles Public Library

ポスターやパンフレットは主要駅に開設された案内所に掲示されました。史跡名所や寺社仏閣など現代でもよく使われる観光イメージがこの時期にもみられます。

ヴィンテージJAPAN観光ポスター

東京市の観光PRポスター 1930年代/東京市 出典:flickr.com
Japan Tourist Bureau(五重の塔) 1930年代/日本交通公社 出典:flickr.com

ヴィンテージJAPAN観光ポスター

Visit Japan 1930年頃(昭和5年)日本郵船株式会社 出典:Los Angeles Public Library
Around the world 1932年(昭和7年)ジョージ・ハミングス/日本郵船株式会社 出典:Los Angeles Public Library

ヴィンテージJAPAN観光ポスター

オリエントコール 1936年(昭和11年)里見宗次 出典:Los Angeles Public Library
Travel NYK 1935-36年(昭和10年頃)里見宗次/日本郵船株式会社 出典:Los Angeles Public Library

ヴィンテージJAPAN観光ポスター

JAPAN観光ポスター 1937年(昭和12年)里見宗次/日本国有鉄道 出典:Los Angeles Public Library
1937年(昭和12年)のパリ万博で名誉賞と金杯を受賞したアールデコのデザイナーとして国際的に活躍していた里見宗次氏による外国人観光客誘致のためのポスター。疾走する列車のスピード感が直線的なデザインで表現されています。

ヴィンテージJAPAN観光ポスター

つい最近までインバウンド特需に湧いていた日本、“ビジットジャパン・キャンペーン”がスタートしたのが2003年、観光立国推進戦略会議が2020年の目標を「2000万人に設定すべき」と提言したのが2009年、2016年には2020年時点での目標値を4000万人に引き上げました、が2020年2月の訪日外客数は、前年同月の58.3%減です。
2019年には3180万人を超え、有名観光地はオーバーツーリズムによる観光公害がおき、そしてまた観光産業の実態は外部の資本の介入による“地元にお金が落ちにくい”産業であるといわれています。コロナが収まっても現状の観光ビジネスモデルは今後も大きな問題となっていくことでしょう。インバウンド市場は色々な意味で踊り場なのかもしれません。

出所:日本政府観光局 (JNTO) 発表統計よりJTB総合研究所

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