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「タバコ」のパッケージやポスターから視えてくるもの

「タバコ」のパッケージやポスターから視えてくるもの

タバコはナス科の一年草の亜熱帯性植物で葉の成分としてニコチンを含み、アメリカ大陸原産の植物です。
始まりは古く8000年前の北米の先住民からといわれています。当時は単に吸うだけではなく、儀式や治療に大切な役割を果たしていて、太陽を崇拝するマヤ族は火と煙を神聖なものとし、神官が神前でタバコの煙を吸っていたといわれています。

1492年コロンブスが「アメリカ大陸」を発見した時、インディアンが吸っていたタバコをスペインに持ち帰り、ここからヨーロッパ各地の貴族の間に広まっていきました。(この時コロンブスがタバコを持ち帰らなければ…現状は違っていたことでしょう)

日本へは、1543年(室町時代)ポルトガル人が種子島に鉄砲とともに伝えられたと言われています。
その後、1601年にキリスト教伝道師から贈られたタバコの種子を、徳川家康が医薬品として栽培を奨励したために広まったそうですが、米の作付け面積が減少することを危惧した徳川幕府は1607年から数回にわたり、タバコに関する禁令を出しています。この時の禁令の理由は“タバコは害多し”からといわれていますが、当時街中でならず者の集団が腰にキセルをぶら下げていたことか ら、“風紀を引き締める”という意味合いが強かったようです。
ちなみに、日本で最初にタバコを吸った女性は“淀殿”であると伝えられています。

「風流七小町 卒都婆」礒田湖龍斎画
「風流七小町 卒都婆」(1772~1780年)礒田湖龍斎画 出典:メトロポリタン美術館

江戸時代の安永年間の制作であろう浮世絵、女性の煙管(キセル)から若衆が煙管に火をもらう図で、煙が“恋”の字の形になっているそうです。
この「キセル」、文献上に文字が最初に出てくるのは1603年、いつ頃から使用され始めたのか名称の由来も定かではなく、近年の研究で、ポルトガル語で「吸うもの」を意味する“que sorver”あるいはスペイン語の“que sorber”の「キソルベル」が「キソル」「キセル」に変化していったのではないかといわれています。

明治時代の岩谷商会タバコのポスター
1900年(明治33年)頃「天狗煙草」と「吉野」岩谷商会/出典:MOC(モック)

1880年(明治13年)紙巻きタバコの製造開始、この時代、専売公社はまだ存在していなかったので民間の会社がタバコを製造販売していました。
1884年(明治17年)岩谷商会が「天狗煙草」発売、1891年(明治24年)村井兄弟商会が「サンライズ」という名称の煙草を発売。そして、岩谷商会と村井兄弟商会の宣伝合戦が始まります。

明治時代の村井兄弟商会タバコのポスター
1902年(明治35年)頃「ピーコック」(地球をも股に掛けるほど“馬い”というシャレ?)村井兄弟商会/出典:flickr.com、1900年(明治33年)頃「忠勇」(日清戦争勝利で勢いのあった日本軍人をモデルにしたポスター)村井兄弟商会/出典:flickr.com、明治30年代「武徳」村井兄弟商会/出典:flickr.com

1890年代から1900年代初頭(明治20~30年代)には、日本でも複雑な濃淡を表現できる多色石版印刷のポスターが製作されるようになりました。
明治初期に紙巻たばこが国内で製造されるようになると、たばこ製造業者が販売競争を繰り広げるようになります。その中でも、国産葉タバコを使用し国益第一の東京の岩谷松平(岩谷商会)と輸入葉タバコを使用し舶来礼賛の京都の村井吉兵衛(村井兄弟商会)はあらゆる広告手法を使い激しい広告合戦を繰り広げました。
この宣伝バトルは当時の広告業界や印刷業界にも大きな影響と技術発展をもたらしました。なお、このライバル競争は1904年(明治37年)7月、国のたばこ専売制が施行されるまで続いたとか。

その村井兄弟商会、1899年(明治32年)タバコにカード(トランプ花札、軍人の写真、西洋の女性画のカード)を付けて販売します。アメリカのタバコ販促を真似たもので、これが日本の商業食玩の実質的な始祖となりました。しかし、このカードにより、子どもがこれを目当てにタバコを吸う事が問題視され、翌年に未成年者喫煙禁止法が成立します。
おまけ目当ての購入は、こんな時代から始まっていたんですね。

明治以降は、その習慣性・常習性を利用して税を徴収する手段となりました。今から120年あまり前の「日清戦争・日露戦争」の頃、政府は税収入の増大を図るため、タバコの製造販売を「煙草専売法」により国の管理下におきました。以来、大蔵省専売局から日本専売公社へと引き継がれ、1985年(昭和60年)3月までの専売の時代が続きます。現在は民営化され日本たばこ産業(JT)と契約した農家のみ原料用として栽培することができ、JTは農家が売り渡す葉タバコの全量購入を義務付けられています。
国が喫煙を奨励したことにより、ピーク時の1966年(昭和41年)には日本人男性の喫煙率が83.7%という驚異的な記録になりました。

それから禁煙運動の高まりにより、2018年(2020年1月の発表)の喫煙率は男性29.0%、女性8.1%まで下がりましたが、まだ十分とは言い難い数値だそうです。なお、タバコの税率は現在約65%です。(厚生労働省「国民健康・栄養調査」調べ)
日本における禁煙運動の動きが遅かったのは、もともと国家収入のために政府が喫煙を奨励していたことと、現在も「日本たばこ産業株式会社 JT」の株を50%も政府(財務省)が保有していることが大きな原因のようです。

昭和初期のタバコのパッケージ
この写真のタバコは、「ゴールデンバット」1925年(大正14年)~1936年(昭和11年)7銭、「光」1938年(昭和13年)~1942年、「憩」1948年(昭和23年)~1949年、「ピース」「新生」1949年(昭和24年)~1952年に発売されたパッケージです。

ゴールデンバットは、1906年(明治39年)の発売。2019年に終売しましたが113年になる日本国内最古のたばこでした。愛称は「バット」。中国向けの輸出用に幸運の印である“コウモリ”をパッケージにしました。デザインは東京高等工塾学校(現・千葉大学)宮下孝雄氏です。愛用者には作家も多く、芥川龍之介や太宰治、中原中也らが吸っていたことで有名です。

ピースの品名は平和を意味する「PEACE」から。第二次世界大戦直後の混乱期の1946年(昭和21年)発売されこともあり、夢や希望、平和な未来への願いが込められています。

ピースのタバコパッケージ

1952年(昭和27年)に鳩がオリーブの葉をくわえているデザインに変更されますが、これはアメリカの商業デザイナー、レイモンド・ローウィ(ラッキーストライクなど)によるもので、この新しいデザインのピースが発売されるやいなや、売り上げは前年同月に比べ3倍にもなりました。このことは産業界にも強い影響を与え“デザインが嗜好まで変えた”ともいわれました。

愛称の「缶ピー」は「缶ピース(両切り50本、缶入り)」は密閉され風味を長く保てるため、根強い人気があります。愛用者は三島由紀夫、坂口安吾、山本周五郎、小津安二郎、森繁久弥など。

新生は、大蔵省専売局が日本専売公社となった1949年(昭和24年)に発足と同時に発売された「ピース」と同じように平和を取り戻し復興することを願って名づけられたもので、1958年(昭和33年)から発売されるようになったのが現在のデザインです。ルパン三世の銭型警部のタバコとして有名です。

1954年の雑誌より、日本のタバコパッケージデザイン
1954年の雑誌より、日本のタバコパッケージデザイン
1954年の雑誌より、日本のタバコパッケージデザイン 出典:flickr.com
昔のタバコ屋
昔のタバコ屋、愛知県北名古屋市「昭和日常博物館」より

アメリカ映画やドラマのヒーローたちが口にするタバコがかっこよかった。喫煙のキッカケなんて、単純なことだったりします。昭和の頃は世も人も、喫煙に対しておおらかだったのかもしれません。

欧州連合(EU)では、タバコのパッケージに“喫煙は殺人”という警告の表示が義務づけられ、また、ビートルズのアルバム「アビイ・ロード」のジャケット写真が禁煙団体の圧力でタバコの写っていた部分が消去されたポスターが売られたりと、ヒステリック集団と化した人々によるタバコバッシングは、まるで喫煙者には人権などないの如しです。

タバコというのは害ばかりで益するところは何もないのか、というとそんなこともなく、成分といえばニコチンですが、ニコチンには脳の「側坐核(そくざかく/脳の意欲をつかさどる重要な部分)」という部分を活性化させる性質があるので、ストレスをやわらげたり、やる気を起こさせたりする効果があります。またタバコにはネガティブな気分を正常に整えたり、逆に高ぶりすぎた神経を落ち着かせたりする効果もあるといわれています。ニコチン依存症という「脳の病気」だ、という医者もいますが。
そして、医者が言わない不都合な真実として、肺がんと喫煙者の因果関係は認められないとのデータ証明もあるそうです。英国の医学雑誌に、違う病気での死亡率が非喫煙者より多いので、どうもこの辺がタバコを止めれば医療費を削減できるという論理の根拠になっているようです。

考えてみれば、日本でさえも470年以上の喫煙の歴史があるといいます。15世代以上に渡って文化として普及してきたものですから、いまさら“悪”というのは論理に無理があるように感じます。しかしながら、何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ですけどね。

出典:JT たばこの歴史・文化
出典:たばこと塩の博物館
出典:たばこの歴史
出典:医師たちが触れたがらないタバコ害の〝不都合な常識〟

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