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息を合わせて警備の仕事にあたっている「狛犬」

息を合わせて警備の仕事にあたっている「狛犬」

こうコロナが猛威を振るっていると、つい神社へ神頼みに行きたくなります。
(蛇足ですが、ある予言では11月から良くなる兆しが現れ2022年5月から本格的に良くなるとか、本当に当たるのだとしたら、まだまだ先で辟易です)

基本的に神社仏閣は好きなのですが、信心深いというより建築を学んだせいか建物を考察するのが趣味でして、たまたま近くの神社にいったら、何気に石でできた狛犬(こまいぬ)に目がとまりました。
怖ろしげな顔をし、たてがみもある狛犬、愛らしい犬とは違って、むしろ猛獣と言う方がふさわしい雰囲気です。

日光東照宮の鋳抜門
鋳抜門(いぬきもん)と呼ばれる、扉には牡丹唐草と輪宝の文様が施されている青銅製(1621年の創建時は木造)の平唐門(国指定重要文化財)。日光東照宮の聖域は、江戸幕府の将軍家の一番大事な場所。東照神君をお守りする狛犬も豪華で精悍な姿です。
吽形狛犬
平唐門の前の青銅製・吽形狛犬。出典:フォト蔵
阿形狛犬
平唐門の前の青銅製・阿形狛犬。出典:フォト蔵

というのも狛犬の起源は、ペルシア・インドにおけるライオン(獅子)を象った像で、古代オリエント諸国(エジプト、メソポタミア、ペルシアなど)での神域を守るライオン像(スフィンクス)もその源流とされ、それがはるばるシルクロードを通って、6世紀に仏教の伝来と共に仏像の前に置かれた2頭のライオン(獅子)も日本に伝わってきたようです。

日本ではその異形な姿を犬と思い、しかし日本犬とは違っているので、異国の犬すなわち高麗(こま/胡麻犬とも、また魔除けとして置かれたので拒魔犬とも)の犬と考えたとされます(名前の由来は諸説あり)。
ちなみに、本物の生きたライオンが初めて日本に渡来したのは1866年(慶応2年)正月だとか。

こうして日本でも、獅子には悪霊を圧する霊力があると信じられ、仏像の前や仏塔入口の両脇に2頭の獅子を置く習慣が始まりました。宮中では几帳(きちょう)の裾に置く重石(おもし)として、または魔除けの意味で木製の狛犬を用いていたようです。

木造の獅子・狛犬
「木造の狛犬・獅子」作者・奉納場所不詳(鎌倉時代・13世紀)出典:京都国立博物館。両者を雌雄に分けることはまれで、2躯(たい)ともに雄であることが普通だとか。

伝わった獅子は、奈良時代までは口を開けた獅子2頭で左右の姿に差異はなかったのですが、平安時代の初め、口を開いたのを獅子として左に置き、口を閉じ頭に1角をもつものを狛犬として右に置くというように変化します。
この角を持つという狛犬の由来については様々な説があり、一つは、人の邪正(じゃしょう/不正と正)をよく知るという獬豸(かいち)といわれる一角獣とも呼ばれる麒麟に似ている祥獣、他に平安中期の宮中の年中儀式や制度を定めた『延喜式(えんぎしき)』には、想像上の動物「兕(じ)」がめでたい動物(瑞獣)として記載されていて、これが狛犬につながるという説もあります。「兕」は牛に似た灰色がかった黒い動物と言われ、角が一本あると云われています。平安時代に獅子は「唐獅子(からじし)」の姿になり、狛犬は「兕」の姿を描いていたように想像されると伝わります。

また、渦巻く多量の毛は、特に強い霊力を持つと考えられていて「獅子毛」と呼び、獅子の狛犬はカールした毛、犬の狛犬は軽いウエーブになっているものが多いようです。ですが毛の表現は特に決まりがないため、江戸時代には数多くのバリエーションの狛犬が造られたそうです。

「牡丹に唐獅子」歌川豊国 画
「牡丹に唐獅子」歌川豊国 画(1800年代)出典:ハーバード大学

唐獅子は、日本に産する猪(いのしし)・鹿(しし・かのあし)と区別して呼ぶこともありましたが、頭側部両側や頸部・尾を火焰状に渦巻く多量の毛で覆い、胴体・四肢に数個の文様を散らした特異な容姿の幻想動物として伝わっています。こうした形状は平安時代9世紀渡来の密教両界曼荼羅図からとも考えられていて、古くから絵画彫刻に多く取り入れられ、特に桃山時代から盛んになったようです。

狛犬は平安時代から鎌倉時代には神社や寺院の建物の中に(ほとんど木造なので)置かれるようになりますが、石造りの狛犬は鎌倉時代からで、参道に狛犬が置かれるようになるのは江戸時代からのようです。なお、古い歴史のある神社、たとえば伊勢神宮などは狛犬の入ってくる前からの古い形をそのまま伝えているお宮とかは狛犬が見られないとか。
また、獅子・狛犬の両方の像を合わせて狛犬と呼ぶようになってしまったのも江戸時代以降のことで、角のない狛犬が多くなってきたことから狛犬と獅子の区別がつかなくなったと言われています。

現存する木製の獅子・狛犬には、東京都府中市の大国魂(おおくにたま)神社、石川県白山市の白山比咩(しらやまひめ)神社、滋賀県栗東(りっとう)市の大宝神社、京都市右京区の高山寺、福岡県宗像(むなかた)市の宗像大社などあります。石製としては奈良県東大寺南大門に置かれている一対の像がありますが、阿吽形ではなく両方が獅子の姿をしている唐獅子と呼ばれる種類の「石獅子(造立1196年)」で日本最古のものとされています。

「諸職画鑑」北尾政美 画
「諸職画鑑」北尾政美 画(1794年)出典:国立国会図書館

「諸職画鑑(しょしょくえかがみ)」は諸職(色々な職人/彫工・石工・金工など)に対して発刊された略画式といわれるイラスト集。
獅子・狛犬が本来は阿形は角がない獅子、吽形は角があるべき狛犬ですが、北尾政美が間違えて、阿形に角があり、吽形に宝珠を載せた獅子にしたため、多くの石工が間違って制作・設置して現在でも多く存在しています。

皆中稲荷神社前の狛犬
必勝・当選・賭け事にご利益がある東京都新宿区の皆中(かいちゅう)稲荷神社前の阿形狛犬

ということで、狛犬とは、仏教系の起源を持ちますが、純日本の神社に置かれることが多く、「犬」とはいったようなものの「ライオン(獅子)」の姿が多いという、謎に満ちた置物。
通常二体の狛犬はそれぞれ、「阿(あ)」と「吽(うん)」を口の形で表現しています。これは門番仲間の仁王像と同じ仕草であり、犬のくせに神様とタメ口をきいているみたいで生意気とも思えますが、仁王のような立派な門番を雇うことができなかった貧乏な社寺が、代わりに番犬を置いているのだと理解すれば許せなくもない、かも(笑。
しかしながら、門番の役割を犬が担うというのは適材適所というべきで、同じ愛玩動物でも猫は居心地のよい場所を探し出す才能を買われて、商店で招き猫として活躍していたりします。

なお、神社の狛犬や寺院の山門の仁王像など、口を開いている方を「阿形(あぎょう)」、口を閉じている方を「吽形(うんぎょう)」といいますが、この「阿吽(あうん)」の形は日本で多く見られる特徴のようです。
この「阿吽」はサンスクリット語のアルファベットの最初と最後の文字を漢字で音写表記したもので、日本語の五十音も最初の文字が「あ」、最後の文字が「ん」で、まさに「阿吽」となっていますが、これは日本語の五十音が、サンスクリット語を研究する学問から影響を受けて整理されたからだそうです(要するに、サンスクリット語の並びをパクったわけね)。
そして、「阿吽」は、ものごとの最初と最後を表し、難しい文字や絵をさかんに使いたがる密教では、宇宙の根源と帰着を意味するという大袈裟なことになっています。
また「阿」は口を開いて発声し、「吽」は口を閉じて発声するので、吐く息と吸う息を表し、そこから「阿吽の呼吸」は“息が合うこと”つまり、一緒に仕事にとりくむ際に、調子や気持ちを一つにすること、という慣用語として用いられています。
なので、神社の狛犬や寺院の仁王像の阿吽形は、「阿吽の呼吸」を意味し、互いに息を合わせて警備の仕事にあたっているといえそうです。

出典:狛犬
出典:阿吽
出典:唐獅子
出典:狛犬の歴史
出典:日本語を味わう辞典

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