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儀式や作業の場から始まった「庭」について

儀式や作業の場から始まった「庭」について

庭、小さい頃住んでいた家では、敷地面積が三軒建てらるでろう広い庭で、玄関両脇にはアガベ(竜舌蘭)、前庭には榊の木(神棚に使うためだと思う)やイチジクの木、野菜では茗荷やシソ、観葉植物ではバラやユリやケイトウ(鶏頭)の花などが雑然(自分から見て)と賑やかに植えてあり、他は大工の作業場や駐車場、また草ぼうぼうの所もあり、なんだか絶好の遊び場だった記憶があります。
今はそんな庭は望めませんが、日本人の「庭」との関わりはいつからなのだろう、と思い調べてみることにしました。

「儀式風俗図絵 七夕 乞巧奠」巌 如春 画
「儀式風俗図絵 七夕 乞巧奠」巌 如春 画(19世紀)出典:金沢大学付属図書館

「庭」の起源は、神を祀(まつ)る儀式を行う広場とされます。古代では石を神格化した巨石崇拝、弥生後期から飛鳥時代にかけては神池(しんち)・神島(しんとう)が現れ、この島は離れた地であり別世界を意味し、島を取り巻く池は海を象徴し、この池と島が日本の庭の原型といわれています。
また、この時代、神々は天空から地上の高い所に降臨すると信じられ、その際に大きな枝ぶりのよい木とか大きな石に神が来臨すると考えられていました。日本の庭園が外国のそれと比べて、みごとな石組を特色とするのはこれに由来するとされます。

なお、日本で「庭園」という言葉が使われるようになるのは西洋文明が入ってきた1907年(明治40年)頃、“garden”の訳語としてからで歴史は浅いとか。英語のgardenはもとは“囲われた土地”という意味で、日本と西洋の所有地に対する“のんき度”の違いがわかります。
そして漢字の「庭」は「中庭」の意味で、神事を行う場所(廷)を建物で囲っている(广)ことを表しています。日本と西洋の中間という感じですが、やはり自分の土地は囲わなければ気がすまないようです。

ことばとしては、『古事記(712年)』では人々の日常的なたまり場となったような広場は「邇波(には)」という言葉が、『日本書紀(720年)』では「庭(てい)」、神を祀る清浄な場所は「斎庭・忌庭(ゆにわ)」とよばれ、池や泉がある広場は「園」「苑(えん)」「囿(ゆう)」などの記述がみられます。また同時代に、家の前に草木を植え込んだ庭を「前栽(せんざい)」、奈良期から鎌倉期頃まで用いられた、広大な庭園「林泉(りんせん)」、鎌倉・室町時代では「園池(えんち)」と言われたようです。このほか庭園を意味する言葉として用いられてきたものには、「坪・壷」「池庭(ちてい)」「泉石(せんせき)」「山水(さんすい)」「仮山(かざん)」「枯山水(かれさんすい)」「石壺(いしつぼ)」「蓬壺(よもぎがつぼ)」「泉水(せんすい)」「水閣(すいかく)」「水石(すいせき)」「御庭(おにわ)」「御園(おその)」などがあります。

日本間からの坪庭
日本間からの坪庭

現代では、邸内の建物の壁や塀に囲まれた小規模の庭を「坪庭(つぼにわ)」と呼ばれることもあり、またその本格的で自然の景観を取入れ芸術的に構成された大規模な庭を「庭園」と言われています。なお、坪庭は元々京都の町屋造りにおける主屋と離れのとの間にある庭園を指したとか。

伝統的な日本家屋の台所
伝統的な日本家屋の台所。江戸時代後期、比較的大規模な民家の例。中央が土間、左側に竈(かまど)が並んでいます。出典:Wikipedia

また、作業を行う場として、農家では入口の土間の部分をニワと呼ぶ場合もあり、庭は個別の家においてその居住空間やその一部を示すものとして一般的に使用されている語だったようです。主屋の前の空き地もニワとかソトニワなどと称し、屋内のウチニワと区別して呼ぶこともあり、諸々の作業を行うための広い場所を指しました。
ただし地主階層の家になると、座敷の外に築山泉水の庭園を造ることもしたそうです。ソトニワとの間は垣や土塀で仕切り適当なところに木戸を設け、内側の庭園を前栽とか露地と呼びました。

「冬の庭」歌川広重
「冬の庭」歌川広重 画(1849-50年)出典:The Art of Japan。前栽と呼ばれる庭でしょうか、手水や敷石、植木・盆栽などが描かれています。

この儀式の場や農作業などの実用の場であった「庭」が文化が進むにつれて、住居を取り巻く環境として発達していったようです。

飛鳥期以降、神池・神島を基盤として、また渡来人によってもたらされた造園技術によって庭園意匠が構成されて、奈良時代になると多くの池庭が造られました。なお、現存するものでは同時代「平城宮址」の平城宮南東隅庭園が最古とされます。

平安時代になると、自然の山々を借景(しゃっけい/外部の景色を庭園に取り入れ、その景色も自分の庭の一部であると言い張ること)に優美で本格的な庭園が出現しました。貴族の寝殿造邸宅の南庭に橋・築山(つきやま/人工的に土砂を用いて築いた山)などが築かれた池に船を浮かべて管絃などを楽しむ庭園が設けられ、社交の場としていたようです。これは寝殿造庭園といい、中期からは浄土教の影響で浄土庭園と呼ばれる形式の庭が流行しました(宇治・平等院鳳凰堂など)。

鎌倉・室町時代には書院造の建築が現れると、それに対応して園内を一周しながら地形に応じて繰り広げられる景観を観賞する回遊式庭園が造られるようになり、また、石と白砂を利用して禅的な空間を表現した枯山水(かれさんすい)という石庭が流行しました(京都・龍安寺など)。

ちなみに枯山水とは、流水や海を石や白砂により表現して満足するという節約タイプ。禅宗の寺院でしばしば採用されますが、意味のわからない問答で相手を煙にまく禅宗にお似合いの庭園様式といえます。水を使わないので魚を飼うこともなく、よほど手入れの手間が省けるかと思いきや、毎日のように僧侶が砂利に水流や水紋を描き出しているので、修業の一環でもなければとても維持できない庭園かも。

「中古倭風俗」歌川国貞
「中古倭風俗 徳川二代秀忠 公御嫡子竹千代君庭園御遊覧之図」歌川国貞 画(1889年)出典:Japanese Art Open Database。大名庭園でおもちゃの馬に乗って遊ぶ竹千代(後の江戸幕府二代将軍・秀忠)の絵。富士の借景に池、築山・橋・出島・樹木・石灯籠などが描かれています。

安土桃山時代になると桃山的な豪快な意匠の池庭もできますが、対照的に侘茶の文化と共に茶室への通路となる小さな空間を利用した茶庭(露地)も盛んに造られました(京都・大徳寺孤篷庵庭園など)。江戸時代には池の周囲に茶室や書院を配置し、園路を通じて散策する本格的な回遊式庭園が各藩の大名庭園として造営され、現在も茨城・偕楽園、東京・浜離宮恩賜庭園、岡山・後楽園、石川・兼六園、高松・栗林公園などが公園として残っています。

江戸後期以降、広大で傑出した伝統的技法による日本的な庭園はあまり造られなくなり、代わって明治以降に入ってきた西洋庭園の影響を受けた芝生を多数利用された庭園や、また各地に公園という形式が造られていきました。

古民家にある中庭
古民家にある中庭

「庭付き一戸建て」が流行ったのは1960~80年代、現代は「庭」という発想が生まれにくい家ですが、それでも外構の隙間に、あるいはベランダ(屋根付きのもの)にバルコニー(屋根のないもの)に、また家の中に緑を置こうとするのは、DNAレベルで欲しているかのようです。なので庭には、眺めたり感じたりすることで心に作用する力を求めていたような感じがします。
生活に必須ではないですが、緑で癒しや暮らしを潤すことができるのなら、どんなに狭くても庭やバルコニーなどで植木鉢を置いたりガーデニングもよさそうですね。
ちなみにガーデニングは、日本では1990年代後半に登場し流行。園芸・造園・庭仕事を意味するgardeningという“ガーデンする?”みたいな言葉をそのままカタカナ語化して用いています。個人の庭のDIY(ドゥ・イット・ユアセルフ)的な作業であり、日本語にすると“庭いじり”がそれに近いですが、庭いじりでは鼻水を垂らしたじいさんがネコの額ほどの庭のあまりキレイでもない木や花をちまちま育てているかのようなイメージなので(実際に少し前まではそのような感じがあった)、ガーデニングが使われるようになったと思われます。
また、この「ガーデニング」は特にイギリス式の庭仕事をいい、見た目にはそのへんの野っぱらとたいしてかわりない雑然とした庭(イギリス式庭園)を丹精込めて造りあげ、放っておいたら化け物屋敷の庭になる一歩手前で維持するという、やるだけムダのような仕事、とも言われています。。

出典:庭園
出典:日本庭園
出典:
出典:LIFE PLUS 庭
出典:日本語を味わう辞典

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