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新たな年の平穏無事を祈願してお参りに行く「初詣」

新たな年の平穏無事を祈願してお参りに行く「初詣」

初詣というと、小さい頃は何故か遠い成田山新勝寺に、大人になると友人と日付の変わる時間に合わせて鶴岡八幡宮や明治神宮や浅草寺などに、そして生年月日でその時期の吉方位が決まる(九星気学による)社寺へとお参りしたものですが、最近はもっぱら近くの神社へと行っています。
おそらく、普段は神社仏閣とは無縁の人も正月には初詣に行くという方が多いと思います。そんな初詣、なんとなく昔からある行事のような気がしますが、いったい何時から、など気になり調べてみました。

「堀之内妙法寺 恵方詣」歌川豊広 画
「堀之内妙法寺 恵方詣」歌川豊広 画(1804年)出典:メトロポリタン美術館

東京都杉並区堀ノ内にある、日蓮宗の本山。日蓮の祖師像が厄除けにご利益(りやく)があるということで、江戸時代より多くの人々から信仰を集めています。

ひとつは神道の儀式だと言われています。大晦日の夜から元日の朝(1日の境を日没時としたため)にかけて氏神様(同じ地域に住む人々によって共同で祀られる神様)の社へ籠りその年を祈願した「年籠り(としごもり)」が、やがて大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」の2つに分かれ、元日詣が今の初詣の原型になったという説で、除夜の鐘を合図に新年を迎える考え方となってから、今日のような形となったものと考えられています。なお、平安時代後期1181年に源頼朝が鶴岡若宮に参詣したことが初詣が広まるきっかけになったとも伝えられています。

もうひとつは、元日(旧暦1月1日は2月頃の立春前後)に恵方(えほう)の神社へ参拝してその年を願う「恵方参り」が変化したという説もあります。恵方とは吉方・明方(あきのかた・あきほう)とも言い、陰陽道(おんみょうどう)に基づく方角の吉凶をいう俗信で、十干十二支の組合せによってその年(毎年変わる)の幸福をつかさどった歳神様がいる方角のこと。
現在、節分に恵方に向かって太巻き寿司(恵方巻き)を丸ごと一本切らずに黙って食べる(折角の寿司を美味しくいただけない、という疑念が残る豆まきの代用)という関西地方の一部で行われていたものが、商業ベースに乗せられ豆まきより盛んになりつつある(ここぞとばかりに高く売りつけるので爆発的な普及は難しいと予想される…)行事になっていますが。

「春曙恵方詣(一部)」三代歌川豊国 画
「春曙恵方詣(一部)」三代歌川豊国 画(19世紀)出典:国立国会図書館

前髪にさしている竹に挟んだ御札、縁起物がたくさんぶら下がった飾り物(繭玉と思われます)を担いでいる男性、恵方詣りの帰りでしょうか。しかし、大正末期以降、方角にこだわらない「初詣」が正月行事の代表として定着し、恵方詣りは衰退したそうです。

「江戸自慢三十六興 亀井戸初卯詣」歌川国貞 画
「江戸自慢三十六興 亀井戸初卯詣」歌川国貞 画(1864年)出典:東京都立図書館

初卯詣(はつうもうで)の初卯は正月最初の卯の日のこと。初卯詣は本所亀戸天神宮内の妙義社(現・御嶽神社。京都では石清水八幡宮へ、大坂では住吉神社へ)に詣で、木で古風に作った鷽(うそ/小鳥のこと)または御守札を拝戴し、門前にて売る柳の枝に五色の餅を丸めた繭玉(まひだま/米の粉で繭の形に団子を作り木の枝に沢山付けたもので餅花の一種。養蚕の盛な地方では繭)など縁起の品を付けたものを買って、商売繁盛の縁起物でしたので天井から吊るし飾ったようです。なお、餅花も繭玉も、小正月(1月15日)のどんど焼の火であぶったり、小豆粥に入れたりして食べたとか。絵の子どもの前髪にさしている竹に挟んだ御札は「雷除け」になると言われていました。ちなみに、2022年の卯の日は1月2日と1月14日(大安)。

江戸時代末期までの元日の社寺参拝としては、氏神様の社へ参詣したり、居住地から見て恵方にあたる社寺に参詣(恵方詣り)したりといったことが行われたようです。
他にも、新年の一連の行事の一つになっていた神社の初縁日(初子[大黒天詣]・初寅[毘沙門天詣]・初卯[恵比須・大黒詣]など)に参詣することも盛んでした。十二支なので必ず松の内(以前は1月15日まで)に縁日がくるので、初詣に近い状況になります。

いずれにしても、年籠りや恵方にとらわれない正月に自由な参詣をする、という現在の形の「初詣」が根付いたのはそう古い話ではなく、明治の中期頃から鉄道の発展とともに広まったとみられています。

鶴岡八幡宮の初詣
鶴岡八幡宮の初詣

初詣というと神社へ行くのが正しいと思っていましたが、「神仏習合」により神社・寺院の区別はないとされ、どちらへ参詣(初詣に限らず)してもよいとなっているそうです。

神仏習合とは、日本人が外来の文化を土着文化に融合させる手口が見られる最も初期の犯行の一つ、6世紀に伝来した仏教を従来の神道と共存させるために、神社の敷地の中に仏教の寺を建てたり、日本の神々は仏の変身した姿だというようなこじつけを考案したりと、様々な偽装工作が行われました。しかしその後の神道と仏教が共存し続けた事実を見れば、神仏習合計画はまんまと成功したと言えるでしょう。なので、八百万信仰の日本では仏も一つの神として受け入れられ、ほどなく同列のものとして信仰されていったようです。
なお、明治になると「神仏判然令(神仏分離/神道と仏教を明確に区別すること)」が発令されますが、初詣の習慣においての影響はあまりなかったとか。
ただし、忌中時は、神社は「死」を穢れ・忌むもの、として扱うので神社にまつわる慶事は避け、寺を選ぶようにした方がよいとされています。

ということで、初詣(初詣で)とは、(新年に)初めて(社寺に)詣でること(正月飾りを飾る期間・歳神様がいらっしゃる「松の内」までに済ませるのが一般的)。あるいは、正月休みで他にすることもないのでお詣りにでも行こうか、どうせなら有名な神社に行ってみようか、ということで家族で繰り出したはいいようなものの、とんでもなく長い行列に並ばされたあげく、人の後ろから投げた賽銭は賽銭箱に入らず(人の頭に直撃)、後ろからせかされてろくにお祈りもできず、ブーたれる子どものご機嫌をとるために出店のばか高いジャンクフードを買わされ、寒さと疲労で風邪を持ち帰るはめになるという、そんなユニークな行事を日本では初詣と呼んでいます(笑。経験済み)。

ですが、人気の高い社寺では三が日で〇〇万人の参詣客を集めるとか、いくら頭のよい神様や仏様とはいえ、その人数の願いをいちどきに聞き入れるのは不可能と考えられ、願いが叶えられる可能性はかなり低いと思われます。それより、狙い目は地元のあまり人気のない社寺、こちらは地域の人々に支えられているので地元の人には基本的には親切であり、熱心に祈ればちょっとした願いは叶えてくれるような気がします。特に神社では三が日に甘酒やお神酒を配っているところもあり(ケチな賽銭でタダ酒が飲める)、さらに出店も少ないので無駄遣いをせずに済むので、おすすめかも(笑。

最後に…、きっと様々な行事が廃れ忘れ去れても、新たな年の平穏無事を祈願してお参りに行く「初詣」は無くならないような感じがします。そして今年は、日本が何かしらの復活の方向へ行くような予感がします。
初詣に行ったら「おみくじ」を引く方はこちらの記事→「凶」を引いたらやはり気になります!

平成の時代になってから二礼二拍手一礼、神社の記事はこちら→違和感を覚える「二礼二拍手一礼」や「神社」について

出典:初詣で
出典:初詣
出典:恵方
出典:【浅草】初詣の由来について
出典:日本語を味わう辞典

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