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奈良時代に既に殺人事件まで起きていた「居酒屋」という場所

奈良時代に既に殺人事件まで起きていた「居酒屋」という場所

居酒屋とは、日本式のパブのこと。酒類を楽しむとともに、酒に合う料理(肴[さかな]・つまみ)を楽しむ場所、そして、残酷な会社の記憶を和らげ、残酷な家(そうではない人もいるが)に帰る勇気を与えてくれる夢のような場所でもあります(笑。出す料理によって「焼き鳥屋」「おでん屋」「割烹」「小料理屋」や「ビアホール?」と名称を変えることがあります。

ちなみに、お通し(関東では「お通し」、関西では「突き出し」)とは、料理屋や居酒屋などで注文してもいないのに酒の肴として最初に出てくる小料理のことをいう。「お通し」は「通し」に言葉を丁寧にするはたらきのある「お」を付けたものですが、語源は、注文を帳場につたえるという意味の「注文を通す」から「注文を受けました」というサインとして出すからとも、客をテーブルに通したらすぐに出るものだから、ともいわれています。通常は無料(少ないかも)で料理もそれなりのものですが、中には料理はたいしたことないのにたいそうな値段をとる店もあります。店側にとって、お通しは「客単価を確実に上げられる上に、質をあまり問われないので利益率が高くありがたい商品」として重宝されている側面もあるとか。

自分も居酒屋は好きで、友人と下北沢の居酒屋(チェーン店除く)全部制覇するぞ、など上野で1万円で何件はしご酒できるか、など無謀な企み(他にもたくさんあり)で飲み歩いていました。その分、恥ずかしい話や失敗談が増えていきましたが(汗。ということで、最近はなかなか行くことが少なくなった居酒屋についての話です。

居酒屋の歴史

「古事記(712年)」に登場する逸話や歌から、8世紀初頭(奈良時代)までには居酒屋風の店が既に存在したと言われています。
797年に書かれた「続日本紀」の761年の記事には、皇族の葦原王(あしはらおう)なる人物が〈喜んで酒肆(しゆし/酒を売る店、または酒を飲ませる店)に遊ぶ〉うち〈博飲して忽ち怒を発し〉て一緒に飲んでいた相手を刺殺してしまい種子島へ流罪になった、という殺人事件を起こした記録が残っています。

ちなみに、世界史では、紀元前18世紀の「ハンムラビ法典」に居酒屋についての規定が記されていて、古代バビロニアには既に居酒屋が存在していたようです。なお、最古の酒の痕跡は、中国で紀元前7000年頃の土器に付着していた酒粕だとか。

その後、寺院などで酒の醸造と提供が始まり、神社関連も醸造を行うようになります。やがて平安時代から民間業者が醸造を行うようになり「醸造屋」と呼ばれるようになり、全国に波及したのは11世紀頃と言われています。鎌倉時代に入り商業が盛んになったことで貨幣経済が各地へ行き渡たると、武士階級に酒を提供する醸造屋が現れます。末期になり、ようやく商人階級に酒類を提供する醸造屋が登場しました。
日本酒の歴史などの記事はこちら→共に飲み交わす「日本酒文化」

江戸時代の居酒屋
「開化風刺錦絵」より「揚酒屋賑ひの図」無款、年代不明。居酒屋の軒下には酒の肴の“魚”が吊り下げられています。出典:東京国立博物館

室町時代になると醸造屋は一定の権力と資本力を持ち、土倉(どそう)といって金融業者を兼ねることも多く、庶民に対して積極的に金を貸すと同時に、酒類も提供していたようです。また、この頃になると、酒の提供に特化した「酒屋」や茶も出す「茶屋」が登場し、都市部や街道沿いには庶民相手の居酒屋が建つようになりました。京都では、すでに15世紀の室町時代に「下請酒屋」と呼ばれる立ち飲み屋があったと伝えられています。

安土桃山時代の16世紀末には神田鎌倉河岸の「豊島屋」が労働者や町人に居酒屋として人気となりました。当時は上方から輸送された灘や伏見の名酒が好まれ、川越・久喜・千葉・厚木などの地廻り酒もよく飲まれ、当初の居酒屋の酒の肴は豆腐田楽だったようです。この「豊島屋」は、現在も東京・神田に酒屋として続いています。

1657年(明暦3年)の江戸の大半を消失した「明暦の大火」のあと、江戸を復興するために多くの職人が集まり、それらの人たちに飲食を提供する「煮売屋(煮魚や煮豆など惣菜を売る店)」や「一膳飯屋」などと呼ばれる食堂が誕生。煮売屋は食事だけでなく酒も用意し、居酒屋のような役割を果たしていました。他に屋台も居酒屋として発展していきます。

江戸時代の居酒屋
「江戸名所道化盡 廿七 芝飯倉通り」歌川広景 画(1859年)居酒屋の軒下には魚が吊り下げられ、障子看板には酒・肴とあります。出典:東京都立図書館

「居酒屋」という言葉が登場したのは、1752年(宝暦2年)に記録された書物「正宝事録」からといわれています。
酒屋が庶民向けに酒の量り売りを始めたのは江戸時代、店先で買ったばかりの酒を人々が立ち飲みするようになり、このサービスを提供する店は「居酒致し候」などと貼紙をし、“酒屋に居続けて飲む”ことから「居酒屋」と呼ばれるようになったようです。
寛政年間(1789~1801年)頃は、酒屋と同じく杉の葉を束ねた「酒林(杉玉)」が店の看板代わりで、入口に蠅(はえ)の侵入を防ぐために縄のれんをかけたことから、居酒屋のことを「縄のれん」とも呼ばれていました。
そして、酒屋からの転業、新規参入が相次ぎ、1830年(天保元年)には江戸市中にある居酒屋は200軒を超え、一番多い時で約1,800軒(飲食店全体の23%)にも広まったという。「江戸の呑みだおれ、京の着だおれ、大阪は食いだおれ」といわれるくらい当時の江戸は「酔っ払い天国」だったのかもしれません。
なお、江戸時代の居酒屋の客はほぼ男性客のみでした(参勤交代により地方から出てきている武士や地方から大勢の働き手がいたので男性が女性の2倍近くいたとか)。また、幕末の居酒屋で提供される升酒一杯の値段は、上等酒十二文、中等酒十文、並等酒六文でした。
江戸時代のお酒の記事はこちら→日本酒が薄いサワーみたく飲めた江戸時代、などなど

居酒屋「鍵屋」
東京・根岸の「鍵屋」1856年(安政3年)に酒問屋として創業し、店の一角で酒を飲ませるようになったことに端を発して居酒屋となり、その場所で1974年(昭和49年)まで営業。その後、大正元年築の日本家屋を改装した現在の店舗に移転。旧店舗は、その歴史的価値ゆえ、東京都小金井市にある『江戸東京たてもの園』に移築して保管され、今でも見学することができる。
居酒屋「鍵屋」
現在の「鍵屋」

明治時代に入るとビールをはじめ洋酒が流入、1875年(明治8年)頃になると、横浜でビアガーデンがオープンし、1895年(明治28年)には大阪で夏場だけのビアガーデン、1899年(明治32年)には銀座に「恵比寿ビアホール」がオープン、大正時代に入ると、カフェやキャバレー等の洋風居酒屋が相次いで登場しました。
ちなみに、未成年者の飲酒が法的に禁止されるようになったのは1922年(大正11年)のことで、江戸時代は年齢による飲酒制限はありませんでした。

戦後しばらくした1949年(昭和24年)、酒類販売自由化により新宿ゴールデン街や福岡中洲の屋台街など各地に飲み屋街が登場。1950年代には居酒屋チェーン店が誕生、「養老乃瀧」や「やぐら茶屋」などが次々とオープンしました。
そして、1960年を境に日本酒と洋酒の消費量が逆転、1970年代には格安居酒屋チェーン時代に突入し「村さ来」「つぼ八」「北の家族」「白木屋」「庄や」などが誕生、加えてそれまでの“おっさんくさい”というイメージが強かった居酒屋が、提供する酒類にワインやチューハイなど飲み物や料理の種類を豊富にしたり、店内装飾を工夫したお店が多くなり、女性だけのグループや家族連れを含め、誰でも気軽に利用できる大衆酒場というイメージになっていきました。
1980年代になるとチェーン展開が進み、大手ではファミリーレストランと同様にフランチャイズ形式とセントラルキッチンによる量産体制が確立されるようになり、格安で楽しめることから大学生をはじめとした若者たち・会社員・友人同士などのグループで宴会の場としての地位を得ていきました。

居酒屋「みますや」
神田に佇む東京最古の1905年(明治38年)創業、居酒屋「みますや」

なお、居酒屋の黄金期は1990年代、売り上げのピークは1992年だったとか。
近年は、若年層のアルコール離れ、働き方改革による残業の減少、消費者の嗜好の多様化、ファミレスやラーメン店でのアルコール類の提供(ちょい飲み)など他業種の居酒屋部門の参入などで2015年頃から居酒屋業界は苦戦を強いられているようです。現在は、以前のように「仕事帰りにちょっと一杯」といった習慣も薄れ、「家飲み」が流行るなどライフスタイルが変化しています。出典:業界動向サーチ、居酒屋業界2019年版(2018-19年)より

出典:Wikipedia/居酒屋
出典:コトバンク/居酒屋
出典:ピクシブ百科/居酒屋
出典:日本語を味わう辞典

居酒屋

最後に

居酒屋文化が発展した江戸時代、旬の料理をつまみにお酒を楽しみながら、交友関係を深められる居酒屋は、日本独特の文化であり、なくてはならない存在だと感じます。
飲食は心を和ませ、人はよく話すようになり、情報を多く仕入れることができます。相互理解が高い人とそうではない人なら、“相互理解が高い人”のほうが仕事において差が出るのは、言うまでもないことです。コミュニケーションの原点は、人と人が顔を突き合わせて会話をすること、飲みニケーションも大事ですよね。

飲み屋街というと、新宿もよく行ったのですが、そこでのある出版系の社長の事を思い出します。初老のとても人当りの良い方なのだけど、飲み方が…浴びるように飲む人で、なので最後はいつも介抱する羽目になるのだけね。この社長、よく一人で新宿に飲みに行くらしく、その時の失敗談など面白おかしく語ってくれました。中でも強烈だったのが、歌舞伎町ではしご酒して、気が付いたら歌舞伎町入り口靖国通り沿いのごみ置き場でパンツ一丁な状態、そこで寝ていたらしい。追いはぎに合いパンツ以外全て盗まれた、とか。そんな飲み方してたんじゃそうなるよね。ということで、上戸の方、飲み方に気を付けましょう!

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