半世紀以上前のレールがつなぐ「プラレール」
小さい頃から電車が好きで秋葉原にあった交通博物館にもよく行ってました。だからなのか息子が遊んでいたプラレールにもはまり、12畳のリビング約半分を使い大ジオラマを作ったりして…掃除が大変だったのですけどね。しかし、車両は実車に比べて短くデフォルメされた外見ですが、玩具ながらその造形は大人が見ても通用するものがあり、決してあなどれない、と思います。
そんなプラレールは、2019年で60周年を迎えたロングセラー玩具でした。
富山商事(現・タカラトミー)が鉄道玩具「プラレール」を発売したのは1959年(昭和34年)のこと。
海外で遊ばれていた木製の鉄道玩具をもとに“流行に左右されない息の長い玩具を”という考えと、素材は、それまでの鉄道玩具はブリキなどの金属で作られていましたが、1950年代後半にちょうどプラスチックの国産化がスタート、安価でデザインや成型の自由度も高いプラスチックに決め製作に至ったようです。
サイズは当時ほとんどの家庭にあった“ちゃぶ台(約470mm)”の上で遊べる、を基準に円の直径を432mmに設定し、円周を8等分した長さが曲線レール1本分、直線レールの長さはほぼ円の半径に等しい216mmに、レールの幅は列車のサイズを考慮し38mmに決めたそうです。
レールの連結は押し込めば簡単につながるハの字型ジョイントと裏表どちらでも使えるリバーシブルタイプにし、色は店頭での見栄えを考えて青を選び、1959年にプラレールの元祖となる、架空の蒸気機関車・貨車4両・レールがセットになった手転がし式の「プラスチック汽車レールセット」が発売されました。
しかし業者からは“枕木があって初めてレール”といった声や、“レールの連結部が折れやすい”という苦情とかで商品はなかなか売れなかったようです。
発売から2年後の1961年(昭和36年)、商品仕様を見直し、車両を3両編成に変更し、動力源にモーターを使った「電動プラ汽車セット」を発売します。この時、当時の人気雑誌『暮らしの手帖』で、列車のデザインが洒落ていること、直線、カーブ、橋などがあってさまざまな形につなぎ合わせられる点など、鉄道玩具としての面白さを高く評価され、一躍この分野で注目をあびトップメーカーに躍り出ました。
1964年(昭和39年)には、東海道新幹線の開業に合わせた「夢の超特急ひかり号セット」を発売。初めて実在の車両をモチーフとした製品が登場し、あこがれの新幹線の姿に子どもたちは胸をときめかせたようです。なお、この時は、車体色が赤と白の2色でした。
そしてタカラトミーはシリーズ名を1970年頃「プラレール」という名称に改め同時にロゴマークを作成、以降、実車の車種や情景部品の種類が増え続け、玩具としての完成度はますます高くなっていきました。
電動化から10年が経過した1971年(昭和46年)には架空のデザインの車両が廃止され、「D51汽車」「D51急行列車」「EF15」など実車系の電車が続々と登場。レールも手動で切り替えられるポイントレールが登場して鉄橋やトンネルなど、今も人気の高い情景部品がラインアップに加わっていきました。
時代は高度経済成長期、鉄道は日本人の足として急速に発展し、それに合わせて「プラレール」も私鉄系の電車を加えるなど、次々とその種類を増やしていき、多彩なレールや凝った情景部品が追加されたのもこの頃、セット商品では「複線ステーション」や「踏切ステーション」が人気を集めました。
1980年代半ば、国鉄が経営難に苦しんでいた時代、好調を続けてきた「プラレール」の人気にやや陰りが見えてきます。国鉄がJRになったのは1987年(昭和62年)、90年代に入るとJR各社は次々と新車両を投入し、それに合わせて「プラレール」も第二の黄金期を迎えます。中でも大ヒットしたのがスマートな流線型スタイルの「300系新幹線」と「400系新幹線」でした。
1992年(平成4年)には「きかんしゃトーマス」シリーズ、1997年には10月14日が「鉄道の日」であることから「プラレールの日」に制定、2000年に入ると小型CCDカメラを搭載した「TVで遊ぼう! 僕はプラレール運転手」発売します(車両は922形検測車・ドクターイエローを採用)。これは先頭車両に搭載した小型CCDカメラの映像を赤外線で飛ばし、テレビにつないだ専用コントローラで画面を見ながら運転操作を行うという、非常に凝った商品でした。以後、車内灯が点くギミックを搭載したものなど、新商品を続々と発売しています。
しかしながら、車両は進化をしても、車両とレールの規格については半世紀以上たった今でも変わっていないそうです。なので、昔のレールと現在のレールを接続し、古いプラレールと最新型のプラレールを同じ線路で遊ぶことができるのだとか。
このように稼働玩具でここまで徹底的に規格化された商品ならびに登場してはすぐに消えて行くという流れが常であった鉄道玩具の中では、異例で世界的に見ても珍しいそうです。
ちなみに、プラレールは玩具でありながらそのクオリティの高さや扱いやすさから、JR東海では事故に備えた研修の1つに教材として使用されているとか。
最近では、生産が長期にわたるため大人のファンも多数存在しており、親子で走らせて楽しんだり、果てには大人の持つ技術をもって魔改造を施すことまであるそうです。
直線や曲線の青いレールはパズルのように簡単に組み合わせることができ、シンプルながら多くのバリエーションを持っており、発想次第で自由なジオラマを作ることができるプラレール、子どもの頃、これで遊んだ人も少なくないはず。
出典:プラレール公式サイト
出典:プラレール
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