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ロングセラーな「殺虫剤」といえば渦巻とあのスプレー

ロングセラーな「殺虫剤」といえば渦巻とあのスプレー

夏の始めのこの季節、生ゴミの周辺にたむろするハエ、耳元で“プ~ン”と飛び回る蚊が出てきます。
これらを退治するスプレー缶に入ったエアゾール式の殺虫剤といえば、金鳥ブランドを代表する商品「キンチョール」、昔も今も空中を飛び回る害虫にはこのタイプが欠かせません。どの家庭にも必ず1本はある(あった)のではないでしょうか。

この「キンチョール」は、大阪に本社を置く大日本除虫菊株式会社のロングセラー商品で、シンボルマークの鶏をあしらった赤・白・青のスプレー缶のデザインは、50年以上に渡ってほとんど変わっていないのだとか。そして蚊取り線香「金鳥の渦巻」に次ぐ、金鳥ブランドを代表する基幹商品(花形商品ではないが売り上げがある程度占めている商品)だそうです。
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歴史的には、人類は農耕を開始して以降、絶えず害虫の被害に悩まされてきましたが、おもな防除法は害虫(病害)退散の神事に拠っていました。これは、「虫送り(虫追い)」という神事で“虫除け札”を農地に立て無事を祈願したもので1945年(昭和20年)頃まで全国各地の農村で執り行われていました。
文献では、16世紀末に記されたとされる古文書「家伝殺虫散」に、アサガオの種やトリカブトの根など5種類を混ぜる農薬の生成法や使用の記録があり、17世紀後半には毒キノコやタバコ粉(ニコチンの殺虫効果)やハエドクソウ(有毒植物)が用いられ、江戸時代には、鯨油(げいゆ)や菜種油を田面に注ぎ、水稲のウンカ類(イネの害虫)を駆除したという記録もあります。

明治時代になると、人畜に対する毒性が低い除虫菊(じょちゅうぎく)を導入し、粉末にしてノミ取り粉として商品化され用いられていきました。
ちなみに、除虫菊の原産地はクロアチア。もともとは鑑賞用でしたが、除虫菊を捨てた場所だけ虫がたくさん死んでいることから、除虫菊に含まれる成分(ピレトリン)に殺虫作用があることがわかりました。

この除虫菊に目を付けたのが、後に「蚊取り線香」を生み出す上山英一郎氏でした。この時、荒れた土地でも栽培できる除虫菊を輸出産品に育て上げ「貿易立国に尽くしたい」という思いから普及に奔走します。なお、当時、米国には除虫菊で巨万の富を築いた人が沢山いたそうです。

棒状蚊取り線香「金鳥香」と初期のキンチョール

そして、やっと普及・量産が見え始めた1890年(明治23年)、この除虫菊の粉をもっと簡単に殺虫効果を高められないかと考えられたのが、線香からヒントを得てできた世界初の棒状蚊取り線香「金鳥香」でした。これは長さ約21cmの線香を鉄製の台に3本立てるというもので燃焼時間が40分程度という短い線香でした。

出典:金鳥の蚊取り線香、キンチョールに関する資料

その後、英一郎氏の妻の何気ない一言から誕生した渦巻き型蚊取り線香(燃焼時間は約6時間に伸びた)「金鳥の渦巻」を1902年(明治35年)に発売し、早くから蚊取り線香を海外へ輸出し、会社は大きな成功を収めます。

金鳥のロシア語・中国語のポスター
1930年(昭和5年)~1940年(昭和15年)頃、ロシア語・中国語のポスター、出典:Flickr

日本では蚊取り線香を焚く家庭は減ってきていますが、蚊を媒介とするジカ熱やデング熱やマラリアなどの感染症予防で世界中で使われています。なお、蚊は地球上で人間を最も多く殺している生物だという。

その頃、蚊取り線香の開発と平行して、ウンカと呼ばれる稲の害虫を駆除する目的で除虫菊を使った殺虫液の開発を進め、1913年(大正2年)には除虫菊液の特許を取得します。時を経た1934年(昭和9年)、この除虫菊液は一般家庭向けの殺虫液「キンチョール」として商品化され発売されました。このユニークな名前の由来は「金鳥」と「オイル」を掛け合わせたものだとか。
初期の瓶入りの殺虫液を噴霧器(手押し式のポンプ)に入れて押し出す「キンチョール」は、国内はともかく(既に噴霧式は他社により出回っていた)アジア諸国で売れ行きを伸ばし、蚊取り線香に並ぶ重要な輸出商品になっていきました。

金鳥の英語のポスター
1930年(昭和5年)~1940年(昭和15年)頃、英語のポスター、出典:Flickr

戦後、米軍が日本国内に持ち込んだスプレー缶をもとに1952年(昭和27年)に日本初のエアゾール式殺虫剤「キンチョール」を発売、改良を加え完成度を高めた「キンチョール」は、広告宣伝により市場は一気に拡大していきました。

シンボルマークの由来となった鶏は「鶏口と為るも牛後と為る勿れ(けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ)」(=鶏口牛後、意味は大きな団体で人のしりについているよりも小さな団体でも頭になるほうがよい)の一節から考案され、その後の大々的な広告宣伝で日本中の家庭に金鳥のマークが浸透していきました。
新聞広告に始まり、大正から昭和にかけては美術品レベルの石版刷りカラーポスターを多数制作。ラジオやテレビのメディアにもいち早く進出し、スプレー缶を使うのは初めてという人が多かった時代に使用方法や効能を説明するため広告宣伝を重視してきたという。

金鳥の琺瑯看板

成分である除虫菊はその後も盛んに栽培されましたが、戦後の食糧増産のため栽培面積が著しく減少します。代替原料として除虫菊に含まれる成分ピレトリンとよく似た化学構造をもつピレスロイドという物質を作ることに成功し、現在は家庭用殺虫剤のほとんどに使われています。これは、蚊への速効性が高く、人間などの温血動物に対する毒性が低く、さらに自然界で分解しやすく、二次的環境汚染の怖れも少ないという理想的な物質だそうです。

なお、蚊取り線香等と共に殺虫剤として初めて2017年3月に日本化学会認定の化学遺産に登録されたそうです。

日本における殺虫剤は、あくまでも人間のいる場所を快適にするための商品、蚊がまったくいなくなれば、蚊をエサとするトンボやツバメ、コウモリもいなくなってしまいます。
環境や生活スタイルの変化と共に、そこに入り込んでくる虫も変わり、また時代が移り変われば本来は日本国内に生息していなかった虫も増えていくことでしょう。しかしきっと品質と安全性のあるこれらの殺虫剤は、どんな時代にも求められるロングセラーであり続けるに違いないと思いました。

余談ですが、家庭用殺虫剤の市場割合は、アース製薬が約40%、大日本除虫菊(金鳥)が25%、フマキラーが15%、白元、ライオンと続きこの5社で市場の9割以上を寡占しています。

最後に、もしかして、地球にとっては後から出現した人間の方が“害を成す生き物”だと感じているかもしれません。

出典:殺虫剤
出典:大日本除虫菊
出典:金鳥のあゆみ

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