懐かしいのに新しい昭和の「ぬりえ」
昭和20~30年代に少女たちが夢中になった「ぬりえ」
昭和20~30年代に、少女たちが夢中になった「ぬりえ」
当時の女の子憧れの「お嫁さん」を筆頭に少女たちの夢見た暮らしや年中行事…例えば羽根つき、凧揚げ、スキー、スケート、お花見、ひな祭り、七夕、海水浴、お月見、クリスマスなどをテーマに描かれていました。
当時、子どもたちが学校帰りに集う駄菓子屋で、カラフルな袋の中にB5サイズよりひとまわり小さなサイズで、粗末なざらばん紙に描かれた「ぬりえ」が4~5枚くらい入っていました。また冊子状になっている物もありました。
駄菓子屋さんで当時5円、昭和30年代の最盛期には袋入りぬりえが、ひと月に100万部、多い時は160万部も売れるという爆発的な人気を集めました。
男の子用のぬりえはクレヨンで塗りつぶしていましたが、女の子用のぬりえは色鉛筆で丁寧に仕上げられていました。
それは少女たちにとっては、お化粧のような感覚だったのでしょうか。
今でこそ24色セットや36色セットという色鉛筆は珍しくもありませんが、当時はせいぜい12色セットでしたから微妙な色を出すのには、それなりの工夫があったようです。
そんな「ぬりえ」から当時の子供たちの憧れや夢、暮らしぶりや生活、ファッションなどが伝わってきますね。
ぬり絵といえば、あの「きいちのぬりえ」が有名ですが、同時代にこの「まつお」をはじめ 「フジオ」「たけを」「ひでを」「ミッキー」などの作家が描いていました。
「きいちのぬりえ」の喜一さん
昭和20~30年代に一大ブームとなったぬりえ。その中でもダントツに人気だったのが、蔦谷喜一(つたやきいち)による「きいちのぬりえ」です。
人気の理由は、顔が大きく足が太く短い赤ちゃんみたいな特徴の愛らしさ、ファッションセンスの良さにありました。
カールをきかせたオシャレなヘアスタイル、ファッション雑誌から抜け出たような装い…そこには、少女たちの全ての願望が込められていたのです。
その独特な絵がブームになり、ぬりえもみんな喜一さんっぽい絵になっていきました。
そんな「きいちのぬりえ」で有名な蔦谷喜一さんは、生涯現役の画家として平成17年(2005)、91歳で死去されました。
蔦屋喜一さんの姪御さんが、2002年に荒川区にオープンさせた「ぬりえ美術館」があります。
きいちのぬりえの他、日本のぬりえだけでなく海外のぬりえや昔の子供たちの遊び道具などが見学でき、ぬりえを楽しめるスペースもあるので楽しめます。
また、WEBショップでは、オリジナルグッズやぬりえ本など好評で、ちょっとしたプレゼントにも喜ばれているようです。
昭和の懐かしさ満載のきいちのぬりえ本
現在、“大人のぬりえ”ブームをつくった「きいちのぬりえ」復刻版が発売されていてロングセラーになっています。
駄菓子屋時代より大きめのA4サイズだからよりぬりやすく「幼かったころの幸せな記憶がよみがえる」と大好評!
少女時代にきいちのぬりえを楽しんだ人。昭和レトロな雰囲気が好きな人。細かく描かれたぬりえが苦手な人におすすめです。
そして、かつて少女だったお母さまのプレゼントに良いかもしれません。
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