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「駄菓子屋」は懐かしいですか?

「駄菓子屋」は懐かしいですか?

駄菓子、懐かしい響きです。今でも「きなこ棒」は好きで見かけたら買ってしまいます。
現在ではコンビニやスーパー、ショッピングモールなどで売られていますが、昭和の頃までは近所の駄菓子屋で売られていました。

駄菓子とは、麦、ひえ、あわ、豆などの雑穀や黒砂糖で作った素朴で安価な雑菓子で庶民の間食に用いられてきました。そして1711~1715年頃から、上菓子という高級菓子と対称的な意味で名づけられました。
「駄(だ)」という文字には“値打ちのない、粗悪な”などの意味があり、また荷物を負う馬の意で、人は乗せない劣った馬、これから菓子に駄の字を冠したものは、“人の口にはあわない”との意味もあります。

昔の駄菓子屋
昔の駄菓子屋

駄菓子屋の原型は、番太郎の副業から。江戸時代に城下町の治安を守り放火を防ぐ目的で、町の入り口を見張るために設けられた小屋を番屋といい番人は番太郎・番太と呼ばれていました。その業務の片手間に駄菓子や鼻紙・ろうそく・わらじなどを売っていたそうです。それらをどこの町でも番太郎が副業として始め、「番太郎菓子」と呼ばれていました。
また、1個の単価がおよそ一文であったところから、「一文菓子」とも呼ばれていました。一文は現代でいうと12円くらい。江戸の末頃まで「そば1杯十五文」、当時でも安価であったことがわかります。
なお、日本最古の駄菓子屋は、創業が1781年(天明元年)雑司ヶ谷の鬼子母神境内内にある「上川口屋」といわれています。

明治維新後は一文が「一厘(りん)菓子」になり、貨幣価値の変遷とともに五厘から大正時代には「一銭菓子」、昭和時代に五銭と高騰しました。
白砂糖が庶民に行きわたるようになるのは19世紀中頃(明治時代)、なのでそれまでの駄菓子には黒砂糖が使われました。かりん糖、べっこう飴・麦こがし・おこし・カルメ焼きなど、今でいう懐かしの「昔菓子」がこれにあたります。その他にも、ねじりおこし、みじん棒、豆板、芋(いも)羊かん、鉄砲玉、げんこつ飴、にっけい飴、きな粉飴、塩煎餅(せんべい)、黒糖で甘くしたあんこ玉などが売られていました。
少しずつ白砂糖を使ったお菓子が増え、大正時代にはグリコによって初めておまけ付きの駄菓子が誕生しました。

一銭菓子は昭和初期まで、裏町のいわゆる駄菓子屋が商っていましたが、1937年(昭和12年)に始まった日中戦争が太平洋戦争へ拡大する段階で姿を消します。
駄菓子が栄えるようになったのは昭和20年代からのことで、昭和22年~24年頃の第一次ベビーブームとともに子供の数が一気に増え、駄菓子が発展していきます。昭和40年代になると、大量生産の時代になり駄菓子屋が増えていき、駄菓子の黄金期を迎えます。また、かつて駄菓子として扱われてきた塩煎餅や五家宝(ごかぼう)の類、どら焼き、最中(もなか)、蒸し羊かん、大阪の岩おこし、東京・浅草の雷おこし、京都の豆板、石川県金沢市の柴舟(しばぶね)などは高級菓子や郷土菓子として扱われるようになりました。

そして1989年(平成元年)、消費税3%導入とともに多くの駄菓子屋さんが姿を消していき、スーパーやコンビニで販売されるようなっていきました。

駄菓子と昭和お菓子年表

年代菓子名(メーカー)
1913年/大正2年森永キャラメル(森永製菓)、サクマ式ドロップス缶(佐久間製菓)
1920年/ 〃 9年黒棒(クロボー製菓)
1922年/ 〃 11年おまけ付きグリコキャラメル(グリコ)
1926年/昭和元年ボンタンアメ(セイカ食品)
1927年/ 〃 2年サイコロキャラメル(明治製菓)
1929年/ 〃 4年あんこ玉(植田製菓)
1931年/ 〃 6年都こんぶ(‎中野物産)
1933年/ 〃 8年ビスコ(‎江崎グリコ)
1941年/ 〃 16年梅ジャム(‎梅の花本舗)、バニラブルーカップアイスクリーム(‎雪印)
1949年/ 〃 24年ラムネ菓子(‎島田製菓)、ふ菓子(‎鍵屋製菓)
1950年/ 〃 25年氷砂糖(桔梗竹商店)
1951年/ 〃 26年ココアシガレット(オリオン)、パインアメ(‎パイン製菓)
1952年/ 〃 27年トンガリ(井桁千製菓)
1953年/ 〃 28年パラソルチョコ(不二家)、大当たりガム(コリス)、ライスチョコ(‎東)
1954年/ 〃 29年粉末ジュース(雪印乳業)
1955年/ 〃 30年フィンガーチョコ(森永製菓)、棒きなこ飴(ナマイ商店)、こざくら餅(‎明光製菓)、キングカレー(‎雷屋)、前田のクラッカー(前田製菓)、ビンラムネ(‎岡田屋)、フルーツ引(‎耕生製菓)
1956年/ 〃 31年ホームランバー(名糖産業)
1957年/ 〃 32年さくら大根(みやま食品)
1958年/ 〃 33年棒きなこ当(西島製菓)、渡辺のジュースの素(カネボウ渡辺食品)
1959年/ 〃 34年ライスチョコ(東京産業)、ベビーラーメン(松田商店)、フーセンガム(マルカワ製菓)
1960年/ 〃 35年ペンシルチョコ(不二家)、フエガム・ラムネ(コリス)
1961年/ 〃 36年粉末ジュース(松山製菓)、マーブルチョコ(‎明治製菓)、モロッコヨーグル(‎サンヨー製菓)
1962年/ 〃 37年チロルチョコ(松尾製菓)、きびだんご(見田製菓)、人参(山恵)
1963年/ 〃 38年バタープリッツ(グリコ)、クッピーラムネ(カクダイ製菓)
1964年/ 〃 39年ジューC(カバヤ食品)、チョコバット(三立製菓)、赤城しぐれ氷菓(赤城乳業)
1965年/ 〃 40年コーラシガレット(オリオン)、チョコボール(森永製菓)
1966年/ 〃 41年パンチコーラSP(松山製菓)、アイデアルチョコ(フルタ製菓)
1967年/ 〃 42年ハイエイト(フルタ製菓)、ソースせんべい(五十鈴製菓)
1969年/ 〃 44年花串カステーラ(美濃金製菓)
1973年/ 〃 48年梅ミンツ(オリオン)、むぎチョコ(‎高岡食品工業)、ラムネ(‎森永製菓)、ハートチップル(リスカ)
1974年/ 〃 49年紋次郎いか(一十珍海堂)
1975年/ 〃 50年ミニボトル(マルタ食品)
1976年/ 〃 51年信玄(よっちゃん食品)、餅太郎(‎やおきん)、シャーベットペロ(‎パイン製菓)、セコイヤチョコ(フルタ製菓)
1977年/ 〃 52年カットよっちゃん(よっちゃん食品)、ビックリマンチョコ(‎ロッテ)
1978年/ 〃 53年よっちゃん丸(よっちゃん食品)、ミニコーラ(‎オリオン)
1979年/ 〃 54年ミニサワー(オリオン)、うまい棒・どんどん焼(やおきん)
1980年/ 〃 55年ポテトフライ(中村製菓)、えび太くん(イケダヤ製菓)
1981年/ 〃 56年キャベツ太郎(やおきん)
1982年/ 〃 57年蒲焼さん太郎(やおきん)
1985年/ 〃 60年ラーメン屋さん太郎(やおきん)、どんぐりガム(パイン)
1987年/ 〃 62年Bigカツ(やおきん)
1989年/平成元年昭和64年ヤングドーナツ(宮田製菓)

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駄菓子

好きなお菓子を少しずつ買うのが、駄菓子屋さんの醍醐味ですよね。
小学校の遠足では、おやつは500円までと決められていて、いつも近くの駄菓子屋さんでたくさん駄菓子を買っていたのを覚えています。けれど、年々駄菓子屋さんに駄菓子が減り、普通の大きな箱に入ったお菓子が並ぶようになり、細々と買えなくなってしまったのが残念で、いつの間にか行かなくなり、そのうちに閉店してしまいました。

昔の駄菓子屋
昔の駄菓子屋、愛知県北名古屋市「昭和日常博物館」より

某ショッピングモール内に、あえてレトロな装飾で懐かしさを演出した昔風駄菓子屋を見つけた時、思わず入ってしまいましたが、そこには中学生くらいの女の子たちが色々な駄菓子を手に取り「懐かしい~」とつぶやいていて、そんな懐かしむ時代なんてないはずの子どもにさえノスタルジーな雰囲気が駄菓子屋には流れているのでしょうか。
駄菓子という存在自体は決してプレミアムなものではなく、ひとつのお菓子カテゴリーとして現代に溶け込んでいて、これだけ普通に駄菓子がどこでも買えると、もはや何に対して懐かしんでいるのかがわからなくなってきます。
もしかして、懐かしいというイメージを駄菓子屋さんという場に勝手に求めてマーケットを生み出し、タイムスリップしたかのような疑似体験をすることでお菓子と一緒に懐かしさを買っているのかもしれません。そんな市場のマーケティング戦略が垣間見えながらも、昔風駄菓子屋で嬉々としながら「きなこ棒」を買ってきてしまう自分がいます。懐かしいね~!と言いながら。

出典:駄菓子
出典:番太郎
出典:駄菓子屋

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