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空間をコントロールする日本発祥の「引き戸」

空間をコントロールする日本発祥の「引き戸」

建具とは、開口部に設けられた障子や襖(ふすま)・窓・ドア・戸などの可動部分とそれを支える枠などの総称ですが、日本にはドア(開き戸)もありますが引き戸が多いですよね。
日本家屋の何気ない建具が気に入っている自分としましては、気になり色々と調べてみました。

始めは「開き戸」から

古いものでは、弥生時代の遺跡から一枚板でできた開き戸と考えられる建築部材がすでに出土しています。古墳時代になると内開きの開き戸をつけていた軸受や、4世紀末の古墳の遺物に描かれている家屋の出入り口の戸らしきもの、あるいは建具の使用を伺わせる家型埴輪の出土により古墳時代には既に“戸”が相当に普及していたと考えられます。
飛鳥時代・奈良時代には、住宅、寺院、神社いずれも開き戸が使われていたようです。

法隆寺金堂

現存最古の建具としては和銅年間(708~715年)に取り付けられたの法隆寺金堂の中の一枚板で作られた外開きの戸の裳階(もこし)扉といわれています。余談ですが、使われたヒノキの直径は少なくとも1.3m以上あった、とか。この時代まで一枚板から削り出したものが広く使われていたと考えられています。
写真出典:法隆寺金堂の扉

759年創建の唐招提寺金堂では、幅の狭い板を寄せ裏に横桟のある内開きの戸が使われ、扉の構造に変化がみらるようになります。平安時代には開き戸のほかに、上部を吊り元として内または外へ吊り上げる蔀戸(しとみど)が出現します。
さらに平安時代中期以降になって、最初は片引きの障子、そして引き違いの遣戸障子(やりどしょうじ/鴨居(かもい)と敷居の溝に沿って開閉する引き戸の板戸)が誕生します。平安時代の「寝殿造り」と呼ばれる貴族の住居(内部は一部を除き壁がなく、几帳(きちょう/二本のT字型の柱に横木を渡して薄絹を下げた間仕切り)や衝立で仕切られており、外部の仕切りは蔀戸を吊っていました)で初めて用いられました。

ちょっと「壁」について…日本の昔ながらの住宅は、柱や梁で建物を支える工法(軸組工法)で建てられているので、理論的にはなくてもかまわないもので「仕切り」程度の認識でした。「かべ」の「か」は、「ありか」や「すみか」などの「か」と同じで「所」という意味、「べ」は隔てるものという意味の「へ」で、「かべ」は「ある場所をへだてるもの」ということです。一方、英語のwallは「城壁・防御壁」などを意味した言葉が語源で、漢字の「壁」も「防御する建造物」を表し、敵の侵入をふせぐために頑丈に造られている遮蔽物と認識されていることがわかり、対照的です。つまり「壁」とは、建築物において、垂直方向に平面を形成し、戦車ででも体当たりしない限りわれわれを通過させてくれない部分をいう(笑。
出典:日本語を味わう辞典

なお、「引き戸」は日本発祥と言われている扉(戸)になります。
「建具」という言葉は中世以降の成立と考えられ、文献上は1451年の「東寺百合文書」という古文書に「立具」と記されています。 また最も古い建具と考えられる「戸」の用例は「古事記(712年)」にもしばしば見受けられます。

「源氏香の図、御法(みのり)」歌川国貞
「源氏香の図、御法(みのり)」歌川国貞 画(1843-47年)鶴の絵が描かれた襖が見えます。出典:東京都立図書館

障子は構造や表面に貼る材料によって衾(襖/ふすま)障子・唐紙(からかみ)障子・明(あかり)障子などの種類に分かれ、平安時代後半になると蔀戸に代わり、外回りの建具として柱間(はしらま)ごとに板戸で横に桟を何段にも入れて板押さえとした舞良戸(まいらど)という引き戸が広く用いられました。
障子よりも早く出現した襖の詳しい記事はこちら→部屋を仕切る日本生まれの「襖」
室町時代中期に始まった武家住宅の形式の「書院造り」では、住宅の外部には板戸・雨戸を使用、明り障子で仕切られ、内部は意匠を凝らした襖や欄間や障子と、様々に形を変えて普及していきました。
現代の障子の詳しい記事はこちら→光の魔法を生み出す「障子」

「引き戸」が生まれた訳

引き戸が日本で生まれ発達したのは、日本の風土が大きく影響していると考えらています。
引き戸は、開き戸のように開閉の際に戸が動くためのスペースを必要としません。他の扉(戸)と異なり、出入り口としての仕切りだけではなく、空間の仕切り(壁)の役目も果たします。出入り口の際まで部屋を有効活用でき、仕切りをすべて開ければ小さな部屋が広い部屋に変わり、風通しも良くなります。つまり、高温多湿な日本の風土では開放的な構造が必要で、そして国土の狭い日本ならではの発達だったのでしょう。
また、日本家屋が木造で造られていたので軽い素材で引き戸を作ることが出来たのが、引き戸が普及した要因の一つと考えられます。

昔の日本家屋

西洋建築において間仕切りとは壁であり固定されているのが前提で、石造りの壁に穴を開けて開口部=窓・ドアにしたのが西洋の家造りなら、柱を立て、それらを梁でつないで開放的な構造としたのが日本伝統の軸組工法、もともと柱と柱の間が開口部のような造りでしたので、間と間をつなぐ「間戸」が「窓」となり、引き戸が生まれたのは必然とも言えるかもしれません。

「引き戸」と「開き戸」

洋風な玄関

欧米にも「引き戸」はありますが、4辺すべてに隙間があって外されやすいし壊されやすいから開口部には使われません。出入口や窓などの開口部はすべて開き戸(ドア・扉)になっていて、しかも必ず内側に開きます。なお、日本の玄関も近年はドアが主流ですが、ほとんど外開きです。

詳しくはこちら→日本の「玄関」は秘密がいっぱいだった
写真出典:roomclip

開き戸は、1辺を金具でガッチリ固定するので攻撃に強く安全な構造、つまり外敵から身を守るためより強固な扉が生まれました。これは、大陸の国々は異民族や一神教による争いが頻繁に起きていたためと考えられます。日本は、それだけ平和な時を過ごしてきたのでしょうか。
ただ、日本にも内開きの扉はありました。お城の門、屋敷の門などです。敵の侵入を防ぐため、西洋のそれと同じで、適材適所に開き戸と引き戸を使い分けていたのです。
また、開き戸は、自然界と家を、外と内を遮断する役目があり、引き戸とは大きく性質が異なるものなのでしょう。

城門
宮城県知事公館に移築された仙台城門、切妻造の四脚門

出典:建具
出典:引き戸
出典:板戸

「引き戸」は優秀な建具

閉めれば「個」の空間、開ければ「公」の空間に瞬時に変わる、ドアを開けておいても向こう側と空間がつながる感じはしませんが、引き戸の場合は開けておくだけで空間が一気に拡大します。
空間を固定するのではなく開放も間仕切りも自在にする引き戸、動くことでフレキシブルな空間を生み、居心地の良さもコントロールする重要な役割を担う建築の構成物で、千年もの歴史を経て、今もなお日本の住まいで機能する優秀な建具だと感じます。機能=居室としてきた西洋の住文化と違い、曖昧さを旨としてきた日本の住文化を決定づけてきたのは引き戸で、だから面白く感じるし気に入っているのかもしれません。

縁側
日本家屋、縁側と沓脱石(くつぬぎいし)

また近年、病院の診察室や病室の出入り口では、引き戸が多く使われています。開き戸と異なり、戸の前に人がいても入り口を開けることができるというメリットがありますが、お年寄りや患者さんが軽い力で開閉でき、まるで自動ドアの用にスーッと開いて、なめらかに閉まる引き戸になっているバリアフリーの建具でもあります。襖や障子の引き戸と役割は違いますが、日本発祥の引き戸は、“優しい扉”だとは思いませんか。

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