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街から出て行くのも帰って来るのも「駅」から

街から出て行くのも帰って来るのも「駅」から

2019年、下北沢駅は小田急線と京王井の頭線の駅舎・改札の分離され小田急線は地下化しどこにでもある駅へリニューアル、あのごちゃごちゃ感ある懐かしいレトロな駅はなくなりました。そして都内で最も古い木造駅舎(1924年/大正13年に完成、都内でも有数の歴史的な建築物)だったJR原宿駅も新駅舎に代わり、スマートな街の景観になっていくことへの寂しさがあります。
ちなみに、原宿駅新駅舎の東隣に、旧駅舎の三角屋根に風見鶏の尖塔が付いたハーフティンバー様式(北方ヨーロッパの木造建築の技法・半木骨造)などを可能な限り再現した建物が建てられるとか(2020年8月下旬現在、解体中)。
ということで、前回の鉄道に関連して「駅」についてのお話です。

「新橋鉄道/東京海華名将図の内」三代目歌川広重 画
「新橋鉄道/東京海華名将図の内」三代目歌川広重 画(1875年)出典:大英博物館

鉄道駅は正確には、英: railway station、米: train station、語源はラテン語のstare(立つ)からで、英語の“station”はサービス活動の公的な“拠点・基地”を意味し、鉄道駅に限らず放送局や発電所などの呼称に広く用いられています。

日本では鉄道が発明される前から街道に設けられた馬を乗り換えるための施設を「驛」と呼び、「驛(新字体・駅)」の「エキ」と読むのは音読みで、訓読みでは「うまや」と読まれることがあり、古代律令制の時代(7世紀後半から10世紀頃)には既に街道に宿泊や馬を供給するための宿駅が誕生していたようです。

鉄道駅としては、1872年(明治5年)に新橋駅(現・汐留駅)~横浜駅(現・桜木町駅)に鉄道が開通し間に6駅を設置したのが日本初となるとなります。
鉄道導入当初は“station”の訳語が確定せず、鉄道舘・ステーション・ステンショ・蒸気車会所などの名で呼ばれたましたが、明治10年代以降は「停車場」という名称が一般に用いられるように、「駅」が鉄道機関の施設を表す言葉として使われるようになったのは旧来の駅制度(街道の宿場・宿駅)が廃止された明治20年代以降でした。

「東京上野山下より中仙道往復蒸気鉄道の図」野川常吉 画
「東京上野山下より中仙道往復蒸気鉄道の図」野川常吉 画(1885年)出典:アメリカ議会図書館
「品川駅」無款
「品川駅」無款(1872年)出典:artelino-Japanese Prints

なお、開業が最も古い駅は品川駅(1872年6月12日)で、1923年(大正12年)に列車の到着を知らせる構内放送を初めて導入したのも品川駅でした。開業当初は列車の発車時刻を利用客に知らせるために太鼓が使われ、翌年には駅では鐘、ホームでは駅員が振鈴を鳴らして発車を知らせていたのだとか。
そして、定期券が登場したのは1886年(明治19年)、新橋~横浜間で、6カ月定期で上等120円、中等80円でした。

長浜鉄道スクエア
長浜鉄道スクエア 出典:Wikipedia

現存する日本最古の駅舎は滋賀県長浜市にある東海道線の旧長浜駅舎で、1882年(明治15年)に建築され、第1回鉄道記念物に指定されています。建物は、鹿鳴館調の石灰コンクリート造り、壁の厚さは50cmもあります。四隅の角には花崗岩の切石を積み、窓枠と出入口は赤レンガを使っています。「長浜鉄道スクエア」鉄道博物館に展示されています。

亀崎駅
亀崎駅 出典:Wikipedia

現役で日本最古の駅舎は、1886年(明治19年)の建物財産標が残っている武豊線の亀崎駅とされています。愛知県半田市にあり、大府駅と武豊駅を結ぶJR東海・武豊線の中間に位置する駅です。しかし、「消失した本屋と駅長官舎を再建した」という記載から、証拠となる建物財産標の表示年が実際の竣工年と乖離がり、その確証がないとされています。

1914年(大正3年)の東京駅
1914年(大正3年)の東京駅 出典:Wikipedia

一帯には明治半ばまで約8万4000平方メートルにもおよぶ広大な陸軍の練兵場があり、周辺は何もない茫洋とした荒野の場末と言ってもよい場所でした。

日本を代表する駅「東京駅」について…「中央停車場」という駅名で1908年(明治41年)に着工、1914年(大正3年)に「東京駅」の名称になり同年12月20日に東海道本線の起点としてハブとしての役割を担う駅として開業しました。皇居の正面に位置し、駅には皇室専用の出入り口があるといった点も含め、“国の中心的な駅”としての意味も込め「東京駅」となったと言われています。
ちなみに、最初は国会議事堂がいまの永田町に建設される予定があったので、そこへのアクセスの良さを考えて銀座あたりに計画されていたとか。

“日本近代建築の父”と呼ばれた辰野金吾氏により設計された駅舎は、首都東京の表玄関にふさわしいようにルネサンス風の西洋建築を模した地上3階建ての近代的駅舎で、1923年(大正12年)関東大震災が起こるもあまり被害はなく、しかし第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)には空襲によって駅のドーム部分と3階部分を焼失してしまいました。2年後の1947年には、2階建ての駅舎が完成し、1964年(昭和39年)東海道新幹線(東京~新大阪間)が開通。
2003年(平成15年)「東京駅丸ノ内本屋」として国の重要文化財に指定、このことにより保存復原が決定し、2012年10月、これまでの駅舎を解体して建て直すのではなく、外壁などの主要部分は保存して大正時代に建てられた姿の創建当時のシンボルであるドーム屋根が復元され地上3階、地下2階建ての駅舎が完成、現在は人気名所となっています。
また、2013年(平成25年)にはアメリカ・ニューヨークのグランド・セントラル駅と姉妹駅締結しました。これは、グランド・セントラル駅が2013年、東京駅が2014年12月20日に開業100周年を迎えることを記念してのものだとか。

東京駅

2020年7月現在、日本全国の駅の数は9205駅(財団法人国土地理協会、調べ)で、そのうち約3600駅が無人駅だとか。ただ、人口減など経営環境が急速に変化している今、JR東日本では駅構内や電車の新しいシステムや技術開発・AIやロボットを導入し、駅の無人化への取り組みを進めているそうです。また、特に地方部では駅の数は減少してきています。

「駅」が本来的に備えている機能がなにかといえば、人が移動している際に感じる、どこかで少し足を止めて休みたい、という欲求を満たすことにあるそうです。ということは、そうした場所を設けて地元の雰囲気を少しでも感じられる演出を施し、モノやサービスを売れば人は集まってくるし廃れることはないような感じます。
そして、歴史的に多くの街は駅を中心につくられていて、なので鉄道がない街の場合、街の中心が明確にならない宿命があります。その点、鉄道がある街では、街の中心は駅であり、そのため人は駅前周辺に集まるとともに、心の拠り所ともなっています。

駅は鉄道の乗降に利用する場所であり、駅前は老若男女が集い、話し、待ち合せる場所で、たとえ在宅勤務が普及し必要なときにしか会社に行かなくなっても、街から出て行くのも帰って来るのも駅からです。

2027年開業を目指すリニア中央新幹線、ターミナル駅は品川駅、名古屋駅に設置され、中間駅は相模原、甲府、飯田、中津川に造られる予定、これからはどんどんリニアモーターカー化され、また新たな駅が登場していき、今までの価値とは違う新たな展開が期待できそうです。

出典:鉄道駅
出典:東京駅の歴史
出典:

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