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箱入り西洋ちり紙「ティシューペーパー」

箱入り西洋ちり紙「ティシューペーパー」

○○がない!となったらパニックになる人も少なくない、今や日本人にはなくてはならない必需品と言ってもいい存在の ティシューペーパー 、自分も押し入れの中にたくさんのストックを抱えています。
日常のちょっとした場面でかなりお世話になっている、“箱に入った薄くやわらかい上質のちり紙”のティシューペーパーや、ちり紙について調べてみました。

昭和20年~30年代の「ちり紙」ラベル
昭和20年~30年代の「ちり紙」ラベル。出典:Flickr

最初に「ちり紙」ですが、一般に鼻紙や落とし紙(便所で使う紙)として使う下等紙ことで、和紙の材料である楮(こうぞ/クワ科の落葉低木)の余分の外皮などのくずを集めて漉いた粗末な紙で、表面に塵滓(かす)があることから塵紙(ちりがみ)と言われたそうです。

塵紙の名はすでに1506年(室町時代)の『実隆公記(さねたかこうき)』にみられ、江戸初期には各地で様々なちり紙が生産され、鼻紙(江戸時代に使われ始めた言葉)・包み紙・紙袋・壁紙、屏風や襖の下張りなどに広く用いられたようです。(手漉き紙は、4~5世紀頃に日本に伝わって来たと言われています)

なお、紙でお尻を拭く習慣は12~13世紀頃に生まれたと考えられているそうです。ただ庶民が使えるようになるのは、江戸・元禄年間(1688-1704年)頃に故紙(こし/古紙)を漉き返した最下級品の浅草紙や京都の西洞院紙ができてからだとか。
しかし同じちり紙でも、江戸の桜花紙や福岡県八女市の京花紙などは白くて薄手の上級品だったようで、化粧紙や懐中紙に使われたそうです。
ちなみに、化粧紙という言葉は、トイレットペーパーの訳語として明治の半ば頃から使われだしたとか。

「風流職人尽 紙漉」歌川貞秀 画
「風流職人尽 紙漉」歌川貞秀 画(19世紀)出典:ボストン美術館

紙の種類は、室町時代にすでに50以上あって江戸時代に入ると1000以上にもなっていたのではないかと言われています。和紙は漉きなおしが容易だったことがあり、9世紀(平安時代)頃には紙のリサイクルが行なわれていたとされます。紙色は、手漉き和紙の原料となった楮(こうぞ)色で、浅草紙はねずみ色でしたが、徐々に白色が好まれるようになりました。白くするには水や雪に晒していたようですが、薬品で白くできるようになったのは昭和50年代からだそうです。

1874年(明治7年)に始まる洋紙の製造に押されて従来の手漉きによる和紙は衰え、古紙や雑パルプを原料とした洋紙の製造で、安価な紙が大量に供給できるようになり、各家庭では1960年代半ばまで、主にちり紙(白ちり、黒ちり)や伝統的な京花紙など、生活用紙が使われていました。

「板ちり紙」
「板ちり紙」出典:昭和製紙株式会社

「板ちり紙」は便所紙とも呼ばれ、下水道(浄化槽を含む)が普及する前、汲み取り式(ボットン便所)だった頃は一般的に使われていました。
柔らかく少し縮れた20cm四方ほどの白い薄い紙で、使用後、そのまま便槽に“落とす(捨てる)”ので「落とし紙」とも呼ばれました。紙なら何でも落とし紙になり、新聞紙を手で揉んで柔らかくして使っていた時代もあるそうです。なお、現在も発売されています。

トイレの記事はこちら→水を使わないという「トイレ」が出現しそうです

1945年と1947年のアメリカ・クリネックスティッシュ雑誌広告
1945年と1947年のアメリカ・クリネックスティッシュ雑誌広告。出典:Flickr

1935年誕生したコミックのキャラクター『リトル・ルル』イラスト入り広告は1940年代に多く用いられたようです。現行の「Kleenex」ロゴは世界的なグラフィックデザイナーのソール・バス氏(ユナイテッド航空・ワーナー・ミノルタなど、おなじみのロゴを数多く手掛けている)によるものです。

1955年のアメリカ・Soft-Weveティッシュ雑誌広告
1955年のアメリカ・Soft-Weveティッシュ雑誌広告。出典:Flickr
1950年のアメリカ・scottieティッシュ雑誌広告
1950年のアメリカ・scottieティッシュ雑誌広告。出典:Flickr

そんな中、1953年(昭和28年)にアメリカのキンバリー・クラーク社で開発されたティッシュペーパーが日本で発売されました。

ティッシュペーパーの元は、第一次世界大戦中に外科手術用脱脂綿の代用品として開発された「セルコットン」や、また防毒マスクに使用するフィルターとしても利用されていたそうです。
戦後の1924年(大正13年)、キンバリー・クラーク社がセルコットンの技術を転用し、女性が化粧に使うコールドクリームを落とすための使い捨てハンカチとして発売したのが、クリネックスティシューでした。
最初は1枚1枚が折らずに箱に入ったものでしたが、1929年(昭和4年)に現在のように次の1枚が箱から出てくるポップアップ方式にし、広告で「使い捨てのできるハンカチ」を強調した結果大評判となり、その利便性から広く普及し、クリネックスはティシューペーパーの代名詞として使われるようになったようです。

クリネックスティシューの箱デザイン
クリネックスティシューの箱デザイン、左上1964年、右上1971年、左下1984年、右下1996年。出典:クリネックス

1964年に発売されたクリネックスティシューは100組200枚入りボックスで100円、クリネックスウェーブと言われる波模様は博報堂の女性デザイナーの手によるもの。長らく“ちり紙文化”だった日本では、クリネックスティシューは“値段の高い箱入り西洋ちり紙”にしか見えなかったようで、当初は全然売れなかったとか。

1963年(昭和38年)には、当時の山陽スコット(山陽パルプとスコットペーパー社の合弁会社)がスコッティ・トイレットティシュー75mを発売し、1964年2月に日本初の箱入り「スコッティ・フェイシャルティシュー」、その約4カ月後に十條キンバリー(キンバリー・クラーク社と十條製紙の合弁会社)が本家アメリカの「Kleenex」ロゴを冠した「クリネックス・ティシュー」の販売を開始しました。
なお、1996年(平成8年)に山陽スコットと十條キンバリーは合併して「日本製紙クレシア」となったため、スコッティとクリネックスは同じ会社の製品となりました。両製品の住み分けは、高級イメージで訴求するクリネックスティシューに対し、スコッティは手頃なプライスでアピールしているそうです。

以後、消費が拡大し続けた60年代後半から70年代前半にかけては、日清紡績(現・日清紡)・ニッシンボウピーチ、王子製紙・ネピアやホクシー、大王製紙・エリエールなど、大手メーカーを筆頭に多数の中小メーカーが続々と業界に参入し、ティシューペーパー市場は巨大市場へと成長していきました。
そして、ティッシュペーパーの消費量は日本が第1位でアメリカの3倍もの量を使っているそうです。加えて1年間の箱ティッシュペーパー購入個数2019年度都道府県別では、1位・宮城県(20.0箱)2位・千葉県(18.6箱)3位・秋田県(18.4箱)で全般的に東北地方が多い傾向、全国平均は15.1箱になっています(総務省統計局「家計調査」より)。

余談で、ポケットティッシュは1964~65年に日本で発明され、広告用ポケットティシュは1969年に顧客サービスとして初めて配ったのは美容院だとか(国鉄[現・JR]駅売店で売られ始めたのも同年だそうです)。

ティッシュペーパー

歴史から見ると、紙は水がないと作れないわけで、水が豊富な日本はかなり昔から様々な紙を作り使われてきたので、きれい好きもあるかと思いますがティッシュペーパーの消費量が多くなるのも頷けます。
江戸時代までは多分完璧なリサイクルが行われていたようですが、しかし現代は、これだけティッシュペーパーを消費してサステナビリティは大丈夫なのだろうかと思ってしまいます。
ちなみにサステナビリティ(sustainability)とは、日本語では「持続可能性」と訳されますが、持続可能性といっても早漏の治療薬の効能ではありません。英語のsustainabilityとは 重い荷物を持たされてどれだけ持ちこたえ続けられるかという意味あいで、人間がいま享受しているぬくぬくとした生活をいつまでも続けていけますようにという虫のいい願いを、本気で実現できると思って行う環境問題やエネルギー問題に関する活動の主旨をいう…(汗。

出典:屎尿・下水研究会の拭う紙・捨てる紙
出典:誰も知ろうとしなかった「拭く紙」
出典:ポケットティシュの歴史
出典:ちり紙
出典:ティッシュペーパー
出典:クリネックス/株式会社クレシア
出典:日本語を味わう辞典

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