勝ち虫「トンボ」の秋津は日本国名⁈
剣道で、竹刀袋や竹刀の鍔止めによく使われるトンボ柄。(こんなところにしかオシャレができない、あと面用の手ぬぐい)
トンボは、行動が前にしか進めず退かないことから“勝ち虫(かちむし)”と呼ばれてて武具や装束などによく使われてる縁起柄、という事は知っていましたが、実はかなり古くから親しまれている昆虫でした。
ということでトンボについて色々と探ってみました。
日本=秋津=トンボ⁈
トンボ(蜻蛉)は古くから親しまれてきた昆虫で、奈良時代の「秋津」「あきつ」「あきづ」という古名があります。その歴史は、弥生時代の銅鐸にもトンボの文様が描かれていたほど古いそうです。
豊穣の秋はかつての日本人にとって最も大切な季節でした。トンボ(羽化が春から夏そして1年中という種もあります)が産卵のため水田などの水辺を訪れるのがちょうど秋、収穫の時期に稲の害虫を補食しながら空を飛び回るトンボは、豊穣の季節の虫として五穀豊穣の象徴的な生き物でした。
日本の国土を指して秋津洲・秋津島・蜻蛉島(あきつしま、あきづしま)とする異名があります。
本州の古称として、国産み神話において伊耶那岐(イザナギ)・伊耶那美(イザナミ)の二柱の神が生み出した島々の1つで、「古事記」では大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)、「日本書紀」では大日本豊秋津洲(読みは同じ)と記されています。
同様に、日本の古い異称の1つとして、「日本書紀」において、初代天皇である神武天皇が登山し国土を見た際に“あきつの臀呫(となめ=交尾)の如し(トンボがつがってる形にそっくりだ)”と言ったため、そこから「秋津洲」の名を得た、ともあります。
また「古事記」には、雄略(ゆうりゃく)天皇(在位456年~479年頃)が奈良の吉野に狩りに出かけた時、アブに腕を噛まれてしまいます。その瞬間にトンボがアブを食べてどこかへ飛んで行ってしまいました。その様子を見てトンボの功績を称えて倭の国を「蜻蛉島(あきつしま)」と名付けという話もあります。
なお、「トンボ」という呼び名は江戸時代からで、“飛ぶ棒”が変化したという説が有力だそうです。漢字では「蜻蛉」と書きますが、この字は“薄い羽のある虫”と言う意味の大陸から伝わった言葉で「カゲロウ」を指すもの、とくに近代以前の旧い文献ではカゲロウとトンボを「蜻蛉」で一括りにしています。
トンボが勝ち虫に
この雄略天皇のエピソードからトンボを「勝ち虫」と呼ぶようになり、縁起の良い虫として多くの人に影響を与えるようになります。
戦国時代になると、トンボの前にしか進まない勇猛果敢な動きから「不退転(退くに転ぜず、決して退却をしない)」の精神を表すものとして、目玉が大きなところなどが強さを表しているとして「勝ち虫」エピソードと相まって縁起物として人気を博します。
例えば、武田信玄の家臣・板垣信方(いたがき-のぶかた)は兜の前立てや手甲(てっこう)、着物に至るまで全てトンボの装飾をしたと知られています。また、前田利家も兜の前立てにトンボを起用しています。このように、兜や鎧、箙(えびら)刀の鍔などの武具、陣羽織や印籠の装飾に用いられました。トンボそのものが家紋になっている家もあります。
戦国期から始まった勝ち虫トンボの伝承にあやかって、トンボの文様は剣道の防具や竹刀袋の柄として、また五月人形の兜の前立てや、モノの頭(先)にしかとまらない性質から出世を願って男児の産着の柄としても使われ、縁起の良い虫としての現在も地位を保ち続けています。
トンボマークの鉛筆
1913年(大正2年)の創業時は、「小川春之助商店」という名でしたが、一番人気の高かったトンボマークの鉛筆から、後に社名を「トンボ鉛筆」と変更しています。社名の由来は、トンボが国の雅名である「秋津」を冠した虫であることやトンボの伝承、勝ち虫にあやかって日本を代表する鉛筆メーカーを目指したことだとか。
2011年(平成23年)に新ロゴマーク(下の画像)を導入、トンボを象ったシンボルも上向きにし羽を∞(無限大)の形に、これは“無限の領域へ、無限の成長を遂げます”との思いを表現していて、それまでの下向きのトンボは、お客様に頭を下げて感謝を忘れない気持ちを表しているそうです。
やはり、トンボは日本人にとって特別な昆虫だったのですね。
出典:株式会社トンボ鉛筆
西洋では不吉な虫
トンボは英語で「dragonfly(ドラゴンフライ)」、ゲーム「ドラゴンクエストII 悪霊の神々」に登場するモンスター(この登場はちょっと違ったかも)。やはりというか、西洋ではドラゴンという名は文化において不吉なものと捉えていて、悪魔の虫、地獄からの遣いとして忌み嫌われる生き物だったようです。
ドラゴン(龍)の詳しい説明はこちら→架空の動物である「龍」は実在した⁈
西洋では“魔女の針”などとも呼ばれたり、その羽はカミソリになっていて触れると切り裂かれるとか、嘘をつく人の口を縫いつけてしまう、なた耳を縫いつけるという迷信もあったとか。
自然と共存とか敬うとか、そのような発想が西洋にはない(なかった)のでしょうから仕方のないことだとは感じます。
それでも、19世紀後半にヨーロッパで流行したジャポニズム(日本趣味)の影響で、トンボをモチーフとしたアール・ヌーヴォーの作品が多数作られるようになり、当時のジャポニズム愛好家たちの間では、トンボを日本の象徴とする気運さえあったそうです。フランスのガラス工芸家エミール・ガレやジュエリーデザイナー&ガラス工芸家ルネ・ラリックなど有名です。
ルネ・ラリックについてはこちら→二つの芸術様式の時代に生きた「ルネ・ラリック」
トンボ文様とトンボ
江戸時代以降、武士以外にも着物の柄として取り入れられるようになったトンボ文様(織りでは蜻蛉絣[とんぼがすり]が有名)ですが、きっとこれからも縁起の良い虫の柄として生き続けるでしょう。
しかし、生き物としてのトンボがかなり減少していると聞き及びます。暑さには弱く、夏の間は高地や涼しい森の中などで過ごす個体が多いトンボ、近年の地球温暖化や水辺の減少が原因のようです。
幼虫であるヤゴは蚊の幼虫のボウフラを、成虫は蚊やアブ、蛾、小さな羽虫を捕食します。オニヤンマはスズメバチも捕食します。ギンヤンマは時速100kmという昆虫界最速を誇ります(ちょっと関係なかった)。加えて、トンボは30分の間に自分の体重と同じ重さの餌を補食する事ができるそうで、つまり膨大な量の害虫を駆除してくれます。
日本を象徴する虫「秋津」、日本の古の美しい雅名「秋津」、トンボがこの島において果たしてきた役割は、単に日本の象徴的な虫であるという以上に重要なものだったということがわかります。自然破壊や環境破壊はすでに由々しき事態、日本の原風景のように再び復活することがあるのでしょうか、危惧してやみません。
出典:トンボ
出典:秋津洲
出典:蜻蛉(とんぼ)柄の着物は夏・通年に着よう
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